ジャーナリストによる名誉毀損訴訟1

 ジャーナリストの安田菜津紀氏が、差別投稿されたとして、195万円の損害賠償を求めて、東京地裁に提訴したという記事が,12月8日付けで一切に配信された。安田氏は、TBSのサンデーモーニングに出演しているので、何度も見たことがあり、考え方も知っているつもりだ。基本的には、彼女の考えかたを支持していることは明言しておきたい。
 しかし、今回の提訴については、あまり好感をもてない。
 まず事実経過を確認しよう。
 昨年の12月13日に、「もうひとつの遺書、外国人登録原票」というエッセイを、彼女が属するDialogue for People のホームページに掲載した。https://d4p.world/news/8032/
 そして、そのエッセイを広めるためだろう、自分のツイッターに、12月19日に紹介した。すると、そこに以下のような書き込みがなされたという。

 
(1)「密入国では? 犯罪ですよね? 逃げずに返信しなさい」(同月14日)
(2)「在日特権とかチョン共が日本に何をしてきたとか学んだことあるか? 嫌韓流、今こそ韓国に謝ろう、反日韓国人撃退マニュアルとか読んでみろ チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよくわかるわい お前の父親が出自を隠した理由は推測できるわ」(同月21日)https://www.bengo4.com/c_23/n_13867/
 
 当時の安田氏のツイッターを確認したが、こうした書き込みは削除されたようで、安田氏自身がどのように対応したかも、現在ではわからない。
 そして、安田氏は、この書き込みの主を明らかにするために、裁判所に申請し、裁判所が、こうしたヘイトの書き込みは違法であるという認定をした上で、書き込みの当人を開示した。そして、1年たった時点で損害賠償訴訟をおこしたということになる。安田氏のツイッターには、提訴支持の応援メッセージが多数寄せられている。私は、アカウントはもっているが、普段ツイッターをやっていないので、リアルタイムではこの事態を認識しておらず、提訴で初めて知った。私自身、名誉毀損訴訟には無関心でいられないし、テレビでよく見る人なので、可能な限り情報を集めてみた。
 
 結論をいえば、安田氏の主張は認めるが、提訴は支持しない。
 安田氏の主張の根幹は、表現の自由は差別の自由ではない。確かにそうだ。ヘイト表現を野放しにすることは、民主主義を崩していくことになることは間違いない。安田氏の書いたエッセイも、好感をもって読んだ。
 しかし、どうしても疑問も起きるのである。
 安田氏は、プロのジャーナリストである。普段から、現状分析を行い、それに対して提言をし、かつ、かなり強い言葉で、批判も行っている。つまり自身も、多数の批判的文書を発表しており、そういう意味では、パブリック・フィギュアであるといえる。少なくとも、誰もが認める言論人である。
 
 昨年12月19日に、エッセイを紹介したツイッターは、現在でも検索機能を使って読むことができるが、しかし、それ以後のやりとりは読むことができない。ヘイト的な書き込みがあったことは、報道によってのみ知ることができ、安田氏がそのヘイトに対して、答えたのかどうかはわからない。やりとりを含めて削除したのか、あるいは安田氏が回答しなかったのかもわからないのである。現在みることができる内容からは、ヘイトの書き込みがあった、書き込み主を明らかにするように裁判所に申請した、裁判所が認めたので、提訴した。こういう一連の動きになる。私もかなり調べてみたが、わかることはこの程度だ。
 率直にいって、ジャーナリストとしての資質に疑問がわく。13日のエッセイは、父親が在日二世であることを、父の死後知ったことにかかわって、安田氏のその後の行動や思いを綴ったものである。好意的に読む者が多いだろうと思うが、反感をもつ人がでることは容易に想像できる。既にエッセイとして公表された翌日と、ツイッターに紹介された2日後に、ヘイト書き込みがあった。これだけなのか、あるいはたくさんあったが、代表的なものを報道したのか、それもわからない。報道を読む限り、大量にあって、これだけを問題にしたようにも思えないのだが、それはあくまで推測だ。この推測の限り、安田氏は、それほどの議論をすることなく、開示請求をして、提訴に至ったように思われる。ヘイト書き込みをする人間と議論などしても仕方ないということなのだろうか。安田氏自身が、議論しようにも、相手は匿名だからできないと書いているが、相手が匿名であっても、いくらでも議論はできる。匿名でも、書いたり読んだりしているのは生身の人間である。匿名のほうが議論しやすい場合だってある。裁判所によって相手の実名を知ったとき、議論をしたのだろうか。
 
 私は古い話になるが、インターネットが普及する以前のパソコン通信時代に、思想問題を議論するフォーラムに参加していたことがある。激烈な議論が日常的になされるところで、私自身にも、誹謗抽象的な発言を向ける人が何人もいた。しかし、私自身は、論争に持ち込むことで、何らかの終息に至るようにした。相手の発言を削除するように要請することはできたが、したことはない。言論の世界で、相手の発言を削除しても、解決にはならないからだ。
 裁判はどうだろうか。
 「表現の自由」は、第一義的には、国家権力の干渉からの自由を意味する。しかし、裁判所は国家権力そのものである。もちろん、一般人が他に救済措置がない場合、裁判に頼ることは正当であるし、一般人でなくても、そうした場合がないとはいえない。しかし、言論を職業としている人が、自分にヘイト言論を向けられたからといって、国家権力に助力を簡単に頼むのは、言論人として、信頼できる行為だろうか。プロである以上、まずは言論で立ち向かう必要があるのではないか。
 先の(1)「密入国では?犯罪ですよね?」などという書き込みについては、簡単に押し返すことができるのではないだろうか。半島から日本にやってきた祖父は、当時半島も「日本」なのだから、国内移動に過ぎず、密入国などということが、そもそもあてはまらないわけだし、日本で生まれた父(在日二世)は、入国すらしていない。そういう事実を丁寧に返せば、相手としても、ぐうの音もないはずだ。
 
 更に重要なことは、訴訟で勝っても、相手が内面を変化させることは、まず期待できないということだ。おそらく、安田氏は勝訴するに違いないが、相手が賠償金を払うかどうかもわからない上に、ああ自分は間違っていた、今後在日のひとたちを尊重しようという気持ちになる可能性は、極めて低い。権力によって認定を示されたに過ぎないのだから、ますますヘイトの感情を募らせると思うべきなのだ。それが問題の解決に向かうことだろうか。だまらせる効果はあっても、怨念は高揚する可能性が高いのだ。
 ヘイト発言を黙らせることではなく、ヘイト感情そのものを変えていくことが大事なのである。
 
 おそらく、安田氏は、同じ価値観をもつひとと仕事をしていて、まったく逆の価値観をもっているひとと、突き詰めた議論をしたことがないのではないかと、思わざるをえないのである。そう思わせる文章がある。「皇室と結婚の報道に感じる理不尽さ」という記事である。https://comemo.nikkei.com/n/n9c481909dabf
 長くなったので、この点については明日書くことにする。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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