またまたフルトヴェングラーのバイロイトネタで、我ながらしつこいと思うのだが、最近、この問題は、情報の信頼性、情報と事実の関連の吟味という点で、非常にいい材料だと気づいたのである。そこで、更に拘ってみた。つまりメディアリテラシーのチェックということになる。
前回の最後に触れたが、もしEMI盤が本番ではなく、ゲネプロであるとしたら、フルトヴェングラーの追悼盤としてバイロイトライブ演奏をレコードにするにあたって、なぜ、本番ではなく、ゲネプロを採用するのかという疑問は、強く残る。両方の録音をもっていて、わざわざ本番を採用しないとしたら、かなりの理由があるはずである。ルツェルンの第九を追悼盤にしなかったのは、EMIの担当責任者であるレッグの夫人であるシュワルツコップが反対したからであるということになっている。それを信じるしかないから、その前提で考えると、やはり、シュワルツコップが本番の採用に反対したという理由が、まず思い浮かぶ。それで、再度、EMI盤とバイエルン盤の両方をかなり注意して聴き比べてみた。ただし、シュワルツコップのチェックが目的なので4楽章のみ。