ドーピング問題の本質はIOCの商業主義にあるのでは?

 ワリエワのドーピング問題は、CASが競技に出場してよいという裁定を下して、一段落ついた形になっている。もちろん、競技がすべて済んだあとに、問題が蒸し返され、無効になるという可能性もあるのだろうが、とりあえず、ワリエワの出場する競技が済むまでは、一端休戦のような状態になるのだろう。
 それにしても、このドーピング問題は、不可解なことが多い。昨年12月の試合のドーピング結果が、なぜオリンピック期間中に出てくるのか。その後、無効、異議申し立ての繰り返しなどが起きている。非常におかしなことは、IOCが、ロシア反ドーピング機関による資格停止処分の解除に対して、CASに提訴したことだ。IOCは、オリンピックの運営機関であって、基本的にはそのすべてを決定する権限をもっているはずである。しかし、その判断を、自らするのではなく、CAS(スポーツ仲裁裁判所)に委ねたことだ。自らの責任を放棄したに等しい。そして、CASも、ルールを無視するような裁定をしている。

 北京オリンピックは、とくに審判に属することに、あまりに多く不可解なことが起きている。そこに感じるのは、中国政府への忖度と、そこにIOCも同調しているということだ。
 東京オリンピックでも、IOC、特にバッハ会長の言動は、非難の的になっていたが、それは、北京オリンピックでも変わらないように思われる。なんとていっても、セクハラを訴えて、その後行方不明になったテニスの彭帥選手が、なんら問題ではないという中国政府の宣伝に片棒を担いでしまったことだ。それは2回に渡っている。来日したときにも、日本への感謝を述べるところで、中国といい間違えたりしたが、とにかく、オリンピックに最大限の協力をしているらしい中国への追随振りは、半端ではない。「ぼったくり男爵」というワシントンポストの非難は、正鵠を穿っている。
 IOCは、いかにも、マリエワの失格を無効にしたロシア反ドーピング機関の決定に異議を唱えているようにみえる。そうせざるをえなかったのだろう。しかし、当然責任団体としての決定を回避して、他の組織にまわせば、まわされた組織は、IOCが、失格決定をしたくなかったのだ、と解釈するだろう。まわされたCASは、16歳条項をもちだして、とりあえずマリエワ、というよりは、その失格によって打撃をうけるはずの北京オリンピックを救うという意図なのだろう。
 しかし、この決定は、16歳未満ならドーピングをしてもいいのだ、という対応を引き出す可能性がある。保護されるべき年齢なのだから、通常適応される失格をされないというのであれば、16歳未満のドーピングを容認したのと同じだ。そうして摘発された選手が、ワリエワは許されたし、その際の基準は16歳未満は保護されるべきだというものだったはずだ。自分も保護してもらう権利があるといわれたらどうするのたろうか。非常に禍根を残す措置といえるだろう。
 では、なぜそのように、批判される対応になったのだろうか。私が想像するには、IOCが、北京オリンピックの大スターの一人であるワリエワを去らせたくない、ワリエワがいなくなったら、残りの女子フィギュアの魅力が大きく減退する。テレビの視聴率にも影響するだろう。中国、そしてロシアへの配慮もある。そうしたIOCで、自ら失格の判断を回避したことを、敏感に察知したCASが、出場資格はあるという裁定を下したのだろう。
 ドーピングを禁止する最初の意図は、ドーピングによって、競技中に亡くなった選手が出たことだった。長い目でみれば、健康を害することは明らかだろう。競争の公正さ担保も重要ないみがある。そうしたドーピング禁止の基本的精神を、再度確認する必要があることを感じさせた大会だが、こうした不当な決定や、数々の疑惑の審判の判定などをみても、もはやオリンピックそのものの存在意義への疑問がますます大きくなる。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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