世の中は新型コロナウィルスで大混乱だが、歴史をふり返っておくことも必要だろう。明日の311は記憶に新しいが、3月10日は東京大空襲(第一回目)の日であることは、歴史的知識としてのみ知っている人が、いまでは圧倒的多数だろう。私もそうだ。終戦間近の原爆の被害が大きく意識されるが、実は、何度も繰り返された東京や大阪等の大空襲の被害者のほうが多いのだ。そして、原爆投下は、政府も真剣に降伏を考えていた時期だが、東京大空襲のときには、戦争続行した。真相はわからないが、3月10日の空襲による惨禍をみて、さすがに降伏を勧めたひとたちがいたようだが、昭和天皇は、「もう少し戦果をあげてからにしよう」と降伏案を退けたという。
常識的に考えて、首都が大爆撃されて、なんら有功な反撃ができなかったということは、戦争に完全に負けていることを示している。大空襲の一週間ほど前らしいが、アメリカ軍は、偵察機を飛ばせて、東京の様子を偵察したという。そして、当時東京に住んでいた人たちは、その飛行機をみて、パイロットの顔まで確認できたということだ。そのような手記を書いている人がいる。パイロットの顔が見えるというのは、よほど低空飛行をしていたことになる。その偵察飛行で、爆弾を落とす場所を確認したのだろう。偵察機は数機だったそうだが、この段階で既に完全に負けている。偵察機が近寄ってきた段階で、迎撃体制にはいれないということは、爆撃を自由にできることを意味していた。東京の直接の大爆撃は、反撃されたら危険だというので、米軍のなかでは反対論も相当あったようだが、指揮官のルメイ将軍が強行したとされる。(後日談だが、このルメイ将軍は、佐藤栄作首相によって、勲章を授けられている。)
冷静に考えれば、もっと以前に戦争には負けており、早く降伏すればそれだけ被害は小さかったことは明らかだ。特攻隊などの無謀な作戦でどれだけ多くの人材がなくなったか。
もちろん、戦争責任などの面からの評価が大事だが、それと同時に、私が感じるのは、政権の中枢にいる人というのは、人々の被害に無感覚になれるらしいということだ。これは、当時の戦争だけの問題ではなく、現代の自然災害や人災の対応でも、頻繁に感じることだ。
当時の政府首脳や天皇を始めとする宮廷人たちは、爆撃後の東京を実際に視察した。その模様は、ニュース映画でも放映されたようだ。youtubeでほんのわずかだが、見ることができる。気になるのは、そこに写っているかぎりでは、死体は既に片づけられているようだ。死体を天皇がみたかどうかはわからないが、それとは無関係に、やはり、死体や悲惨な状況をみて、何かを感じたとしても、それを抑える感情のほうが強かったのだろう。少なくとも、その情景をみてもなおかつ、戦争終結のほうに実際には動き出さなかったことは事実である。8月15日は天皇の英断で戦争を終わらせることができた、という評価があるが、それなら、なぜ3月10日の時点で終わらせなかったのか。既に、そのずっと前から敗戦は明白であり、被害も甚大であったが、この東京大空襲は、誰がみても、敗戦が決定的であることは明らかだったはずである。
戦争責任論は、日本がアジア諸国に対して負っているという面が強調されるが、日本国民に対しても負っている。そのことがもっと重視されるべきだ。それは、その後の政治の評価にもかかわって来る。
現在の新型コロナウィルスに関連していえば、安倍首相の初期対応が鈍かったのは、そうした災害に対する感覚が薄いからだと、私は見ている。病気が流行ろうが、それは自分には関係ない。医療関係者が頑張ればいいだろう、というような感覚があるに違いないと思う。では、何故急に、極端なことやりだしたのか。それは巷間いわれているように、支持率の低迷とオリンピックの危機が生じたからだろう。何故、8月になって戦争終結に動いたのか。おそらく、それはソ連参戦によって、「国体護持」が困難になるかも知れないと慌てたのだろう。
国民の不幸、被害などに対して、そういう感覚、厳密にいえば無感覚でないと、権力を維持することはできないのかも知れない。
とするならば、国民の多くが苦しむ状況が発生したら、それがいかに政府首脳にとって、その地位を危うくするのかを、正確に予想し、説得的な説明を首脳に伝えること、あるいは思い知らせることではないか。