ジプシー男爵序曲の聴き比べ カラヤンとクライバー

 ヨハン・シュトラウスの「ジプシー男爵序曲」の聴き比べをしてみた。カラヤン2種とクライバー。いずれも、ライブの録画で、しかも、カラヤンの映像ソフトとしてめずらしい部類だが、ライブそのものなので、ヘンテコリンな楽器群の映像が一切ない。実際に、ライブ会場でカメラが撮ったものだ。今のライブ映像としては当たり前だが、カラヤンの映像のほとんどは、演奏はすべて後撮りか、ライブ映像でも部分を使用し、後で、指揮姿とか楽器群毎に撮ったりする。特定の日時のコンサートライブの映像は、カラヤンに関しては、今回紹介する以外では、ベルリンフィル100年記念演奏会の「英雄」、何度かのジルベスターコンサートくらいしかない。そして、共通することは、いずれのライブも非常に評価が高いという点である。生前の評価とは全く違って、カラヤンは録音よりもライブを重視する指揮者だったことがわかる。
 視聴したのは、
1983年、ベルリンフィル・ジルベスターコンサートのカラヤン指揮
1987年、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのカラヤン指揮
1992年、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのクライバー指揮
である。いずれも文句のつけようのない名演奏であって、比較するのも変な話だ。好き嫌いで選ぶものだろう。 “ジプシー男爵序曲の聴き比べ カラヤンとクライバー” の続きを読む

シューマンのマンフレッド序曲 フルトヴェングラーの名演

 チェリビダッケから始まって、いろいろと昔の指揮者について書いたが、再度フルトヴェングラーについて書きたい。あまりフルトヴェングラーが好きではないのだが、フルトヴェングラー以外の演奏は聴けない、というほど気にいっている曲がひとつだけある。脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』(岩波新書)で、丸山真男が、フルトヴェングラーの演奏には、フルトヴェングラーもいいが、他の演奏もいい、というのと、フルトヴェングラーじゃなきゃだめだという二種類があると語っている。単純に、フルトヴェングラーのはよくないというのもあると思うが、そういうものは、ここに集まった3人にはないようだ。ただ、私にも、フルトヴェングラーじゃなきゃだめだというのが、彼らとは違うが、ひとつだけあるので、それを書きたい。
 そもそも、この曲は、**の演奏でないとだめで、他の演奏を聴くとみんながっかりする、というほどの名演奏というのは、それほどあるものではない。この曲は、**の演奏がベストだというのは、いくらでもあるだろう。しかし、セカンドでもけっこういいのがあるというのが普通だ。もちろん、そこまで気に入るのは、その人の趣味も反映していると思う。私にもいくつかそういうきがある。ホロヴィッツの「クライスレリアーナ」(シューマン)、ハイフェッツの「ツィゴイネルワイゼン」(サラサーテ)、ポリーニの「練習曲集」(ショパン)、ワルター「大地の歌」(マーラー フェリア盤)、アバド「シモン・ボッカクグラ」(ヴェルディ)、カラヤン「蝶々夫人」(プッチーニ フレーニ盤)などである。 “シューマンのマンフレッド序曲 フルトヴェングラーの名演” の続きを読む

フルトヴェングラー、バイロイトの第九 徳岡直樹氏の見解は?

 最近、作曲家で指揮者の徳岡直樹氏が、youtubeで連続的に行っているヒストリカルレコードの分析に少々はまっている。そのCD収集と詳細な分析には、まったく恐れ入るという感じで、とにかく面白い。ただ、CDを紹介するだけではなく、触りでもかけてもらえるといいのだが、著作権の問題があるのだろうか。
 そのひとつとして、フルトヴェングラーがバイロイト音楽祭の戦後復活の前夜祭として行った第九(ベートーヴェンの第九交響曲)の分析を行っている。こうしたことに興味のある人には、有名なことだが、バイロイトの第九は、人類の至宝と評価され、クラシック音楽の録音の最高峰と位置づけられている。はじめてこの録音を聴いた人は、まず例外なくショックを受けるだろう。私も高校生のときに聴いて、同様な思いをした。ただし、今では、滅多に聴かないし、第九のベスト録音とも思っていない。ショルティなどは、かなり辛辣に評価しているそうだ。
 この実演が行われたのが、1951年。フルトヴェングラーが亡くなったのが、1954年。最初のレコードが死後発売され、以後第九の王者として君臨した。しかし、2007年に、ORFE D’ORから、バイエルン放送協会に保存されていた別テイクの第九が発売され、以後大論争になった。そして、いまだに結論が出ていないのだが、それに対して、徳岡氏が自身の見解を述べたのが、上記のyoutubeである。 “フルトヴェングラー、バイロイトの第九 徳岡直樹氏の見解は?” の続きを読む

チェリビダッケのリハーサル3

 チェリビダッケは、映像などを見れば見るほど不思議な人物に思えてくる。そういう意味では、カルロス・クライバーと双璧だろう。クライバーは、父親の反対を押し切ってまで、指揮者になったのに、指揮することを拒むような指揮者になっていった。小沢征爾は、クライバーのことを、「彼は、いつも、予定された演奏会を、どうやったらキャンセルできるか、その理由を探していた」と述べている。本当にささいなことで、キャンセルしている。ベルリンフィルを初めて指揮することになっていたときに、「新世界交響曲」の楽譜を、新しく買ってほしいと事務局に注文を出し、新しい楽譜に、自分の注意書きを転記してほしいのだと言い添えた。ところが、事務局では、その要求に応えるには時間がかかりそうだということで、いつも使っている楽譜(パート譜のこと)にある書き込みをきれいに消し去って、とりあえずきれいな状態にしていた。ところが、早めにやってきたクライバーは、そのパート譜を見たとたんに、新しくないではないかと憤って、そのまま帰ってしまったというのである。予定通り、演奏旅行から帰って、練習会場にやってきたメンバーを待っていたのは、指揮者がいない状況だった。そうした事態を引き起こした事務員は、カラヤンに、このような対応で間違っていたかと質問したところ、カラヤンは、まったく問題なかったはずだ、パート譜はきれいになっているし、と答えたそうだ。次にクライバーが指揮することになったときには、この事務員を、クライバーから目につかないところに退避させたという。 “チェリビダッケのリハーサル3” の続きを読む

チェリビダッケのリハーサル2

 「チェリビダッケのリハーサル1」を書いてから、いくつかチェリビダッケの演奏を聴いてみた。
 チェリビダッケはレコーディングをまったく許さなかったという点で、他に存在しない指揮者だった。レコーディングが嫌いな指揮者は、カルロス・クライバーなど他にもいる。しかし、クライバーは、CDでは12枚分の正規録音を残しているし、映像は、正規に許可したものもいくつかある。ただし、死後、自分のライブ録音を市販することを、厳格に禁じる遺言を残していたらしい。だから、私の知るかぎり、死後表れたライブ録音の製品化は、皆無ではないが、極めてわずかだ。「ばらの騎士」「椿姫」「ボツェック」などだろう。しかし、これらは、ファンから真っ先に望まれている音源とはいえないところが、不思議だ。クライバーファンが望んでいるのは、おそらく、バイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」、ミラノでの「オテロ」と「ボエーム」などだろう。もちろん、いずれも鮮明な録音で残れされているはずである。とにかく、クライバーは生前は僅かだが、正規のレコーディングを残した。(しかし、晩年は演奏そのものをしなくなったし、セッション録音は、かなり早い時期からしないようになって、発売されるものはほとんどがライブ録音になった。)しかし、死後、録音されているライブを絶対に発売しないように禁止した。 “チェリビダッケのリハーサル2” の続きを読む

チェリビダッケのリハーサル1

 チェリビダッケのDVDボックスが格安で売られていたので、入手して、リハーサルを見た。ミュンヘン・フィルとのブックナーの交響曲9番である。また、クラシカジャパンで放映されたベルリンフィル復帰コンサートの7番を再度見直した。
 率直にいって、私はチェリビダッケは好きではない。どちらかというと嫌いな指揮者だ。よくあるパターンで、あのテンポの遅さに耐えられない。また、指揮者としては理論派で、とにかく哲学的な内容をオーケストラ団員にも長々と語る。オーケストラの楽団員にとっては、そういうお話は、有り難くない。むしろ、うんざりするのが本心だろう。ベルリンフィルとのビデオでは、現在は引退した古い団員のチェリビダッケに関する思い出話がかなり出てくる。チェリビダッケがベルリンフィルを指揮していたころは、当然20歳前後の若手だった。チェリビダッケが団員と軋轢が生じたのは、主に古参団員との間だったようで、若手には人気があったそうだ。フルトヴェングラーがナチ協力の疑いで、演奏禁止されていた時期、ほとんどの演奏会をチェリビダッケが指揮していた時期もあったようだし、結局、フルトヴェングラーの死の直前に、最終的な決裂をして、ベルリンを去るまで、絶対的な指揮者であったフルトヴェングラーよりずっと多くの演奏会を指揮していたはずである。しかも、最初にベルリンフィルを指揮したときには、まだ音大を卒業したばかりで、実際のオーケストラを指揮した経験がほとんどなかったというのだから驚きだ。あの時代でなければ、絶対になかったチャンスだった。しかし、ものすごい勉強で、ほとんどの曲を暗譜で指揮したという。しかも、かなりベルリンフィルとしても新しいレパートリーも含まれていた。 “チェリビダッケのリハーサル1” の続きを読む

蝶々夫人のオリジナル版

 昨年二期会の「蝶々夫人」を聴きにいったので、多少このオペラに関心が高まっていた。私はプッチーニは、「ボエーム」以外はあまり好きではないので、「蝶々夫人」も敬遠してきた。だから、いまだに細かいところまで理解ができていないのだが、リッカルド・シャイーが「蝶々夫人」の第一稿による公演をして、それが市販されていることを最近知り、アマゾンで購入して早速聴いてみた。
 オペラ好きの人には、よく知られていることだが、今日名作とされて、頻繁に上演されているこのオペラも、初演は大失敗で、一日だけで引っ込めてしまい、2カ月後に改訂版を上演して成功をおさめたとされている。初演を指揮したのは、著名なトスカニーニで、彼の忠告で2幕構成を3幕構成に改訂して、今に至っている。
 演奏はミラノのスカラ座のもので、歌手、指揮、オーケストラすべて優れている。演出もなかなかよかったが、私の興味はバージョンなので、そこに絞って書く。HMVのレビューで村井翔氏が、第一稿がもっとも優れているとずっと思っていたと書いているが、音楽よりは、劇の進行上、第一稿のほうが多少合理性があるように感じる。ただ、音楽という点では、「ボエーム」はどこをとっても魅力的な音楽だが、「蝶々夫人」はけっこう退屈な部分があるので、より長い第一稿は、まだすっと入っては来ない。唯一、何度も聴く第一幕最後の二重唱は、多少違う部分があったが、改訂版(通常演奏される)のほうが優れているように感じた。 “蝶々夫人のオリジナル版” の続きを読む

ワルターのリハーサルCD

  ワルター・コンプリートで一番ほしかったのは、モーツァルトのリンツ交響曲のリハーサルだ。私は、コンプリートに入っているものは、実はほとんどもっているのだが、これがほしくて注文した。1955年に録音されたリンツ交響曲のリハーサルを録音したもので、発売当時は、リンツのレコードのおまけとして付けられたと、何かで読んだことがある。おまけだから、その後再発売されることはなく、幻の録音だった。今では、リハーサルを商品化したものは、いくつもでているが、これがおそらく最初のものだったのではないだろう。カラヤンの第九のレコードやベームの「トリスタントイゾルデ」全曲盤の余白に、リハーサル風景がついているというようなことがあったと記憶するが、おそらく、これだけの量の録音が添付されることはなかったし、現在でも稀である。実際に90分以上で、しかも、各楽章の最初の練習がだいたい納められている。
 リハーサルが市販されるようになったのは、映像メディアが流通するようになってからである。カルロス・クライバーの有名な「こうもり」と「魔弾の射手」のリハーサルも最初はLD(レーザーディスク)で発売された。これも当初は、テレビ放映用に撮影されたもので、市販することが計画されていたわけではないと思われる。ほとんどのリハーサル録音・録画は、実際の録音の準備として行われるものを、録音・録画したものだから、当然、本番とセットになっている。ワルターのものも同様である。私の知る限り、唯一の例外として、リハーサルのみが製品となっていて、本番がついていないのは、アバド指揮によるヴェルディの「レクイエム」だ。リハーサルが苦手で、下手であるという評判のアバドが、リハーサルだけの製品をだしているのは、面白い。
 さて、ワルターのリンツのリハーサルだが、当時から「演奏の誕生」という題が付けられていた。 “ワルターのリハーサルCD” の続きを読む

音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD

 多くの人は、自分の音楽的感性を、最初に聴き込んだ人の演奏によって形成するのではないか。またクラシック音楽では、同じ曲でも多数の演奏があるが、好きな演奏は、多くがやはり最初に繰り返し聴いた演奏である。私の場合は、ブルーノ・ワルターだった。ブルーノ・ワルターといっても、知らない人が多いと思うが、1960年に亡くなった指揮者で、ユダヤ人であったために、ヨーロッパからアメリカに亡命して、戦後なんどか演奏旅行にヨーロッパに出かけたが、ずっとアメリカに住んで活動した。アルトゥール・ニキシュが亡くなったとき、ベルリン・フィルの地位を継ぐのはワルターだと言われたのに、フルトヴェングラーに決まったのだが、これは、フルトヴェングラーがかなり裏で工作をした結果だと言われている。ミュンヘンのオペラの音楽監督も、ナチの信奉者であったクナッパーツブッシュによって追われたと言われているので、政治的感覚はほとんどなかった、純粋芸術家だったのだろう。戦前最も優れたワーグナー指揮者であったが、バイロイトには一度も登場していない。ユダヤ人であったことがもちろんその理由だが、さすがにバイロイト側も、ワルターを無視することはできず、リストの娘であり、ワーグナーの妻だったコジマが、ワルターを招いて面接のようなものをしたときがある。そのときコジマが、ヴェルディのオペラをどう思うか、と質問し、当然のように、ヴェルディは素晴らしい作曲家だとワルターは答えたが、ヴェルディを好きな指揮者など、バイロイトには不要だ、とそのまま呼ばれることなく、ワルターはアメリカに去った。もちろん、ヴェルディを高く評価しているから呼ばれなかったわけではない。その証拠に、ヴェルディを神のように尊敬していたトスカニーニは、何度かバイロイトで指揮をしている。このトスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターを20世紀前半期の三大指揮者と、通常呼んでいる。
 私は、小さいころから、ワルターのレコードで音楽を聴くようになって、現在でもワルターファンである。演奏の特徴等は別の機会にして、今日、ワルターの旧コロンビアに録音したすべてを集めたコンプリートが届いたので、レコードとCDについて考えてみた。 “音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD” の続きを読む