安倍首相が、突然2月末に全国の小中高を休校にするという発表をしてから、政府が俄然動き出したように見えるが、逆にいえば、社会ではかなり混乱も生じており、やがては終息するだろうが、この混乱のつけは、かなり大きく社会の負担になると思われる。
動き出した他のひとつは、新型インフルエンザ対策特別措置法改正である。現状では野党も賛成せざるをえないだろうから、早々と成立するようだが、この議論には、かなり気になる面がある。それは、法が整備されていないので、なかなか対策がとれないのだという主張である。だから、特措法の改正が必要だと政府は主張している。しかし、特措法の改正がなくても、かなりのことができる。というより、政府がやる気があるなら、ほぼなんでもできるだろう。明らかに違法である検事の定年延長までやってしまうくらいの内閣なのだから、得意の解釈変更でやることだって可能だろう。検事の問題は、自分たちに危険が及ぶのを防ぐためだから、まさしく「悪事」だが、感染症対策であれば、少々の解釈変更を、国民は前向きに受け入れるだろう。
だから、法整備がないから、というのは、これまでの無為無策の糊塗に過ぎない。
学校の全国休校をふり返ってみよう。安倍首相が突然これを言い出したのは、先月の27日木曜日夜のことだ。そして、翌週月曜日からの休校を要請するとした。そして、保育園や幼稚園は含まない、学童保育も含まない。保護者が仕事を休む場合の課題は政府が責任をもって対応するという内容だった。
これには、早速、自民党の内部からも批判が出ている。中谷元防衛相は、あまりに突然で、きちんと議論を重ねてやるべきだ、と記者団に対して述べている。そして、羽生田文科相は、翌日に、これは強制ではなく、自治体で実情を判断して決めてほしいと、首相の要請を若干修正している。
何故、この措置が、国民の誰もが驚くような唐突さで出てきたのか、多くの人は、前日に、IOCの委員が、オリンピックの中止の可能性が言及したからだと解釈している。だからあまりに唐突だったし、現場が混乱するのは目に見えていた。休校になれば、しばらくは、子どもが家庭のなかに入ってしまうのだから、そのことの混乱などは見えない。しかし、日数がたてば、子どもたちが、いつまでも家庭や特定の管理された場所で大人しくしているはずがなく、出歩くようになるだろうし、そこでの感染が起きる可能性もある。学童保育は、普段より多くの子どもたちが集まることになる。しかし、混乱の大きなものは、休業補償すると政府はいっているが、どこまで、とのような方法でやるかは明言していない。これは、自民党のよくあるパターンが繰り返されると予想しておくべきだろう。幼児教育の無償化や大学の無償化などを、政策宣伝してきたが、かなり不十分なもので、特に大学の無償化に関しては、政策と呼ぶにはあまりに貧弱なものだ。文字通りの高校授業料の無償化だった民主党の政策をやめて、貧困家庭への援助に切り換えた自民党だが、大学無償化は、最初から極めて制限的なものだ。
これは、休業補償のやり方にも反映されるに違いないと、私は思っている。有給休暇がとれるとしても、有給をここで使い切ってしまうのは、年間を考えれば、かなりの冒険だろう。なにしろ一月も学校が休みになるのだ。政府から企業に指導があって、休みを保障するとしても、当然給与を支払うことは、特別なゆとりのある企業にしか可能ではないだろう。とすると、休んだ分の給与カットになるか、子どもをおいて仕事にでるしかない。休まざるをえなかったためにカットされた賃金を、政府が全部補償するなどということは、まず考えられない。結局、家庭に大きな負担がかかってくることになるに違いない。学校が休校になれば、それに伴って仕事がなくなるひとたちは、給食関連のひとたちなどがいる。
こうした経済的な問題もあるが、子どもに関しては、なんといっても「教育を受ける権利」が保障されないことが大きい。もちろん、一月休んだからといって、長い人生のなかで、学びが決定的に欠落して、必ず後々にマイナスに響くなどとはいえない。その間有功に過ごすことも可能である。しかし、そのことと、学校がほとんどの対策をとれないままに休校に入ってしまうことを免罪するわけにはいかない。本当に深刻で、休みにすることが、感染を防ぐ上で不可欠であるのならば、そうすればよい。しかし、子どもの感染状態でいえば、それほど深刻になっていたわけではないのだから、親の休業補償の問題と、休校中の子どもの学習に関して、それなりの時間をかけて検討する余裕は充分にあった。この措置がいかに拙速であったかは、首相の発言を翌日文科相が訂正せざるをえなかったことで、明確である。そして、この準備もできないままに休校にはいらせたことのマイナスの影響は、こうした措置が後半にはいり、そして、終わったあとに徐々に表れてくるに違いないと思う。どのような形で終息させ、その間に起きたマイナス面の補填をどのようにしていくべきなのか、多面的に検討しておく必要が政府にある。
まず何よりも必要なのは、患者数を隠すために、検査を制限するのではなく、可能な最大限の検査をして、実態を把握することだろう。いまだに、テレビに出ている医者という人が、検査可能数には限りがあるというようなことをいっているが、今や意図的な制限であることは明らかだ。