教師の養成について考える2 実習について1

 私の勤めていた大学は、教育実習にいった学生の研究授業を見に行くことが義務づけられている。もっとも、近郊の都県だけで、遠いところは行かない。教育実習は、小学校は4週間、中高は3週間あるのだが、学生にとって、この経験は非常に大きい。私は、教職科目のいくつかの科目を担当していたが、自分では教職免許はもっていない。小学校や中学校の教師は、性格的にむかないと思っていたことと、高校時代に研究者になることを決めていたためでもあった。だから、現場のことを知るには、教育実習を訪問することは、とても有意義だった。訪問が義務になったのは、私が勤めてから大分経ってからだが、私は教師一年目から、卒論担当のゼミ学生の教育実習を訪問して、その頃はビデオを気軽に撮影することができた。
 このビデオ撮影はとても有意義なもので、学生が大学に帰って来てから、反省材料にしてもらったり、あるいは、翌年実習に行く学生が、雰囲気を知るためにもとても効果的だった。
 しかし、ある時期から、ほとんどビデオ撮影は許可されなくなり、学生の教育上非常に不便になったと感じている。ある時期というのは、個人情報保護が重視されるようになってからだ。もっとも、そうなっても、その学校の教師が撮影することは、けっこうあって、もし個人情報が漏れて危険だというなら、その学校の教師が撮っても、大学の教師が撮っても同じではないかと思うのだが、実習は将来教師になる学生にとっての重要な実地の学習だから、そういう点でのおおらかさを期待したいと思っている。
 さて、多くの人は、東京教師塾や埼玉教員養成セミナーを知っているだろう。他の県にも同様のシステムかあるかも知れない。これは、大学3年生のときに選抜をして、採用されると、4年生の1年間週に1度、実習校で実習を行い、またいくつかの講習会などにでる、そして、通常の教員採用試験を免除されるという制度である。ただ、始まったころから、両方ともかなり変化しており、実習の形態や選抜、教員採用試験は、かなり大きな変化があった。
 初めに実施したのは東京都で、おそらく新任教師の授業力や子ども対応力が弱いことに対する対策として、学生のうちにじっくり実習で鍛えれば、より力のある新任教師を獲得できるという思惑だったろう。いわば、教師の青田刈りである。しかし、実習にいくら魅力を感じても、それだけでは、学生は応募しない。7月8月に教員採用試験があり、それはかなり厳しいものだ。毎週実習にいって、一日拘束され、また研究授業の準備などで時間をとられるとなれば、採用試験の勉強に不利になる。いくら実習できても、採用試験で不合格になれば、元も子もない。それで、東京都は、一年間きちんと実習を行えば、採用試験は免除するという「飴」を用意した。そして、当初は、大学ごとにそれまでの実績で推薦枠を定めていた。
 当初は、東京都が大いに宣伝したし、NHKなども協力して、これがいかに素晴らしい制度であるかを世間に示していた。しかし、おそらく、東京都が予想しなかった事態が起きたと思われる。東京の教員採用試験は、難しい部類に入る。そして、受験者は多い。教員採用試験にはなかなか受からない大学で、小学校免許が取得できる大学が、この制度に着目した。ここに採用されれば、事実上、教員採用試験に合格したことになる。そこで、そうした大学のなかには、有力な元校長を専任教員(この養成塾担当)に雇い、教育委員会に働きかける。当初は、大学ごとの推薦枠があったので、その枠を拡大してもらうためである。その際、「我が大学では、実習は教育委員会に任せっきりにはせずに、毎回研究授業に出るだけではなく、日常的な指導をする」というような約束をしただろう。
 しかし、教師という職業は、やはり、専門職である。かなりの知的水準が求められる。そうやって働きかけて採用された教師たちは、現場ではあまり評価が高くなかった。少なくとも、そういう声を、私は東京都の教師たちから何度か聞いたことがある。教師塾出身の教師は、実力がない、と。もちろん、みんながそうだとは思えないが、在年ながら、実力不足の人がいたことは事実なのだろう。
 そこて、都は、大学の推薦枠はあるが、推薦された学生を無条件で採用するのではなく、教育委員会での、形だけではなく、実質的な選抜試験を導入した。私の大学は、当初推薦枠がなかったために、教師塾には参加していなかったのだが、教育委員会が選抜試験をするようになったあたりから推薦枠が割り当てられ、参加するようになった。私の大学の学生は、採用試験でも受かる実力をもった学生が少なくない。全員というわけにはいかないが。ある年、私のゼミの学生が教師塾の塾生だったので、研究授業を見に行った。他の大学の学生と一緒で、両方の授業をみたのだが、そのレベルにははっきり差があり、授業のあとの反省会の対応も、違っていた。教師塾の学生の実態を考えざるをえなかった。
 その後、教育委員会は、次第に、条件づけが厳しくなり、教育委員会が行う選抜試験の内容が、教員採用試験に近くなっていく。個人面接、集団面接、集団討論、そして、やがて、学力テストまで導入するに至る。学力テストは、実習中にも何度か実施するようになったようだ。そして、夏休みのプール指導や運動会の補助など、様々な学校行事への協力参加が求められるようにもなっていく。だから、教師塾参加の学生は、かなり忙しいなかで学生生活を送ることになる。
 それだけではなく、送り出す大学も、もっと研究授業に参加して、きちんと学生を指導すべきであるという条件をつけるまでになった。因みに、研究授業の指導は、東京都教師塾はかなりきちんと行われており、だいたい毎月実施されている。ということは、大学の教師は毎月授業参観にいかねばならないことになる。通常の大学の教師にとっては、それは本来の仕事ではない。
 私には、東京都教育委員会は、自分で自分の首を締めているような気がする。そもそも教員養成は、基本的には大学でやるものであり、大学は、大学としてやるべきことをやっている。実習については、もちろん、大学ではできないので、現場にお願いするわけだが、現場の先生は、全員、学生のときに、現場のお世話になっているのだから、実習生の指導は、ある意味先輩としての責務のようなものだろう。しかし、どんなに優れた実習を経験しても、実際に教師になって、全面的な活動になれば、実習での経験はごく一部に過ぎなくなる。つまり本当の教師としての成長は、現場にかかっているのである。それを、学生の間に、現場経験をよりたくさん積ませ、大学で学ぶことに時間を割けなくなってしまえば、やはり、教師として必要な知識が不十分になってしまう。そして、大学での教育を重視する大学からは、教師塾のようなやり方は、逆にそっぽを向かれてしまうに違いない。そして、採用試験合格に自信のない大学が、そこに活路を見いだしていくような状況に、ますますなっていくだろう。
 要するに、現行の教育養成制度を前提にして、そのなかで、ある種奇策ともいうべきシステムを対置すれば、副産物としてのマイナス面が表れる。やはり、制度そのものを改善する必要があるのだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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