オペラ「ボリスゴドノフ」リムスキーコルサコフ改訂版も悪くない

 普段は、かなり部分的にしか見ないDVDを久しぶりに全曲視聴してみた。「ボリスゴドノフ」は、ユニークなオペラだ。また、私にとっても、思い出深いものでもある。
 何がユニークかというと、オペラの題材として、その国のトップの人物が主人公になっているものは、他には思いつかない。伯爵などのような貴族が主人公というのは、いくつかある。「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」等。しかも、ボリスゴドノフは歴史上の実在の人物であり、悲劇的な死をとげる。だからオペラも、とにかく、全編暗い、陰謀だらけの話である。しかも、唯一美しい音楽が流れるポーランド貴族の娘であるマリーナの部屋以外は、音楽もほとんどが重苦しい。作曲したムソルグスキーが、最初の草稿を、劇場当局に見せたところ、あまりにも暗い話、暗い音楽なので、もっと女性を登場させなさいというアドバイスがあって、マリーナの場面が付け加えられたと言われている。劇場が不当な要求を、ムソルグステーに押しつけたという批判があるらしいが、実際のところは、ムソルグスキー自身がその批判をもっともだと思い、改作をしたものが、通常上演されている。ごく稀に第一稿の演奏やCDもあるが、私はマリーナの場面が一番好きなので、第一稿は視聴する気がおきない。
 簡単に筋を紹介すると、皇帝が死に、空位になっている状況で、民衆や貴族の要望でボリスが皇帝となるが、ボリスには先帝の息子を殺害したという噂があり、それに悩んでいる。偽皇子のグレゴリが、ポーランド貴族のマリーナと結んで、モスクワに進撃してくる。ボリスは恐怖の故か、死んでしまい、偽皇子を支持する人々が彼を皇帝に推戴し、ボリスの家臣を処刑する。
 先帝の息子を殺害したというのは、実際にボリスゴドノフの生前から噂があったとされているが、現在では、事実ではないというのが有力説だということだ。また、当時も事故だという調査がなされていた。ボリスゴドノフの在位中は、災害などが多数起き、治世は失敗続きであったと言われている。
 私よりも、もっとオールドファンにとって、「ボリスゴドノフ」の思い出は、スラブオペラの来日公演だろうが、私は、その頃まだオペラファンになりきっていなかったので、残念ながら見ていない。私の最初の体験は、小沢征爾が日本で初めてオペラを振ったときの公演で、これは実際にライブでみた。二期会の公演だった。初めて、「ボリスゴドノフ」というオペラを聴いたので、音楽に感動するまでには至らなかったが、小沢の指揮にはすごく感心した。というのは、このオペラを生まれて初めて演奏するというのに、全曲暗譜で振ったのだ。小沢も初体験だったわけだが、その指揮姿は、実に生き生きとしていて、彼の体の動きが完全に音楽と一体化していて、クライバーなどとは違うが、魅せる指揮でもあった。唯一、非常に印象に残った音楽は、ボリスの独白といわれる部分で、先帝皇子の殺害の噂や、飢饉などによる社会不安に、思い悩む部分だが、非常に激情的な歌で、ずっと印象に残ったわけだ。
 しかし、その後、ほとんど録音などで接することなくしばらく経過したが、アバドがウィーンのオペラを率いて来日したときに、「ボリスゴドノフ」があったので、NHKホールに聴きにいった。既に、CDも発売されていたので、購入して、一度聴いたと思う。ところが、CDで聴いても、また、実演を聴いても、あの激情的な歌が全然出てこないのだ。そして、今回視聴したゲルギエフ指揮のマリンスキーでの上演ライブ映像でも、それがない。もちろん、ボリスゴドノフの独白の場面はあるし、その音楽は、かつて小沢で聴いたときの音楽によく似ているのだが、全然「激情的」ではなく、ほんとうに独り言のようにぶつぶついっている感じなのだ。私の記憶がおかしいのかと、ずっと悩んでいたが、そのうち、カラヤンがウィーンフィルを指揮したCDを聞き直して、やっと理解した。
 ムソルグスキーは、改作をして、それは歌劇場でも取り上げられたわけだが、完全な職業作曲家ではなかった(勤めをもっていた)ために、あまりオーケストレーションが上手ではないということで、彼の曲を何曲か、友人のリムスキーコルサコフが改訂していることは、よく知られている。「はげ山の一夜」などがその代表的な例だが、オリジナルバージョンとリムスキーコルサコフの改訂版は、かなり印象が違う。多くは改訂版で演奏されているが、ムソルグスキー大好き人間のアバドは、オリジナルで演奏している。アバドの指揮により、ベルリンで実際に聴いたのは、思い出深い。
 そして、「ボリスゴドノフ」のオペラも、20世紀中盤までは、リムスキーコルサコフの編曲バージョンで上演されていたのだ。小沢の演奏もそうだった。ところが、オリジナルの楽譜が出版され、アバドなどがオリジナルで演奏するようになり、今では、多くがオリジナル上演になっている。聴き比べればすぐわかるのだが、オリジナルは、地味でしっとりした情感だが、改訂版は、もっとオーケストラが雄弁に語るし、華やかな雰囲気が強い。そして、聴いてて一番違うと思われるのが、ボリスの独白部分なのだ。歌われる音の高さも相当違っていて、オリジナルは、低音でぼそぼそな感じだが、改訂版では、バスとしては高音で気持ちをぶつけるような表現になっている。
 音楽は、作曲者が編曲を依頼して、それを承認している場合は別だろうが、基本的に作曲した人のオリジナルが、演奏の基本になるべきであることは当然である。ムソルグスキーとリムスキーコルサコフは、ロシア五人組としてグループを作っていたわけだから、親友のはずであるが、この編曲は、かなりリムスキーコルサコフの独断で進めたようだ。そして、かなり音楽そのものもいじっているとされる。それを詳細にチェックできる力はないが、とにかく、印象はかなり違うものだ。 
 アバドのオリジナル推奨のためか、最近は、ボリスゴドノフについては、オリジナルが絶対的になっているが、オペラ的なよさという点では、リムスキーコルサコフの改訂版は、魅力的な存在価値があるものだと感じる。
 なおゲルギエフの演奏は、オリジナル版である。このオペラの上演に極めて熱心だったアバドの映像ライブがないのが残念だ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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