バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』

 バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』のブルーレイ・ディスクをやっと聴き終えた。前に書いたブルゴスのベートーヴェン交響曲全集と一緒に購入し、ブルゴスはすぐに聴いたのだが、こちらは、かなり間をおいて、一幕ずつ聴いてきた。なにしろワーグナーものは、時間がないと聴くのが難しいし、やはり決意がいる。ヴェルディなら気軽に聴けるが。
 もうひとつ躊躇の理由として、かなり以前になるが、最初にCDが発売されたときに、トリスタンのペーター・ホフマンが、この録音に対して、かなり悪口を述べているインタビュー記事があったのだ。この録音は、ほんとうに嫌だった、しかし、カラヤンとの『パルジファル』は、とても楽しかったし、充実していたというような内容だった。そのために、CDを買う意欲は起きなかったのだが、BLが発売され、しかも在庫整理ということで、かなり安かったので購入したわけだ。

 まず演奏者は以下の通り。超豪華といわざるをえない。
ペーター・ホフマン(トリスタン)
ヒルデガルト・ベーレンス(イゾルデ)
イヴォンヌ・ミントン(ブランゲーネ)
ベルント・ヴァイクル(クルヴェナール)
ハンス・ゾーテン(マルケ王)
ヘリベルト・シュタインバッハ(メロート)
ハインツ・ツェドニク(牧童)
トマス・モーザー(水夫)
ライムント・グルムバッハ(舵手)
マリリーズ・シュプバッハ(イングリッシュホルン)
ゲティング・チャンドラー(ホルツトロンペーテ)
バイエルン放送合唱団
バイエルン放送交響楽団
レナード・バーンスタイン(指揮)(HMVのページより)
 録音は1981年1月13日、4月27日、11月10日というように、かなり間をおいて演奏されている。演技などはほとんどしない、ほぼ完全な演奏会形式である。一幕ずつ演奏しているので、オーケストラのメンバーも代わっている。それだけ期間があいているのは、おそらく、普段オペラを振らないバーンスタインとしては、じっくり勉強する必要があったのではないかと思われる。有名なベームのバイロイト盤も、一日一幕ずつ録音されているが、ほぼ連続した日に録音されたと思われる。これだけ間があると、歌手たちにとっては、やはり、やりにくかったのではないかと想像してしまう。ホフマンの不平には、それもあったかも知れない。
 
 演奏だが、かならず言及されるテンポの遅さは、尋常ではない。こんなに遅い前奏曲を聴いたことがないし、ついていくのが大変だった。しかし、全曲遅いわけではなく、音楽が前に進むような、劇的な場面ではテンポもあがり、バーンスタイン特有の情念の爆発が感じられる。第一幕で、毒薬(と思っているが、実は媚薬)を飲んで死のうとするが、逆に情熱的に愛し合い、港についたので騒がしくなる場面、二幕では、待っているイゾルデのところにトリスタンがやってくる場面と、二人の逢瀬がマルケ王の登場で破られる場面、三幕も、死にかけているトリスタンのところにマルケ王が上陸してくる場面などが、すばらしいエネルギーで表現されている。しかし、もっとも音楽的に魅力的な、前奏曲、二人の逢瀬で歌われる「愛の二重唱」や、フィナーレでもある「愛の死」は、何か没入できなかった。「愛の二重唱」は、もちろんゆったりしたテンポの曲だが、次第に音楽が高揚してくるときには、前進するように盛り上がってほしいのだが、それがない。「愛の死」も同様で、もっと進みたいのに進めないというもどかしさがある。「愛の死」は二度聴いたが、同じ感想だった。いずれもテンポが遅い部分の聴きどころに不満を感じてしまったが、劇的な場面は聴き応えがあった。
 歌手は、いずれもすばらしい。特に、イゾルデのベーレンスは、多くの人がいだくイゾルデのイメージに非常に近いのではないだろうか。クライバー盤のマーガレット・プライスにもそれがいえる。ビルギット・ニルソンのイメージが強いイゾルデだが、ニルソンのような女戦士ではなく、癒しの術を体得した女性にすぎないのだから、ブリュンヒルデとは違って、多少細い叙情的な声のほうがふさわしいのであり、ここでのベーレンスは、そうしたイゾルデにマッチしている。しかし、さすがに音楽的には極めて強力な表現力をもっているから、イゾルデの理想形ともいえる。
 評価が難しいのは、ホフマンのトリスタンだろう。当時のトリスタン歌手としては、ルネ・コロが第一だったろうが、バレンポイムのバイロイトと、クライバーの録音が、時期的に重なっており、契約上難しかったのかも知れないし、バーンスタインがむしろホフマンを望んだのかも知れないが、私には、どちらなのかわからない。ただ、ホフマンのトリスタンは、英雄的イメージが多少弱い。だが、トリスタンは、豪傑的な英雄だったのかというと、イゾルデの許嫁であるモロルトを倒すが、自分も傷を負い、イゾルデに治癒してもらうような人物だから、英雄だが、弱さもある存在と理解すれば、ホフマンのトリスタンは適役ともいえる。ホフマンは、ジークムント、ローエングリン、パルジファルというように、何かの力を借りて力を発揮するような役をやっている。ジークフリートは録音していない。もちろん、優れたワーグナー歌手だから、この演奏が弱いわけではないし、不満を感じることもない。しかし、何かふっきれないものがある。
 驚いたことに、第三幕では、ホフマンは一人楽譜を見ながら歌っている。譜面台をおいて、そこに楽譜がおいてあり、ときどきめくっているし、目を下に向けていることが多い。このことで、バーンスタインと確執があったのかも知れない。演奏会形式とはいえ、オペラだから、歌手が楽譜を見ながら歌うことは、まずないはずである。私も、実際に演奏会形式のオペラを何度もみたが、すべての歌手が暗譜だった。第三幕では、トリスタンは「愛の死」の前まで、ずっと歌いっぱなしだから、確かに、大変だし、あまりトリスタンを歌った経験がないから、暗譜に不安があったのだろう。逆に楽譜を見ながらだから、歌に不安はないのだが。
 ヴァイクルのクルヴェナール、ミントンのブランゲーネ、ゾーティンのマルケ王は、いずれもはまり役だろう。
 演奏者で文句なしにすばらしかったのは、オーケストラだった。歌劇場のオーケストラではないのに、この複雑で長大なオペラを、バーンスタインの指揮にしっかり合わせて、効果をあげていた。もっとも、ウィーン・フィルは例外として、意外にコンサートオケのほうが、オペラ劇場のオケよりも、優れたオペラ演奏をするともいえる。アバドの「セルビアの理髪師」には、ロンドン交響楽団のCDとミラノスカラ座との映像があるが、私には、ロンドンのコンサートオケのほうが優れているように聞こえる。そういう意味では、バイエルン国立歌劇場のオケより、バイエルン放送交響楽団のほうが優れた演奏をするのも不思議ではない。そして、バーンスタインとの練習には、かなりの時間をとったように思う。バーンスタインの非常に細かな指示に、敏感に反応している。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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