本日はちょっと気楽に、カルロス・クライバーに関することを。
これまでオーケストラ演奏の映像でもっていないものがけっこうあって、アメリカ発売で安いものがあったので購入した。これで、CDとDVDで、正規に録音・録画されたものは全部そろった。海賊版を購入する趣味はないので、そもそも海賊版をほとんどもっていないが、クライバーでは、シカゴを振ったベートーヴェンの5番がある。しかし、これはとてつもなく音が悪く、明らかに聴衆が密かに座席で録音したものだろう。これに懲りて、いくらクライバーでも、他に正規以外の録音を購入することはなかった。
クライバーという指揮者は、ほんとうにいろいろなことを論じたい要素に満ちた存在だ。彼に関して、不思議な現象は、枚挙に暇がない。ファンなら常識になっていることだが。
何故、自ら父親の反対を押し切って指揮者になったにもかかわらず、指揮をしたがらなくなったのか。父親よりも、誰もが高い才能を認め、父の演奏よりも優れていると、両方聴いたことがある人が述べているのに、父親には遠く及ばないと言い続けたのか。
今回、DVDのセットを購入して、聴いてみて、これだけ高く評価されているにもかかわらず、この曲は絶対クライバーだ、他の演奏はクライバーに比べれば、みんなはるかに劣る、というような曲が、実は私には思い浮かばないのだ。ひとつには、クライバーの録音・録画は、ほとんどが絶対的な名曲に偏っていることがある。彼の演奏は、ことごとくが名演であることは間違いないのだが、たとえば、「運命」は、絶対的にクライバーで、これに比べれば、他の演奏はすべて色あせてしまうと言うには、かなり無理がある。そもそも、「運命」の絶対的チョイスなどはないのであって、好みの問題でしかない。名演はいくらでもある。ベートーヴェンの4番、7番、ブラームスの2番、4番、シューベルトの「未完成」も同様だ。
オペラも同じような事情がある。というよりも、オペラでは違う弱点を感じるのだ。オペラで正規録音したのは、「魔弾の射手」「カルメン」「椿姫」「ばらの騎士」「トリスタンとイゾルデ」「こうもり」だけだ。これらも名曲中の名曲だから、名演奏はたくさんある。おそらく、これらのトップグループの評価を得ているといえるが、唯一無二というわけでもない。しかも、たいていなにか不満があるのだ。「カルメン」は、あまりに省略が多い、ほとんどの演目で弱い歌手がいるなど。
オペラ指揮者としての才能は、カラヤンに匹敵するものがあったろうと思うのだが、カラヤンのような「唯一無二」の録音を残せなかったのは、おそらく指揮者としての位置、あるいは資質の違いがあったのだと思う。カラヤンは、若いころはさておき、楽団の帝王になったあとは、オペラ録音は、自分で相応しい歌手を選んだ。レコード会社の専属関係で無理な場合、レコード会社そのものを変えることで、気に入った歌手を確保した。歌手が払拭していた時代のワーグナー録音以外は、カラヤンのオペラ録音には、ほとんど歌手の穴がない。そして、主要な歌手をオーディションで選んだというようなことも、私の知る限りはない。
ところが、クライバーのオペラ録音は、けっこうオーディションがある。「椿姫」のヴィオレッタのイレアナ・コトルバスなどがそうだ。カルメンのミカエラはなかなか決まらず、何人もオーディションをして、イソベル・ブキャナンに決まったという。この違いは、カラヤンは、自分の意思で、適切な歌手が存在するときに、オペラの録音と上演を決め、レコード会社と交渉して、実現していくというプロセスをとっていたように思う。他方、クライバーは、会社が彼にぜひこの曲を録音してほしいと持ちかけ、しぶしぶ承知すると、それからキャストを相談していく、クライバーの意向が最大限尊重されるだろうが、適当な人が身近にいないと、オーディションをすることになるのではないだろうか。あるいは、レコード会社の企画のキャストで、クライバーが気に入らない場合などもそうだろう。カラヤンは、指揮者として、キャンセルしないことが誇りであったが、それだけではなく、自分の企画であることが、キャンセルを少なくしたのに対して、クライバーは、持ち込まれ企画だったために、どこか気に入らない部分がでてきて、いつもキャンセルしたがったのだろう。
「ボエーム」は、録音チームがほぼ勢ぞろいして、録音が始まるまでになっていたのに、ドミンゴが余儀ない理由で到着が遅れたときに、それを理由にキャンセルしたと言われている。実演では、クライバーはパバロッティ、フレーニのコンビで演奏しているので、「録音」という点では、ドミンゴ、コトルバスでは、やはり避けたかったのが本心で、あとはいいがかりだったと思う。
では、クライバーは積極的に歌手を選択して、自分の思う録音・録画をまったくしなかったのだろうか。もちろん、本心はわからないが、ドレスデンとの「トリスタンとイゾルデ」は、イゾルデを歌ったことがないマーガレット・プライスを自ら説得して、さらに1年間のレッスンをして録音にこぎつけた。しかし、それにもかかわらず、録音を終了したあと、発売を許可しない許にでて、ドイツグラモフォンから提訴されそうになる。それで、仕方なくオーケーをだしたというのだ。実際に訴訟になったら、実に妙な裁判になっていただろう。演奏者は、「これはよくない演奏だ」と主張し、会社が「すばらしい演奏だ」と論争することになるのだから。
どうしてこういうことが起きるのか。ひとつには、クライバーの繊細な精神とプライドではなかろうか。クライバーの追悼ドキュメントに姉がたくさん出てくるが、小さいころから非常に傷つきやすく、繊細な子どもだったという。父は、しょっちゅう演奏旅行だし、ナチに反対して、アルゼンチンに亡命し、学校は、アメリカのボーディングスクールにいれられる。正式な音楽の教育は受けておらず、父親につれられてのリハーサルなどが、生きた勉強だったのだろう。指揮者になることを、最初偉大な指揮者であった父親から反対されたことは、有名な話だ。そのためか、生涯父親へのコンプレックスに苦しんだ。そうした繊細さからか、演奏会に対して厳しい評価がなされると、その後、その都市には演奏にいきたがらなかったという話もある。似たことになるが、有名な「カルメン」は、欧米では発売されていたのに、日本では、生前発売許可がおりなかった。私の想像では、ビデオに代わる新しいデジタル盤で、LDはよく知られているが、その前に東芝の開発したVHDという方式があった。接触方式で、レーザー方式のLDと比べて技術的に劣ったので滅びてしまったが、先行して発売されたので、当初はよく売れた。ソフトとして、カルメンが発売されたのだが、当初若手の意見で、クライバー盤が候補だった。それが重役たちの見解で、カラヤン盤にひっくり返ったのだ。当時日本では、NHKが放映していたので、クライバーの演奏は既に有名だったのだが、重役たちには、カラヤンの名前のほうが重要だったのだろう。残念ながら、特別な話題にもならず、そのままVHD自体が消えてしまったのである。クライバーを選択していれば、VHDも、もう少しもったのではないかと、私は思っている。
しかし、それにショックを受けたのかどうかはわからないが、クライバーは、日本びいきであったにもかかわらず、この「カルメン」の発売を日本では許可しなかった。やっと発売されたのは死後だ。
クライバーは生涯、どこかの歌劇場やオーケストラの常任にはならなかったのだが、実は若いころに、ハンブルクオペラの音楽監督候補者になったとされる。しかし、あまりに特異な性格が危惧されて、他の人に決まったのだが、そのとき、クライバーを採用していれば、もっと指揮者としての積極的な活動をしていたのではないかと、非常に残念だ。