ウクライナ考 義勇兵・ロシア正教

 現時点でまだ混沌としている。いくつかの議論が起きていることについて、考えてみたい。
 第一に、ゼレンスキー大統領が、国際義勇兵を組織し、各国に義勇兵の派遣を要請したことである。日本でも、報道によると、70名ほどの応募があり、大半は退役自衛隊員だという。今のところ、政府は派遣に消極的であり、ネットでの議論でも、そうした行為は国内法に違反するという反対論や、困っているウクライナを助けるべきだという賛成論がある。政府が最も心配しているのは、政府として、義勇兵を派遣することを承認すれば、ロシアに宣戦布告したと受け取られかねないということのようだ。

 ただ、私は、まっくた別の観点から、ゼレンスキーの方針に疑問をもたざるをえない。おそらく、義勇兵は、ゼレンスキーが求めなくてもやってくると思われるが、そこには、イスラム過激派、特に反ロシアのひとたちが含まれるのではないかと思うのだ。ソ連のアフガン侵攻以降、イスラム過激派のテロ集団は、大きく膨らんだ。ソ連が倒れたひとつの理由が、ソ連国内のイスラム系の共和国の離反であり、ソ連崩壊後も、イスラム系の旧ソ連国家とロシアの対立は、何度も起きている。従って、反ロ・イスラム過激派はたくさん存在する。もし、ゼレンスキーが国際義勇兵を、正規に募集したら、彼らがどんどんはいってくるのを阻止できなくなる。そして、彼らはロシア軍を撃退するのに、大きな力を発揮するだろう。しかし、彼らは、ウクライナ政府を支えたいと思っているとは考えられない。ウクライナもウクライナ正教というキリスト教国家である。だから、次は、キリスト教国家をイスラム国家に変質させるべく活動する可能性がある。そうすると、更に内乱状態が継続し、第二のアフガニスタンにならないとも限らない。そうなる前に、NATOが加盟を認めて、NATO軍がイスラム過激派と闘うという動きを見せるかも知れない。しかし、それはアフガニスタンで、既に失敗済みである。義勇兵に頼らざるをえないとしても、誰でもよいというわけではないはずだ。
 アメリカは、そうなることを十分に予想しているという報道があるが、仮に、ウクライナがアフガン化して、泥沼状態になっても、アメリカが軍事的に直接関与しなければ、アメリカとして痛手を負うことはない。
 
 そもそも、アメリカは、ウクライナという国家を、将来的に仲間のように考えているのだろうか。それとも、ロシアの仲間と思っているのだろうか。それは、第二の疑問、何故ロシアはかくも西洋から嫌われるのかということにつながる。これは、長年、私の疑問だったし、今も疑問だ。一月万冊で、安富氏が、結局、ヨーロッパのプロテスタントとカトリックに対して、ロシアはギリシャ正教系だからという分析をしていた。そうなのかとも思うが、そのような宗派で、あそこまで毛嫌いするのだろうかとも思う。ロシア革命を起こしたレーニンの、「目標」はアメリカのようになることだったというのは、有名な話だ。レーニンはテーラーシステムを高く評価していたし、教育担当だった夫人のクルプスカヤは、目標とする学校制度をアメリカとしていた。
 にもかかわらず、ロシア革命のあと、アメリカは積極的に反革命的干渉を行ったし、また、戦後「冷戦」として、ソ連を最大の敵としていた。歴史の流れとして、既に帝国主義国家となっていたアメリカが、ロシア革命を潰そうとしたことや、人工衛星で先を越されたソ連を、最大敵国として政策を構築したことは、わからないではない。しかし、冷戦でソ連は完全に敗北し、ソ連も崩壊した。それでも、NATOを拡大し、ロシアを仮想敵国としてきた。また、ポーランドまでは、NATOに組み入れたが、ウクライナはおそらくずっと躊躇していた。トルコを参加させたことは、ミスだったとおそらくNATO首脳部は思っているだろう。一時、トルコは脱イスラム国家をめざしたから、加盟させたが、その後イスラム色を取りもどしている。
 ではなぜ、ウクライナを躊躇し、ロシアは仮想敵国なのか。やはり、安富氏のいうように、「正教」派の国家だからなのだろうか。映画の『戦争と平和』などでみるロシア正教の雰囲気は、確かにカトリック、プロテスタントとは多いに異なる。しかし、そうしたことが、これほどの軍事的敵対関係を生むものなのだろうか。この点は、まだまだ疑問として残る。私への宿題としたい。
 
第三に、芸術だけではなく、スポーツの世界でもロシア排除が進んでいる。今のところ、目立った芸術面ではゲルギエフくらいかも知れないがスポーツは、団体ごとどんどん拡大している。それに対してかつてのフィギュアの王者プルシェンコの抗議文も出ている。スポーツと政治を一緒にするべきでないという。ゲルギエフは、欧米で認められ、常任ポストももっているから、プーチン批判をして、マリンスキー劇場から追われるとしても、生活に困るわけではない。しかし、たくさんのスポーツ選手はどうだろうか。確かに、世界選手権レベルに参加するスポーツ選手は、亡命しても、受け入れ先があり、かえって自由な活躍ができるのかも知れない。しかし、ロシアスポーツが、選手養成システムまで含めて機能していることを考えれば、そこから離れることは難しいに違いない。特に、幼い時期から、国家の養成システムに乗ってきた一流選手の多くは、政治などはあまり関心がないという、事情通もいる。これは、日本のスポーツ選手でもあまり変らないとは思うが、ゲルギエフのところで述べたように、私としては、なんとなくしっくりこないのである。スポーツと政治を分離することは、とても大切であると思うのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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