先の日曜日の朝、本の少しだけ日テレのニュース解説番組を見たら、ある人が「これだけ新型コロナウィルス問題の解決が急がれているとき、いつまで「桜」のことをやっているんでしょうね。」と野党の国会での活動に疑問を呈していた。野党のやり方が賢いとは思わないが、桜問題と、最近つとに国際的に非難されるに至っている新型コロナウィルス対策の不十分性とは、「同じ根」なのである。だから、このふたつは、同時に追求する必要がある。その番組では、次に東京検事長の定年延期が閣議で決定されたことについて、少しだけ話題が飛び、「閣議で決めたのだから、正しいのでしょうが」などと、間の抜けたコメントをある人がしていた。閣議で決めたのならば、なんでも正しいのか。近年、閣議でひどく違法なことを決める回数が増えている。そして、自民党や検察庁においても、このことにはふれたくないという雰囲気があるという。あれほど明確な違法行為は、滅多にないと思うのだが。
こういうことには、ほぼ一貫した安倍内閣の姿勢かあるといえる。それは端的にいえば、自分に近い人、支持してくれる人には、極めて厚く待遇するが、そうでない人に対しては、それがたとえ、大きな災害であったとしても、非常に冷遇するということである。 “新型コロナウィルス対策への疑問 費用負担をめぐって” の続きを読む
月別: 2020年2月
最終講義7 去るにあたって。質疑応答
最後に大学を辞めるにあたって、文教大学に対する注文をしておきます。
まずは、AIが進歩していますので、それを最大限使って、教育や研究の革新をすべきであるということです。そういう点で、大学にしても、また教員にしても、まだまだ不十分ではないかと考えています。
人間科学部の教授会資料を、谷口学部長のときに、ペーパーレス化しまして、これは非常に大きな進歩だったと思うのですが、実は、その前から、僕は情報センターの委員をやっていまして、情報センターの委員会で何年も、そのことを主張していたのですが、情報課が一番反対なんですね。だから、全く進みませんでした。意外でしたが。情報課としては、そういうことに反対であるというよりは、アクセス過多になって、wifiがパンクすることを心配していたようですが、実際にやってみたら、そういうことはない。
それから、先程述べたように、障害をもっている学生に対する取り組みが不足しているのではないか。 “最終講義7 去るにあたって。質疑応答” の続きを読む
最終講義6 聴覚障害の学生への取り組み
ノートテークに関する取り組み
最後に聴覚障害の学生のための取り組みです。私が受け持った講義で、聴覚障害の学生は4人いました。人間科学部の学生が3人、教育学部の学生が1人でした。
私が大学で初めて教えたのは、埼玉県の東松山にある大東文化大学というところなのです。担当科目は教育原理でした。その最初の授業に、比較的前の方の関に数人固まっているグループがありまして、そのなかのある学生たちが、後ろをむいて、手をふって、いかにもぺちゃくちゃ話しているように見えたのですが、注意しようかとは思いましたが、それはやめて、一応みていていました。授業が終わったあと、その学生たちがやってきて、「実はこのひとは耳が遠いのです、手話で伝えていたんだけども、それだけでは不十分で、FMマイクがあるので、そのマイクを手にして、授業をしてくれないか」と言われたのです。ああそうだったのか、「やりますよ」といって、次の授業から、FMマイクと通常のマイクをふたつもちながら、講義をしました。聴覚障害のひとは耳が聞こえないわけですから、講義はわからないわけです。必ず何らかの方法で援助しなければならない。その大東文化大学の学生は、強度の難聴ですので、手話と特別なマイクを使っていたわけです。大東文化大学では、手話サークルが盛んで、こうした講義での手話通訳を充分にできるレベルだったそうです。 “最終講義6 聴覚障害の学生への取り組み” の続きを読む
最終講義5 自伝と卒論
卒業研究
卒業論文、今は、卒業研究ということになっていて、論文以外でもいいのですが、ほとんどの人は卒業論文を書いています。卒業研究になったことは、とても積極的な意味があると思っていて、論文でなくてもいい、それから、共同研究を認めるという形になっているのですね。私も共同研究をおおいに勧めていましたが、なかなかやらないですね。演習で共同研究をしているので、卒業研究では、個人でやりたいということかも知れません。パフォーマンスでも一応いいことになってはいるのですが、実践した学生はまだいないとおもいます。
基本的に卒業論文にむかうときの、私の基本姿勢は、この学生たちは、研究者になるわけではない。研究者になるわけではないから、論文としてりっぱであることは求めない。いまは、大学院にいっても、修士論文くらいまでは、学術論文として認められることは、滅多にないわけです。修士課程でも修行時代みたいなもので、博士課程にいって書く論文が、ちゃんとした論文であるということだと思うのです。まして、学生であれば、そういうものは求めない。 “最終講義5 自伝と卒論” の続きを読む
最終講義4 演習でめざしたこと
次は演習です。
人間科学の基礎
まず「人間科学の基礎」です。人間科学部創設以来、ずっと1年生の必修科目として置かれていました。ただ、私は人間科学科にいたころには、たまにやっていたのですが、実は、どうやっていたか、よく憶えていないのです。臨床心理学科になって、当初は、私は担当していませんでした。というのは、私は一年生科目をたくさん担当していたのです。一年生とあまり接していない先生がやったほうがいいということで、私は、当初やっていなかったのですが、そのうちに、学科長が変わりまして、ローテーションにしようということなりました。それで2,3年に一度まわってくることになりました。臨床心理学科にいるけれども、まったく専門外である私が、臨床心理学科の学生の、最初のトレーニングをする演習科目で、どうしようかと相当考えました。臨床の専門の先生であれば、いろいろな技法を御存知なわけですから、いかにも、臨床心理的なことを、いろいろやれると思うのですが、私の場合には、まったくそういうものはないので、どうしようかということです。何ができるか、それは本を読むことだけだ、という考え、「人間科学の基礎」では、ただひたすら本を読みました。 “最終講義4 演習でめざしたこと” の続きを読む
最終講義3 評価のための工夫
評価のための工夫
授業が終わるとレポートを課したり、試験をしたりすると思うのですが、既に説明したように、掲示板を重視していましたから、レポートはあまり課しませんでした。ここでは、たぶん他の先生はやっていないだろうと思われることに関して、また自覚的な試みとして行ったことについて説明します。
まずテストです。ここにいる人も、私のテストを受けた人がいるかと思うのですが、たぶん、似たやり方をしたテストは、他にはなかったでしょう。私は、教育学概論という科目でのみ試験をして、他は一切テストをしませんでした。しかし、このテストのやり方は非常に奇抜でして、経験した人はよく憶えていると思います。何が違うかというと、3問必ずだします。論文の形式です。普通は書けない量です。かなり難しい論述で、普通の人でも2題書ければいいような問題です。その時間内で書かねばならないということですが、逆に、評価は厳しいものではなく、完璧に書けていなくてもいい。時間の制限もありますから、そこは考慮しながら採点はします。そして、3問のうち1問は、だしてほしい問題があるかを、事前に学生に聞きました。自分でだしてほしい課題ですから、当然書きやすい。だから、たくさん出てくるかと思うのですが、意外に出てこないですね。 “最終講義3 評価のための工夫” の続きを読む
最終講義2 予習・討論を促す試み
予習を促す試み
それで、これから、具体的にどうやってきたかということですが。まず最初に予習を促すための作業についてです。これはいろいろとやりました。
予習をしてもらうためには、教材がなければならない。簡単な方法としては、テキストを指定して買わせる。私は、どうも学生にテキストを買わせることに躊躇がありました。アメリカの大学では、100人の履修学生がいて、テキストを指定すれば、そのテキストを100冊大学が用意して、図書館に置いてくれるというのですね。そういうことは、日本の大学ではとうてい望めないので、自分で作るしかない。それで、授業の一回分くらいのものを、私が作文しまして、プリントを作って、研究室のドアの脇に、レターケースを置いて、2,3日前にプリントを入れておく。必ず事前にとって、読んで授業にでなさい、と言っていたわけですが、実行してくれた学生は、少数はいましたが、少数しかいない。僕が授業にでるために、ドアをあけて出ようとすると、そこに学生がたくさんプリントをとりにきているわけですね。だから当日とって、授業中読む、読みながら聴くという学生が多くて、予習にはなっていない。 “最終講義2 予習・討論を促す試み” の続きを読む
最終講義1 知的能力向上
1月25日に行った最終講義を、何度かにわけて掲載します。実際の講義そのままではなく、若干読みやすくする変更はしてあります。
最終講義の意図
ただいま紹介にあずかりました太田です。今日は、お忙しいところ、わざわざおいでいただき、ありがとうございます。最終講義というのは、最初は、やる気なかったんですけど、それでは、まずいかなと思いました。それでやることにしました。通常は谷口先生がやられるように、研究に関することを話すことが多いかと思うのですが、私は教育学者ということもありまして、教育学を研究しつつ、大学での教育活動をどうしていくかということは、絶えず考えていましたので、テーマに書いてあるように、「文教大学の教育活動で目指したこと」を、テーマにして話そうと思いました。めざしたことをひと言で言えば、「学生諸君の知的能力を向上させる」、そのために、「できることはなんでもやる」ということでやってきた。それを具体的にどういう風にやってきたか、どういう成果があったのか、あるいはなかったのかということについて、お話したいと思います。 “最終講義1 知的能力向上” の続きを読む
野村ノート(再論)
昨日、野村ノートの出版を望むと書いた。野村の書いた本を何冊か読んだが、念のためアマゾンをチェックしていたら、『野村ノート』という本が出版されていることがわかり、野村が日頃つけていたノートだというので、早速購入して読んでみた。しかし、予想通り、それは私のいう野村ノートではなかった。確かに、野村ノートを元にしているのだろうが、これはあくまでも、野村が書いた著作だ。私が考えているのは、野村のつけていたノートをそのままコピーするなり、写真製版したものだ。もちろん、だれかの解説が付されているほうがよいが、そのままでもよい。そんなものより、本人が書いた、整理された内容があればいいではないか、と思う人も多いかと思うが、やはり、取捨選択してかみ砕いたものは、たとえそれが本人が書いたものであっても、別物であり、オリジナルの書きつけたものには、それだけの価値がある。
音楽の世界で考えてみると、その違いがよくわかる。
たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタの楽譜は何種類も出版されているが、実はみんな同じではない。音符そのものはほとんど違いはないとしても、強弱に関する記号、指使い、スラー、ペダルなどは、けっこう違いがあるのだ。 “野村ノート(再論)” の続きを読む
野村元監督の死 野村ノートの出版を願う
子どものころは、東京育ちだから普通に巨人ファンであったので、パリーグの試合を見ることは、駒沢球場がなくなってからはほとんどなかった。オリンピック会場が建設される以前は、駒沢には東映フライヤーズの本拠地の駒沢球場があり、そこはよく見に行った。小学校時代、友達とだ。思い出に残っているのは、山本八郎という捕手がいて、直ぐに暴力を振るって退場させられることが多かったのだが、その現場を2度くらい見た。また、近くにある合宿所で、新人のときの張本にサインをもらったこともあった。当時、新人の張本をよく知らなくて、ただうろうろしていただけなのだが、張本がこっちこいといって、自発的にサインをしてくれたのだ。小学生なので、ありがたみもわからずに、そのサインはすぐにどこかにいってしまったのだが。
そんななか、野村が出る試合を一試合だけ見たことがある。後楽園で巨人とのオープン戦で、どういう事情でチケットを手にいれたのか、まったく憶えていないが、ネット裏の特等席で、野村を間近に見たことははっきり憶えている。もちろん、まだばりばりの現役キャッチャーだった。長島や王が目当てだったが、ネット裏だったから、野村のほうが印象に残った。 “野村元監督の死 野村ノートの出版を願う” の続きを読む