ウクライナ情勢 危険なのはアメリカの動き

 ウクライナにロシアが侵攻すると、アメリカ中心のメディアがさかんに宣伝しており、ついにバイデンは、プーチンが侵攻の決定をしたとまで言い切ったようだ。しかし、こういう情報は、あくまでもひとつの見方に過ぎないことを注意しなければならない。20世紀からの歴史をみる限り、ソ連、そしてロシアが外国に侵攻した事例と、アメリカがそうした事例をみれば、アメリカが他国に軍隊を送って攻めたてたほうが、圧倒的に多いのだ。第二次大戦で、ドイツと競う形で国境沿い、その後の東欧諸国に侵攻したことを除けば、戦後は、ハンガリー、チェコ、アフガニスタン等、当然非難すべき事例ではあるが、形式的には同盟国からの要請を受けてという形になっている。少なくとも敵対国への侵入は、ほとんどない。
 他方、アメリカは、北ベトナム、アフガニスタン、イラク戦争については、明らかに同盟国ではない敵対国への武力侵攻である。こうした歴史をみれば、戦争意志をもっているのは、ロシアよりアメリカだと見るほうが、妥当ではないだろうか。

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悠仁親王作文とワリエワドーピング問題の共通性

 筑附受験騒動が、とりあえず合格発表で、一区切りついたと思ったら、今度は作文問題だ。本当に忙しいひとたちで、メディアのネタを提供してくれているという意味で、メディアからは大いに感謝されているに違いない。ということはさておき、この問題をどのように考えるか。
 とりあえず、事実経過を整理しておくと、
 お茶の水女子大附属中学のときに書いた作文「小笠原諸島を訪ねて」が、優れていると学校が評価したということで、北九州市主催の「子どもノンフィクション文学賞」に応募し、佳作となっていた。それが、中に含まれる文章のなかに、参考文献を明示しない引用があったということで、週刊誌が暴露した。そして、異例なことに、宮内庁を通して、不十分な点があったことを認め、指摘に感謝するという回答があったというのだ。そして、コンクールの条件として、参考文献の明示等、著作権法に規定されている内容が、注意事項として明記されていたとされる。しかし、作文コンクールの主催者からは、無効にはしないという決定があったと報道されている。

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ドーピング問題の本質はどこにあるか2

 今回のワリエワのドーピング問題は、まだまだ尾をひくことは確実だ。問題はいくつかの層からなりたっていると思われる。 
 第一に、ロシアという、民主的とはいいがたい国家特有の問題である。オリンピックに極めて熱心に取り組んでおり、IOCの支持を獲得している中国も同様だ。プーチンが語ったことが、示唆的だ。「スポーツは国民の団結力、愛国心を高める」とプーチンが今回の問題を念頭において、取材に応じて語っている。オリンピックを肯定する人も、また否定する人も、このことは十分に考えているだろう。肯定派は、だからスポーツを振興させよう、そのためにオリンピックは最適の機会だという。反対派は、スポーツ、そしてオリンピックがナショナリズムの高揚のために利用されると批判する。

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大学での単位認定 早稲田でのトラブルを考える

 早稲田大学のある授業で、オンライン講義での単位認定において、オンデマンドビデオを一度に複数ビデオを視聴していることが判明したので、単位を落したという報道がある。
 ビデオをきちんとみることが条件で、マシンを操作して、同時に複数のビデオを流すことができるようにしていることは、きちんと見ていないことが明らかだ、だから、授業を聴講したとはいえないという理屈である。それはそれなりに筋が通っているが、例によってコメントがたくさんついていて、賛否両論だ。
 事実だとしたら確かに問題だと思われるのは、その学部の学生で、春学期にも同様なことがあったが、そのときには、注意だけで単位は認定されたのに、秋学期に急に不合格にしたのは、継続性という点で問題があるという指摘があった。もし、なんの事前の説明もなく、対応を変えたのならば、確かに是認できないというのも理解できる。

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ドーピング問題の本質はIOCの商業主義にあるのでは?

 ワリエワのドーピング問題は、CASが競技に出場してよいという裁定を下して、一段落ついた形になっている。もちろん、競技がすべて済んだあとに、問題が蒸し返され、無効になるという可能性もあるのだろうが、とりあえず、ワリエワの出場する競技が済むまでは、一端休戦のような状態になるのだろう。
 それにしても、このドーピング問題は、不可解なことが多い。昨年12月の試合のドーピング結果が、なぜオリンピック期間中に出てくるのか。その後、無効、異議申し立ての繰り返しなどが起きている。非常におかしなことは、IOCが、ロシア反ドーピング機関による資格停止処分の解除に対して、CASに提訴したことだ。IOCは、オリンピックの運営機関であって、基本的にはそのすべてを決定する権限をもっているはずである。しかし、その判断を、自らするのではなく、CAS(スポーツ仲裁裁判所)に委ねたことだ。自らの責任を放棄したに等しい。そして、CASも、ルールを無視するような裁定をしている。

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「吃音は誰が直す?」を読んで

 毎日新聞に『「きつ音」は誰が直す?女の子が帰宅を拒んだ理由」という青山さくら氏(児童相談支援専門職員)の文章が掲載されている。興味深い内容だ。
 小学校5年生で、吃音の女の子が、担任に「家に帰りたくない」と言ったので、学校が児童相談所に連絡、筆者が呼ばれた。一時保護を考えたが、そのうち「帰りたい」といったので、一緒に家までいき、事情を聞いた。
 大きな家だったそうだが、英語力をいかしてCAをやっていた母親が、週3回英会話教室に通わせ、言語聴覚士に頼んで、吃音を直そうとしていたことがわかる。母親は、無理をさせていることはわかっているが、将来のために、親としてトレーニングさせることは当たり前のことだ、と筆者に語った。実は筆者も、吃音の傾向があって、教室に通った経験があったそうだが、そういう治療はほとんど効果がなかったようだ。

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悠仁親王が筑附の受験会場に

 懸案の悠仁親王の進学問題だが、当人が筑附の受験会場に現れて、どうやら受験をしたらしい。ネットでは既に多数のコメントで溢れているが、どう考えるべきなのだろうか。
 おそらく、世間の批判が強いので、とにかく受験をして合格したのだ、という形をとりたかったということだろう。提携校進学制度を活用するのならは、学力試験は免除されるといわれていたことが本当なら、このように、寒いなかわざわざ出向かせる必要もない。まさか、メディアが制度を誤解して報道したわけでもないだろう。やはり、形を整えたのだということに違いない。そして、実際に受験して合格したのだ、とアピールするのだろう。
 しかし、この問題をフォローしてきた者で、実力で合格したと考える者は、ほとんどいないに違いない。つまり、実際は、形だけの受験なのに、実質があるかのように振る舞うことに対して、更に批判が起きることになる。実際には合格が決まっていたのに、形だけでも受験をしました、と公表でもすれば、また世間の反応も違うかも知れないが、公表の仕方は、興味津々だ。

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ドーピング問題 指導者への罰が必要だ

 北京オリンピックは、審判の判定問題が多数でている。私は、基本的にオリンピック反対派なので、中継はみないが、報道で知る限りでは、近年になく不明朗な判定で揉めている印象がある。ジャンプのスーツ、スピードトラック競技の失格判定、平野のジャッジ。そして、今後もおお揉めになりそうなのが、ワリエワのドーピング問題だろう。まだ決着がついておらず、どうなるのかわからない。
 ロシアは国家的な関与が疑われて、ロシア国家としての代表派遣が認められないので、ROCなる組織をつくって参加している。ただし、これについては、「ドーピングをまったくしていない個人」という参加資格があるから、競技当日の検査でシロならよいというわけではない。

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5年前の雪崩事故で、引率教師が起訴 対象に疑問

 2017年におきた栃木県の高校登山部の、雪崩による死亡事故に関連して、当時引率していた教師が起訴されたというニュースが、各新聞に出ている。https://mainichi.jp/articles/20220211/ddm/012/040/096000c
 今年の2月に民事訴訟も起こされているが、5年も経過してからの起訴だから、かなり、起訴するかどうか揉めたと想像できる。当時の記事も読めるし、また、県が設置した第三者の雪崩事故検証委員会の報告書も、ウェブで読めるので、ざっと読んでみた。生徒7名と教師1名が亡くなった、痛ましい事故だったが、被害者の家族は、起訴でほっとしたと、新聞に語っているそうだが、起訴については、多少の疑問も感じざるをえない。
 事故は、以下のようなものだった。

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スキージャンプのスーツ失格問題 ひとりの厳しい審判の関与だったが

 スポーツは、ルールに基づいて行うものだが、服装に関するルールが厳しいものは、私はあまり知らない。科学が進歩すると、道具によって、成績が向上することがあるから、そのようなときに、道具に関するルールが設けられることがある。服装もその一種で、水泳の水着への規制が議論されたことは、記憶に新しい。夏のスポーツよりも、冬のスポーツは、服装や道具に影響される部分が多いと思われるので、ルールが細かいのかも知れない。ルールといっても、その判定も重要な要素となっており、判定が恣意的になったり、あるいは、人によって判断が異なったりすると、選手にとっては、大きな負担になるし、不利になることがある。
 北京オリンピックにおけるジャンプのスーツ問題は、近年になく揉めた例だろう。

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