久しぶりに皇室ネタだ。ほぼ論点は尽くしたと思っていたので、しばらくご無沙汰していたが、やはり記しておく必要があることがでてきた。
小室圭という一個人と内親王が結婚すること自体には、別に反対もしないが、このことのもつ意味は大きいと指摘した。それは、小室家が手にするものは、皇室の権威であり、その背景にある資産である。小室家が資産家であり、皇室の権威や資産をあてにしたわけではないという結婚であれば、おそらく、国民のだれもが、疑問にもつことはなかったろう。もちろん、家族の自死や近親者の反社会的人物などの問題はあるが、それをとりあえず無視しておけば、このあまりに一方的な社会的冨の偏在がもたらす影響である。あまりいい言葉ではないが、要するに「たかり」の構造が浸食するということなのだ。それは大分前に指摘した。小室氏の母親が刑事告発されているが、それは、まさしくたかり的姿勢が、公的資金を不正にえている可能性があるということだ。小室氏がたかるのは、倫理的に問題があるとしても、個人がそれを獲得しようとするのは、ごくありふれたことといえる。問題は、たかられるほうだ。「たかる-たかられる」は、共依存のような関係にあるものだ。