スウェーデン放送協会に所蔵されていた、フルトヴェングラーのバイロイト第九が発売されることは、事前に大きな話題となっていた。そして、発売された。しかし、期待ほどにレビューが書かれていない。たくさん書かれるはずのレビューをまって、それを読んでから書くつもりだった。私自身は、購入する意志はなかったし、実際に購入していない。というのは、スウェーデン放送協会が放送したとされるものの録音なのだから、バイエルン放送協会のものと同じであることは、ほぼ予想がついたし、そうでなくても、録音されたものはゲネプロと本番の2回しかないのだから、バイエルン盤と同じでなければ、EMI盤と同じということになる。両方もっているのだから、どちらかと同じであるかを確認すればいいわけで、かなり高価でもあり、買おうとは思わなかった。ただ、特に、EMI盤が本番であるとする平林氏が解説を書いているということで、その趣旨を踏まえたレビューがあるかと思っていたのだが、まだないので、とにかく、これまで何度かこの話題について書いてきた身としては、現時点での考えを書く必要を感じている。
レビューを見れば、バイエルン盤と同じだということは、みな同意見だが、だからバイエルン盤が本番であることが確認できたとするものと、どちらが本番かはやはりわからないとするものがある。私自身、バイエルン盤とスウェーデン盤が同じだからといって、直ちにそれが本番であることにはならないと思っている。その可能性が多少高いとは思うのだが。ちなみに、私はEMI盤が本番だという解釈をしてきた。
この論争は、邪馬台国論争に似ていると思うようになった。というのは、少なくとも現在のところ、どちらにしても、解釈の範囲なのだ。録音を聴いた感想から判断する人もいるし、前後の拍手や咳など、外的なことで判断する人もいる。そして、私のように、演奏にあるミスで判断する人もいる。もし、当時演奏した人が、今も生きていて、あるいは生きている間に、証言すれば、はっきりするのだが、どうやらそういう証言はないようだ。だから、どちらにしても、主観的な判断なのである。そして、結局、どちらかが最終練習で、他方が本盤であることは間違いない。両方聴けるのだから、そう思って両方を楽しめばいいではないかということになる。どちらもいい演奏であり、しかし微妙に違うのだから。
しかし、それでは改めて書く意味もないので、これまであまり触れなかったことを中心に、再度考察してみる。
はっきりしていることは、バイロイト音楽祭は、全公演(もちろん同一演目は一度だろう)が録音され、ラジオ放送されていた。そして、ゲネプロと本番が両方収録された。当然、本番を放送するのが本来であるが、演奏事故があった場合も考えて、ゲネプロも録音したといわれている。残念ながら、当時のラジオ放送が、スポーツの実況中継のようなライブ放送だったのか、あるいは、演奏が終了したあとに、事故がなければ本番を、事故があればゲネプロを放送したのか、どちらかわからない。本当のライブ中継は、かなり危険でもあるから、演奏家は嫌がっただろうし、私は終了後だったのではないかと思っている。現在は、ベルリンフィルやアメリカのメトロポリタン・オペラの実況があるが、これは、演奏家の水準が大きく向上したことによって可能になったので、バイロイトの実況録音として発売されたレコードは、実は事前収録されたものがほとんどだ。数年前に、バイロイトの生中継がテレビ放映されたことがあり、私もそれを録画したが、画期的なことだということだった。カラヤンが映像を重視するきっかけになったのは、日本での演奏会をNHKが放映したことだが、その放映は、当日の演奏会終了後だった。カラヤンは、演奏会を聴いて、帰宅して再度テレビでさっき聴いた演奏を聴き返す。これはすごいことだ、と感動したらしい。やはり、時間差があったのだ。
フルトヴェングラーの第九の本番が何時から始まり、ラジオ放送の日付時間と一致していれば、生中継だったことになるが、それを確認している情報は、私が知る限りではないのだ。
次に、EMIがライブ演奏をレコードにして発売するときに、ライブであるという宣伝であるのに、本番ではなく、ゲネプロを採用するだろうかという素朴な疑問は、やはり消えない。発売の責任者はEMIの主要プロデューサーであるワルター・レッグであり、その夫人がソプラノを歌っているシュワルツコップである。もちろん、シュワルツコップは、レコードが本番か練習かは、確実にわかる。そして、シュワルツコップは、レッグに対して、強い影響力をもっていた。というのは、フルトヴェングラーがなくなったとき、EMIがもっていた第九の録音のよい状態の演奏は、バイロイト音楽祭と少しあとのルツェルン音楽祭(オケは、EMIの録音オケであるフィルハーモニア)のふたつだったが、シュワルツコップがルツェルン盤に強く反対してバイロイト盤を追悼盤として発売したとされている。ルツェルン盤はかなりあとになって発売されたのだが、多くの人はルツェルン盤のほうがよいとしている。シュワルツコップは、自分の歌に気に入らない部分があったという理由で反対したのだ。当然、そういうこだわりをするのがプロというものだろう。そういう実際に歌った人が、ライブ演奏と称して、練習のときの録音をレコードにすることを承知するだろうかということは、やはり、疑問として残るのだ。(周知のことだが、念のために書いておくと、EMIはフルトヴェングラーとウィーンフィルを使ってベートーヴェン全集の録音を進行させていたので、バイロイトの演奏をレコードにするつもりはなかった。カラヤンのマイスタージンガー録音のためにスタッフと機材を揃えていたので、念のためにフルトヴェングラーの第九も録音しておこうという程度だった。しかし、ウィーンフィルとの第九録音前にフルトヴェングラーが死んでしまったので、どちらかを全集にいれる必要があったことと、追悼盤としてバイロイト盤を作成して発売したところ、空前の大ヒットになったわけだ。)
では、本番はEMIだが、ラジオ放送されたのは、バイエルン盤だということは、理屈として成立するだろうか。それを考えてみる。
まず、ふたつははっきりと違う演奏であることは、聴いた人みなが認めている。しかし、徳岡直樹氏が詳細にチェックしたところによると、EMI盤の3楽章の数カ所に、バイエルン盤の部分が入れ換えられているという。専門家が厳密にチェックしたようなので、それを正しいと前提して考えてみる。
すると逆にEMI盤が本番と考えたほうが筋が通るのだ。EMI盤の3楽章は出だしに、考えられないようなミスがある。ファゴット、クラリネットが順に音を重ねて、そのあと第一バイオリンが主題を奏するのだが、その入りが明らかに2拍(といってもアダージョなのでかなりの間があるように感じられる)くらい遅れてでるのだ。バイエルン盤は、楽譜通りに出る。徳岡氏のいうように、EMI盤がゲネプロで、まずい部分を本番のバイエルン盤と入れ換えたのならば、なぜこの出だしの大きなミスを訂正しなかったのか。ここをこそ、訂正するはずではないか。それは、有名な4楽章最後の部分も同じだ。EMI盤は、ながらく崩壊状態で終るように聴こえていたが、新しい盤では、崩壊しそうだが、崩壊はせず、オケがかなりあせって不安定になっている感じだ。バイエルン盤はかなりきちんと揃ったままで終わる。ここも、本番がきちんとしていたなら、崩壊寸前の演習部分は取り替えればいいではないか。
つまり、本番にはいくつかのミスがあった。だから、バイエルン放送は、ミスのほぼないゲネプロを放送で流した。当然スウェーデン放送でもそれを採用した。(電送だったはず)しかし、レコードでは、修正が可能だから、あまり身立たないミスをゲネプロを使って修正し、あまりに目立つミスは、そのままにして、本番を使った。ばれてしまうからだ。
レコードをどのように考えるかは、人によって違う。当初のカラヤンは、レコードはライブとは違うもので、完全なものでなければならないというレッグと同じ考えで、使い分けた。(後年は違う姿勢になったようだが)だから、ライブ録音のレコードは、ほとんどなかったのである。しかし、バイロイト音楽祭では、フルトヴェングラーの第九を、発売用にレコード録音をしていないことは誰でも知っており、そして、追悼用に急遽発売されたレコードはライブ演奏だということになっていた。レッグ自身、レコードは完全品という考えだったから、いずれにせよ、修正は必要と考えていただろう。しかし、ライブとしてだす以上、どちらを基本にするかは、常識的に本番を主にするのではないか。そして、実際に演奏に参加した人が夫人であり、演奏から数年しかたっていないから、演奏に参加した人たちはほとんど生きていたはずだ。練習盤をライブとしてだしたら、偽りの商品になってしまう。
ということで、やはり、EMI盤が本番ではないか、と私自身は思っているのだが、それは「証拠」があるわけではない。バイエルン盤とスウェーデン盤が同じだから、こちらが本番だというのは、必ずしも成立しないのである。
とはいっても、これは邪馬台国論争のようなものであって、両方楽しめばいいことで、論理的な遊びであることも確かだ。最後まで読んでくれた人も、たぶん論理遊びが好きな人だろうと思う。感謝。
スウェーデン放送盤は、演奏前のアナウンス、演奏後の長い拍手が入っています。1回の放送のみの局が、演奏はゲネプロ、拍手は本番の編集はしないでしょう。レックは編集の前科(フルベンのトリスタン、イゾルデのフラングスタートが怒った)もあり、不明の足音も(スウェーデン盤にはありません)。EMI盤は編集盤として聴けばよいのです。
ハンスリックさん、コメントありがとうございます。回答は長くなるので、再度本文として投稿いたしました。