教育学を考える13 安井俊夫の授業論

 安井俊夫氏は、戦後の中学社会科教師として、最も優れた一人である。率直にいえば、「一人」という言葉もいらない。単に授業が素晴らしかったというだけではなく、特に歴史教育では、画期的な方法を提起したと思う。
 私が、安井俊夫という名前を聞いたのは、まだ大学に就職できず、生活と研究にも役に立つということで、家庭塾をやっていたときだった。私が住んでいたとなりの通学区の教師だったのだが、そこの生徒が何人か来ていて、盛んに安井先生の素晴らしさを語ってくれたのである。とにかく授業が楽しいというのだが、私が特に印象的だったのは、学年に二人の社会の先生がいて、定期試験の問題を交互に作成するのだが、もう一人の先生が作成した問題であっても、常に安井先生のクラスの平均点が10点近く高くなるということだった。引き込まれるような楽しい授業というだけではなく、試験でいい成績をとれるというのだから、優れた教師であることに疑いはない。それから、できるだけ安井氏の実践記録の著作を読むようにした。大学に勤めるようになって、安井氏の授業を撮影したビデオ映像も数本あるので、すべて入手して、何度もみたし、また、学生にも見せた。安井氏の授業は、実践するのはかなり難しいと思うが、斉藤喜博のような「名人芸」的な雰囲気ではない。相当な勉強をして、授業の構想を何度も練り直すような準備が必要だが、経験の蓄積と情熱があれば、可能な授業方法であると思う。

 安井氏の歴史の授業に関する実践記録を読んで、最初に驚くのは、教科書の内容で、実際に授業で扱う事項が極端に少ないことである。たぶんテーマとして、15程度ではないだろうか。他の部分はまったく扱わないということではないだろうが、実践記録を読む限り、扱う部分の丁寧な授業のやり方から推測するに、まったくやらないか、やったとしてもかなり簡単に触れるだけだと思う。その代わり、実際に扱う部分については、とても中学の歴史の授業とは思えないほどに詳しい。
 こんなやり方で、どうしていい点数がとれるのだろうと、誰でも疑問に思うに違いない。保護者からクレームがでないのだろうか、という疑問に関しては、生徒の成績がいいのだから、たぶん信頼されているのではないか。
 もう一つ驚くことは、安井氏の授業では、生徒たちが実に活発に意見を述べるのである。これは、ビデオを見ても確認できる。NHKで紹介されて、すっかり有名になったハーバードの白熱教室でのサンデル教授の授業に負けないほどの活発さである。このような活発な意見交流が実現していれば、確かに生徒たちは授業内容をかなり深く、詳しく理解していると考えられ、成績がいいのも納得できる。
 しかし、こういう授業が可能になったのは、おそらく中堅教師になってからのようだ。それまでは、安井氏自身が、ごくありきたりの「民衆史観」的な授業をしていたという。勝者の歴史をそのままを教えるのではなく、民衆こそが歴史の担い手であるという民衆史観で、奈良の東大寺建立を教えていたところ、普段あまり目立たない生徒が、何故東国の農民が、わざわざ奈良まで出かけていくのか。それなりの利益があったのではないかと質問したという。天皇の命令だから、仕方なく義務として出かけていったのだ、と民衆に対して横暴に振る舞う権力者という構図で説明していたのが、意外な質問を受けて、その後猛勉強したという。そして、いろいろと調べてみると、やはり、その生徒の指摘は的を得ていたことがわかった。つまり、地域には地域の安定という課題があり、農民を村として派遣することにより、中央の権威と結びつく。そうした積極的な面を活用した事実を、安井氏は気づく。つまり、単に支配者とか、民衆というような紋切り型の理解ではなく、もっと多様な関係者、層が、それぞれの思惑、利害、価値観をもって行動していたのであり、それぞれの立場になって、今ある事態をどのように扱おうしたのか、どう乗り越えようとしたのかを、当事者になった感覚で考えてみようという手法を、授業に取り入れていくことになる。つまり、勝利者(支配者)の歴史でもなく、民衆史観でもなく、歴史を形成した人々すべてを念頭において、その行動や心理を最大限想像してみることで、歴史の立体的な見方を培っていくというスタイルである。

 これは言うは易く、行うは難しである。実際に、学生による模擬授業などでは、こうした問いかけをしてみても、ほとんどありきたりの答えしか返って来ない。大学生が生徒役をやっていてもそうなのだ。では、何故安井氏の授業ではそれが可能になるのか。
 ひとつは、授業前に、宿題が出る。ワークシートで、教科書に書かれている重要事項の穴埋め形式になっている。その穴埋めを、教科書を自分で読んで埋めてくるのが宿題である。もちろん、教科書に書いてある事項だから、自分で答え合わせもできる。実は、最近の社会の授業は、たいていこの作業を授業で行う。時間内に重要事項を確認させるという点で、非常に確実にできるからだろう。そして、書く内容は、重要単語だけなので、教師の板書の手間や、生徒が板書を書き写す手間が省けるので、時間の節約にもなる。教科書2ページ分を時間内にこなすには、とても便利なのだ。しかし、そういう授業をやっても、生徒の「理解」が進むわけではないし、また、記憶に残るわけでもない。そして、ほとんど教科書以上の知識を獲得することもない。このような授業をできるだけ克服する必要がある。
 安井氏の授業では、それを生徒が家庭で済ませてくるのである。そして、ほとんどの生徒が宿題をするのだそうだ。しかも、単に教科書を見て、穴埋めをするだけではなく、記憶してしまう生徒が多い。それは、授業に対する期待がそうさせると思われる。安井氏の授業は、生徒にどんどん問いかけ、生徒たちは、臆することなく答えていく。そういう授業の楽しさを実感しており、その討論に参加するためには、教科書を理解しておくことが必要だから、ワークシートの穴埋めの際に、しっかり頭にいれるということなのだろう。
 ふたつめは、安井氏の豊富な知識である。氏の授業のビデオをみると感じるのだが、大人でも勉強になるようなことがたくさん語られている。そっくり大学の歴史の講義でも通用するような、深く掘り下げられた授業が展開されている。それだけ、安井氏が単元について、専門書などを読み込んでいることがわかる。しかも、それを中学生にもわかるように、問いを含めながら説明していく。考えてもわからないことは、専ら説明するのは、斉藤喜博と同じだが、資料を与えれば考えられることは、しっかりと説明した上で考えさせる。
 みっつめは、可能な限り、生徒たちの活動を含めることだ。日露戦争の授業は、数時間かけられているが、近所に昔から住んでいる旧家の人、祖父などから日露戦争の体験談や、出征しない場合でも、当時の雰囲気を語り継がれている人を訪問して、聞き取り活動をさせている。さすがに当事者は生存していないが、体験談を聞いている人たちから話を聞くことができる。そして、それを授業で報告する。公民の授業などでも、この活動はより広範囲に実践されている。これは、本当にリアルに歴史を理解する手助けになる。
 以上のようなことを基礎にして、歴史の当事者として考えてみることが可能になり、しかも、深く考えていく。当然、立場が違えば論争にもなるが、それは立場の違いを理解することにもなっていく。

 最後に、このような授業をしていけば、ある時代のあるテーマを深く学ぶことになり、そうすれば、省いた間の歴史に関しても、通常のやり方の授業で得られる以上の理解を、宿題や討論の過程での補充的な説明で理解してしまうようだ。
 安井氏の授業方法は、単に「楽しい授業」というだけではなく、「学力が身につく」という両方の必要性を満たしうるという点で、多くの教師たちに採用してほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

「教育学を考える13 安井俊夫の授業論」への1件のフィードバック

  1. 安井先生の授業を受けた生徒の一人です。年号の暗記は要らない、背景や因果関係を考えることが重要だという教えは、私の考え方の礎になっています。
    50代となった現在、部下を教育するにあたり偶々先生の教育論を見つけました。しばしば「僕は黒柳徹子と同い年だから」と仰っておられたので今もご健在なのか、もし講演などあれば行きたいと思い、検索しているうちに行き着きました。

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