先週の日曜日にファミリーコンサートの本番があり、今週から9月の演奏会のための練習にはいった。
練習初日だが、本番を振る指揮者ではなく、代振りの人がきた。おそらく、我がオーケストラでは初めて迎える人だと思う。どういう経歴かなども、まったく知らされないから、年齢などもわからない。本番の指揮者は、演奏会当日のプログラムに詳細に書かれるからわかるのだが、そのときになってのことだ。だから、オーケストラと指揮者は、練習そのものしか接しない。もちろん、話しかければ応じてくれるし、そうしている人もたくさんいるが、私は、そうしたことをしたことがない。とにかく、練習そのものが大事だ。
この文章を書こうと思ったのは、昨日初めて練習をつけてくれた指揮者が、とてもよかったからだ。オーケストラで実際に演奏したことのない人には、指揮者という存在について、それほど詳しくはわからないだろう。多くの人にとって、一度やってみたいこととして、必ずあがるのが「プロ野球の監督」と「オーケストラの指揮者」である。そういう憧れの職業であるが、大変な能力を必要とする仕事なのである。
まずオーケストラのスコアを正確に読めなければならない。スコアを読めるというのは、スコアをみれば、音が正確に頭のなかに響いてくるということである。通常オーケストラのスコアは、15段くらいある。つまり、15程度の楽器群が同時に響くわけであるが、そうした響きをスコアを読んでいる段階で把握できなければならない。ピアノの楽譜は、ヘ音記号とト音記号の二種だが、オーケストラだとハ音記号というのがあり、しかも、ビオラとチェロは高さが異なっていて、違うものだと思っていい。それだけではない。管楽器の多くは移調楽器なので、楽譜に書かれている音と実際に鳴る音の高さが違うのである。たとえば、B菅のクラリネットは、楽譜より全音低く鳴るので、全体としてのハ長調の曲は、クラリネットの楽譜はニ長調で書かれる。しかも、他にE、Es、Fその他多数の移調楽器があり、すべて正確に音に直して読めなければならない。
このスコア読みだけでも、かなりの能力なのだが、実際の指揮においては、まずオーケストラをドライブする力、オーケストラの弱い点、自分と違う解釈を素早くみつけ、それに対応して、解決策を提示できなければならない。その際、もたもたしていては、しらけるので、滞りなく処理しないといけない。つまり、音楽的な能力だけではなく、伝達能力も優れていないと、練習の能率が落ちてしまう。そして、もちろん、言っていることに一貫性がなければ信用されない。ある時と次の時に、違う解釈をいったら、団員は混乱してしまう。
そして、最終的には、自分の望む音楽、演奏をしっかりとオーケストラに理解させて、それを実現させることが目標だ。指揮者は自分では一切音をだせないので、的確にわからせ、実現できるような練習をさせる必要がある。そして、オーケストラが演奏しているものが、ミスの発見は当然として、完全に聴きわけることができなければならない。オーケストラは80人から100人の人が一斉に音をだすのだから、それを正確に聴きわけるのは、常人ではできないことだ。
こういう訳では、相手が市民のアマチュア・オーケストラであっても、指揮者としてやってくる人は、正式に指揮者をめざして努力している人だ。私たちの市民オケには、プロのオーケストラの常任ポストをもっている人は、まあごく稀にしかこないが、あちこちのオケにいって、本番を指揮したり、練習・トレーニングをしたりしているひとたちはたくさんいる。だが、そういう人でも、学生オケで学指揮をしていたひと程度の人では、市民オケ程度でも練習指導はまず無理である。アマチュア合唱団ではよくあることだが。それだけ大変なことなのだ。
昨日来た指揮者は、初めてのひとだったが、とても能率よく練習するので、とても気持ちよく練習できた。最初の練習だったので、弾けない部分もあるし、はいり方がうまくできない部分もある。そういう点の指摘が的確であるのと、できてはいるけど、表現がまだ不十分なところの指摘が、とても簡潔明瞭で、分かりやすく、対策の仕方もなるほどと思えるものだった。
個人的に弾いているときと、オーケストラという大人数で弾いているときの響き方が違う。全体がうまくあわなければいけない。それを、こうすればうまく合いますよ、と歌ってみせてくれる。そうするととても分かりやすいのだ。だいたい、指揮者のひとたちは、声がよく、しかも能力的に高い人は、正確な音程で歌う。カラヤンのようなだみ声は、滅多にいないと思う。歌唱力があれば、それだけ表情のつけかたが、よく理解できるわけだ。
少し前に、N教のコンサートマスターだった「まろ」氏が、このましい指揮者の条件として、練習の無駄がないこと、といっていたのだが、その条件をきちんと満たしている人だった。尤も、「まろ」氏がだしていた例は、サバリッシュが、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」をやったときに、戦闘の場面を一度も練習しないで、とばしてしまい、本番のとき初めてサバリッシュの指揮で演奏したのだそうだ。そして、自分でもすごくいい演奏になったとか。一流のオケと指揮者だから可能になることだし、無駄がない事例とも思えないが、とにかく、指揮者のなかにはっきりと音楽ができていて、そこに近づけるために、オケの状況を的確に把握しながら、無駄なく練習を重ねていくというのは、本当に難しいのだ。
話題がずれるが、ジャニーズ問題とか、猿之助問題がでて、権力的な人のハラスメントが話題になっており、一月万札でとりあげたとき、本間氏が、オーケストラでもそういうことがよくあり、指揮者が権力を奮って、気に入らないとださないとか、ハラスメントをしたりするというような話をしていたが、それはかなり誤解だと思う。絶対にないとはいえないが、一時のアメリカのオーケストラは別として、現在では、オーケストラと指揮者の関係は、オーケストラが主で指揮者は従である。もちろん、演奏したり練習の解釈は、指揮者が独裁者といってもいいが、運営に関しては、オーケストラが指揮者を選ぶのであって、指揮者は呼ばれるのだ。常任指揮者になっても、その関係はかわらない。常任指揮者といっても任期があるから、その間にトラブルがあれば次の契約はない。悪い評判が広まったら、呼ばれなくなってしまうから、現在の指揮者は、世界のトップのひとたちでも、極めて温厚で、対等の関係を築く。
また、オーケストラの演奏会は、全員が出ることはあまりなく、出る人と出ない人、また、どのパート(1番か2番か)を演奏するかは、指揮者が決めるのではなく、オーケストラの側が決めるのである。カラヤンとベルリンフィルが険悪な関係になった最初の原因は、ベルリンフィルの奏者たちがスターになって、あちこちソリストで呼ばれるようになり、カラヤンが指揮をするときに、エキストラが出ていたりするのを、カラヤンが怒ったことが最初である。カラヤンですら、そうしたことを決める権限はなかったのである。
これは一般的にハラスメントを無くす方法として、指導者・トップは仕事の上では命令権をもつが、指導者はメンバーが選ぶ、というのが、ベストなのではないかと思うのである。