チェリビダッケのリハーサル1

 チェリビダッケのDVDボックスが格安で売られていたので、入手して、リハーサルを見た。ミュンヘン・フィルとのブックナーの交響曲9番である。また、クラシカジャパンで放映されたベルリンフィル復帰コンサートの7番を再度見直した。
 率直にいって、私はチェリビダッケは好きではない。どちらかというと嫌いな指揮者だ。よくあるパターンで、あのテンポの遅さに耐えられない。また、指揮者としては理論派で、とにかく哲学的な内容をオーケストラ団員にも長々と語る。オーケストラの楽団員にとっては、そういうお話は、有り難くない。むしろ、うんざりするのが本心だろう。ベルリンフィルとのビデオでは、現在は引退した古い団員のチェリビダッケに関する思い出話がかなり出てくる。チェリビダッケがベルリンフィルを指揮していたころは、当然20歳前後の若手だった。チェリビダッケが団員と軋轢が生じたのは、主に古参団員との間だったようで、若手には人気があったそうだ。フルトヴェングラーがナチ協力の疑いで、演奏禁止されていた時期、ほとんどの演奏会をチェリビダッケが指揮していた時期もあったようだし、結局、フルトヴェングラーの死の直前に、最終的な決裂をして、ベルリンを去るまで、絶対的な指揮者であったフルトヴェングラーよりずっと多くの演奏会を指揮していたはずである。しかも、最初にベルリンフィルを指揮したときには、まだ音大を卒業したばかりで、実際のオーケストラを指揮した経験がほとんどなかったというのだから驚きだ。あの時代でなければ、絶対になかったチャンスだった。しかし、ものすごい勉強で、ほとんどの曲を暗譜で指揮したという。しかも、かなりベルリンフィルとしても新しいレパートリーも含まれていた。
 何故、ベルリンフィルと決裂するような事態になったのか。オケの側にも問題があったという。当時の古参団員は、技術的には弱い人がいて、チェリビダッケの要求に応えられない人がいたというのだ。チェリビダッケは彼らを辞めさせたがった。しかし、これはヨーロッパのオーケストラでは、まず受け入れられない行為なのだ。カラヤンですら、若いころに、最初に指揮者となったウルムの歌劇場で、コンサートマスターに不満で辞めさせようとした。ところが、コンサートマスターの方は、短銃を用意して、カラヤンを殺害しようとしたらしい。それを事前に他の団員に打ち明けたものだから、その団員が運営に通報、カラヤンとコンサートマスターの双方が首になってしまった。余談だが、それからカラヤンは散々苦労して、職探しをしたが、なかなか得られず、そのうちにニュルンベルク法ができて、ナチ党員にならないと指揮者のポストを得られないことになって、党員になった。
 こうした経験は、その後カラヤンの活動スタイルに大きな影響を与えたと思われる。フルトヴェングラーの死後、ベルリンフィルの音楽監督になったわけだが、そのオケは、チェリビダッケが不満に思っていた団員を当然抱えていたわけだが、カラヤンは、彼らが定年で引退するまで辛抱強く待って、新しい団員と入れ換えていった。
 チェリビダッケ側の問題は、古参団員を辞めさせたいという態度をかなり露骨に表わしたことだ。そして、かなり居丈高の指揮ぶりになっていったという。そして、双方が憎み合うようになり、戦後の危機を救ったチェリビダッケであるが、喧嘩別れのように去ることになったわけである。
 その若いころの指揮ぶりも映像でいくつか出てくるが、晩年のスローテンポとは似ても似つかない、ダイナミックで爽快な演奏をしている。ベルリンを去ってから、あちこちのオーケストラで指揮をするようになり、いくつかの常任も経験したが、そのなかで、かつてのベルリンの団員にいわせれば、「哲学的な指揮者」に変貌した。そして、レコード録音をしない指揮者になっていく。外面的な特徴としては、
・録音して市販することを拒否(しかし、放送用の録音や録画は許可している。それが現在大量に発売されているわけだ。)
・練習を通常の2倍から3倍要求する。(通常は3回のリハーサルとゲネプロだが、最低6回要求。日本に最初に読売交響楽団に客演したときも、それで大分話題になった。)
・晩年になると特に、テンポが遅い。
・他の指揮者を公然と罵る。(記者会見で、「カラヤンはつんぼだ」と語ったことは、有名だ。)
 これらは、テンポ以外は、音楽的側面ではないが、指揮者は単純な音楽家ではなく、100人の専門家集団を統率するリーダーだから、やはり、見逃せない特質である。録音しないとか、練習を倍要求するというのは、オーケストラ側から見れば、コストが増大し、収入が減ることを意味する。そういう意味で、やはり、オーケストラ側としては、なかなか迎えにくい指揮者だろう。
 さて、余談はこれくらいにして、リハーサルビデオだ。
 以前、ベルリンフィルとのリハーサル映像は2,3回みたのだが、見るたびに、これではベルリンフィルは、次回の共演は拒否するだろうというのが、まず思うことだ。
 いずれも、チェリビダッケの指揮姿を中心に映しているので、指揮ぶりは非常によくわかる。その指揮の特徴は、とにかく、分かりやすいということだ。通常は、拍を中心に腕で描いて、そこに音楽的表情を身体運動で表現するのだが、チェリビダッケは、ほとんど拍をとらないように見える。(ただし、曲がともにブルックナーだからかも知れない。)その代わり、音楽の表情がかわるところで、正確に合図をだす。だから、そのタイミングが非常にとりやすいのだ。チェリビダッケの耳には、気に入らないことがけっこうあるようだが、私が聞いているかぎり、縦の線が楽器間で不揃いになることはほとんどない。こういう指揮をする人は、これまでみたことがない。
 ところが、指揮そのものの身体運動で、音楽のイメージを伝える動作は、これまたほとんど感じないのだ。アバドの指揮が、その動作で音楽のイメージを喚起するのとはかなり違う。チェリビダッケがやっていることは、楽器間のバランスをとることに集中しているように感じられる。アバドは、止めて口頭で注意することは、稀だが、チェリビダッケは、少しでも気に入らないと、止めて、言葉でかなり延々と説明を始める。しかも、かなり辛辣な皮肉がこめられる。「そんなじゃ、ドイツ音楽ではなくフランス音楽だ」「甘ったるいケーキを食べているようだ」などは、軽いほうで、ベルリンフィルに向かって、「君たちは、ブクックナーの音楽の本質が理解できていない」などと決めつける。そうした説明が入るたびに、特に若い団員たちは、にやにや笑ったり、「このおっさん何いってるんだ」というような感じで、チェリビダッケを見やっている。
 ベルリンフィルとの30数年ぶりの共演は、失敗だったということになっているが、これはリハーサル中の団員の反感が大きかったのではないだろうか。
 ブルックナーの7番は、2小節のバイリオンのトレモロのあと、チェロが朗々とした主題を弾くのだが、最初は、「もっとゆったりと、広く」と注意をする。すると、さすがベルリンフィルで、すぐにそういう表情に変化する。チェロにビオラとホルンが重なってくるところのバランスのため何度も反復させるのだが、そのうち、チェロに「遅すぎる」と注意をする。しかし、私が見ているかぎり、チェロは、チェリビダッケの指揮にぴったりあわせて弾いている。もっとゆったり、広々と、といわれて、その指揮をあわせているのに、遅すぎると注意されて、チェロの団員は、「えっ?」という感じだ。
 こういうことがずっと続いていく。チェリビダッケは理論派であると自負しているが、私には、かなり矛盾したことをいっているような気がする。
 その点と、チェリビダッケには何故熱狂的なファンがいるのかを次に考えたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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