「吃音は誰が直す?」を読んで

 毎日新聞に『「きつ音」は誰が直す?女の子が帰宅を拒んだ理由」という青山さくら氏(児童相談支援専門職員)の文章が掲載されている。興味深い内容だ。
 小学校5年生で、吃音の女の子が、担任に「家に帰りたくない」と言ったので、学校が児童相談所に連絡、筆者が呼ばれた。一時保護を考えたが、そのうち「帰りたい」といったので、一緒に家までいき、事情を聞いた。
 大きな家だったそうだが、英語力をいかしてCAをやっていた母親が、週3回英会話教室に通わせ、言語聴覚士に頼んで、吃音を直そうとしていたことがわかる。母親は、無理をさせていることはわかっているが、将来のために、親としてトレーニングさせることは当たり前のことだ、と筆者に語った。実は筆者も、吃音の傾向があって、教室に通った経験があったそうだが、そういう治療はほとんど効果がなかったようだ。

 そして、後半には、周囲の働きかけはあまり効果がなく、筆者も、自分なりに工夫したことのほうが、効果的だったようなことが書いてある。筆者は左利きもかなり強制的に直させられたそうだ。
 結局、この女の子については、その後あまり接点がないようなので、文章としては中途半端だが、考いろいろと考えさせる。
 
 この手の話を読むと、いつも、サドベリバレイ校の教育を思い出す。サドベリバレイ校は、ボストン近郊にある、一切のカリキュラムがなく、登校したら、すべてのことを自分で決めるという学校だ。現在多くの国に広まっており、日本にも7,8校存在している。どこの国のサドベリバレイ校も、同じような状況かはわからないので、あくまでもアメリカの最初のサドベリバレイ校に関する話と理解してほしい。
 創設者のグリーンバーグ氏は、サドベリバレイ校には、学習障害が存在しないと言い切っている。学習障害というのは、氏によれば、強制的に何かを学ばなければならないというストレスから、生じるもので、サドベリバレイ校では強制的に学ばせられることは一切ないので、そうしたストレスそのものが存在しない。だから、学習障害は発生しないのだというわけだ。
 確かに吃音は、緊張によって起きたり、ひどくなったりすると思われる。
 
 しかし、読字障害などはどうだろうか。確かに、サドベリバレイ校では、読むという行為を強制されないのだから、まったく人前で読まない子どももいるに違いない。そうすると、読字障害だとしても、学校内では現れないだけで、実際にはなっている可能性もある。むしろ、現れないだけ、直ることも遅くなってしまう可能性もあるのではないか、という疑問が生じる。
 それに対して、グリーンバーグ氏は、次のように説明している。
 もし、まったく文章を読まないまま、つまり読むことができないまま卒業する生徒がいるならば、そうした隠れた読字障害が存在するともいえる。しかし、卒業生のなかで、読むことができないまま卒業した生徒はいないというのである。読み始めることの早い生徒と遅い生徒はいる。遅い生徒はかなり遅い場合もあるそうだ。実際に、グリーンバーグ氏の子どもも、長男は早熟で、非常に早い段階で読み始めて、知的関心が高かったが、弟は、なかなか文字に興味を示さず、中学生になるような年齢になっても、まったく文字を読もうとしなかったそうだ。さすがに、いくら教育方針とはいえ、文字を教師や親が教えるべきではないかと、さかんに忠告されたそうだが、グリーンバーグ氏は、そのうち興味を示すという確信を曲げなかったという。そうして、確かにそのうちに、文字に関心をもつようになり、卒業する時点では、まったく問題なく、他の生徒たちにまったく劣らない程度に、読む能力を身につけていたということだ。要するに、強制して学ばせても、進度は遅々としているし、すぐに忘れてしまう。しかし、本人が、本当に必要性を感じたり、あるいは学びたいと思ったときには、いかなることでも、非常に速く学習が進み、忘れることもない。そして、集団のなかで自由に生活して、やりたいことを掘り下げているし、そうした友人に囲まれている以上、社会にでてから必要となることについては、いつか、かならず自発的に学ぶようになるというのである。
 従って、読字障害であるにもかかわらず、それがわからずに卒業していった生徒はいないというのは、おそらくそうなのだろう。
 
 これは、学習障害という領域に限定されず、学習そのものについてもいえることでもある。親が勉強しろ、勉強しろと常に言い続ければ、子どもが確実に勉強嫌いになるものだ。東大生になった子どもの親は、子どもに対して、ほとんど勉強しなさいということはない、というのは、ほぼ調査で明らかになっている。親自身が、楽しそうに学んでいれば、子どもも学びの楽しさを、自然に身につけていくわけだ。そして、わからなかったり、できないことを、責めないことだ。
 おそらく、吃音になったり、直らない子どもは、うまく話すことができないことに、大人がネガティブな態度をとってしまうのだろう。だから、それがストレスになり、ますますうまく話せなくなってしまうに違いない。
 
 カラヤンのドキュメントビデオの中で、子どものころからカラヤンを知っていて、カラヤンに重用されたクリスタ・ルードヴィッヒというメゾソプラノ歌手が、面白いことをいっている。
 カラヤンは、あまり発音が明瞭ではないので、実はなにをいっているのか、よくわからないことが多かった。しかし、偉大な指揮者なので、だれもそのことをいわず、わかっているかのように振る舞っていたというのだ。しかし、カラヤンは、若いころから、うまくしゃべれない、おそらく吃音の傾向があったのだろう、自分では気にしていたらしく、いろいろと努力をしていたというのだ。だが、あくまで自分が気にしていて、なんとかうまく伝える方法を考えだそうとしていたのであって、まわりが忠告したり、直せと要求していたわけではない。カラヤンが若いころ、音楽監督をしていたアーヘンの歌劇場の演出家だった人の娘がルードヴィッヒだったので、そうした事情をよく知っていた。
 カラヤンのインタビューをみていると、ゆっくり話している。しかし、リハーサルでは、すごく早口だ。身振りと合わせて、意図を伝えていることと、練習が極めて緊張したものなので、早口だからかえって吃音になる間がない感じなのだ。それらが、自分なりに工夫した結果として、場面ごとの対応を身につけることで、コミュニケーションを実現していたといえる。「何をいっているかわからない」というのも、最終的には、指揮という、まったく言語を使わない伝達をする人だったので、指揮にあわせればいいと、楽な気持ちだったのだろう。
 
 まわりが、一般的には弱点と思われることを、受け入れ、認めれば、それだけで改善されるか、あるいは、現れないことが多いのではないか。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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