懸案の悠仁親王の進学問題だが、当人が筑附の受験会場に現れて、どうやら受験をしたらしい。ネットでは既に多数のコメントで溢れているが、どう考えるべきなのだろうか。
おそらく、世間の批判が強いので、とにかく受験をして合格したのだ、という形をとりたかったということだろう。提携校進学制度を活用するのならは、学力試験は免除されるといわれていたことが本当なら、このように、寒いなかわざわざ出向かせる必要もない。まさか、メディアが制度を誤解して報道したわけでもないだろう。やはり、形を整えたのだということに違いない。そして、実際に受験して合格したのだ、とアピールするのだろう。
しかし、この問題をフォローしてきた者で、実力で合格したと考える者は、ほとんどいないに違いない。つまり、実際は、形だけの受験なのに、実質があるかのように振る舞うことに対して、更に批判が起きることになる。実際には合格が決まっていたのに、形だけでも受験をしました、と公表でもすれば、また世間の反応も違うかも知れないが、公表の仕方は、興味津々だ。
秋篠宮家のひとたちは、「世間」の反応、あるいは一般人の意識について、本当に勘違いが甚だしいと感じる。前にも書いたことだが、小室母の借金問題について、国民のほとんどは、借金自体を問題にしておらず、贈与だといいはったり、危急を救ってくれた人に感謝の念も表さなかったりということを批判しているのに、真子内親王は、小室家の人は、「借金などするひとたちではない」という感覚から、借金としては認めないように、小室圭氏に「指導」していたということを表明していた。
親王の進学問題についても、本人の自由意志を尊重すると、秋篠宮は語っているそうだが、「本人の自由意思」とは、何かが、まったくずれているようだ。親王が本当に筑附を希望したのかも知れないが、だから、「入れる」というわけではないことを、どうも考えていないらしい。将来の天皇なのだから、当然だと思っているとしても、国民の多くは、そのようには思わないだろう。
受験会場に徒歩で向かう親王が、画面に映されていたが、これはどういう状況で撮影したのだろうか。100%統制され、管理され、演出された映像である。本当に受験するだろうかと、張っていたカメラマンが偶然親王を発見して、撮影したというものでないことは確かだ。受験するから、ここらあたりに控えてくれ。そして、ここからここまで撮影してくれ、と予め決められていたのだろう。そうやって、「受験した」実績をアピールするわけだ。これまで、ほとんど学校生活を取材させなかったのに、突然こうした「配慮」をするのだから、背景が自ずとわかってしまう。ほんものの受験生たちには、さぞ迷惑なことだったろう。
さて、今回、当人が本当に筑附の入試問題に取り組んだとしよう。
本人にまっとうな考察力があれば、この学校が、自分のレベルにあう学校ではないことがわかるだろう。宮内庁は、親王が合格できる実力をもっていると、語っているらしいが、小室圭氏が司法試験に合格すると信じていたらしいひとたちだから、その判断力がまともでないか、あるいは本心は思っていなくても、合格すると公表すべきだと信じているかのどちらかだろう。
これまでの報道で明らかになっている事実を重ねれば、実力で合格できるレベルから、かなり遠いと判断される。そういう状況で、普通の感覚であれば、かなり苦しい学生生活を送ることになる。そういう状態におくことを、親として望むのだろうか。これほど子どもの意志を無視して、自分の夢(?)を押しつける親も珍しい。
また筑附として、そこまでして、受け入れる必要があるのか。本当に教育者ならば、こういう力で本学に在籍していても、あまり得るところがないと、説得すべきものだろう。筑附の掲示板(書き込む人は様々らしい)には、今年は受験しないほうがいい、という忠告がたくさん書かれている。確実に学校としての評価が落ちると思われる。
そもそも、高校は義務教育ではないのだから、高校にいく必要はないのだ。各界の一流の専門家を招いて、個人教授でも受けて学ぶということが、可能であるし、また、それが、古来もっとも優れた教育法と考えられたき形態である。本来の水準に達しないのに、裏口入学ではいるよりも、やはり足りなかったということで不合格にしてもらい、そして、個人教授に移行したほうが、よほど国民の受けがよいだろう。このままでは、入学しても、わからない授業に苦しむことは目に見えている。