鬼平犯科帳 密偵との連絡方法

 鬼平犯科帳は、今の時代でいえば、「刑事もの」だから、捜査や連絡の手法がたくさん出てくる。当然、江戸時代だから、科学捜査などはないし、連絡方法も原始的だ。捜査の手法なども、ほとんど現行犯逮捕が主で、証拠を積み重ねて犯人を割り出すなどということが、かなり難しい時代だった。行方不明だった同心の源八が発見されたが、記憶喪失になっていて、行き詰まってしまう。が、発見されたとき身につけていた破れた菅笠の文字から、藤沢あたりの街道にある茶店が特定されるというような例はあるが、他はほとんどが現行犯である。盗賊と思われる人のあとをつけ、居場所と押し込み先(引き込みとの連絡から探る)を探りあてて、押し込む現場を抑えるというやり方である。これが、火付け盗賊改めの本当のやり方だったかどうかはわからないが、指紋や遺留品の科学的分析、防犯カメラなどが使えなかった時代としては、わかりやすい設定といえる。
 しかし、連絡方法については、当時でもいろいろあったに違いない。そこに活躍するのが、密偵たちである。現在でも、スパイはたくさん活躍しているわけだが、実はスパイの連絡方法やものの渡し方などは、古典的な手法もたくさん残っているらしい。だから、鬼平犯科帳の密偵たちの活動のスタイルは、考えさせることが多々ある。

 密偵といっても、元盗賊という制約があるので、やることはあまり多彩ではない。
 悟られないように、盗賊と思われる人物のあとをつけて、居場所をつきとめること。つきとめたら、情報を集めるために聞き込みをすること。そして、それらを平蔵、与力、同心たちに伝えることである。鬼平犯科帳の密偵たちは、元盗賊なので、盗賊たちに顔を知られており、潜入捜査などのような、直接接触しての調査などはしない。したがって、工夫が必要なのは、連絡方法である。
 
 まず前提として確認しておく必要があるのは、「役宅」なるものがあったのかという点だ。歴史書による解説では、奉行所や代官所は役宅があったが、火付け盗賊改めには、役宅はなかったとしている。だから、歴史上の実際の長谷川平蔵は自分の私邸を役宅として使っていた。牢と白州なども小さなものをわざわざつくったという。しかし、小説では清水門外に役宅があることになっており、ただし、看板はかかっていないので、単に大きな屋敷があるということだ。ところが、TVドラマでは、大きく火付け盗賊改めと看板がかかげてあって、門番が常に立っている。歴史的には、研究者が語っていることが正しいのだろうが、一応小説の検討なので、清水門外に役宅があるが、看板はないということにしておこう。というのは、出入りのチェックといっても、どこに役宅があるのかわからなければチェックもできない。ある武士が平蔵をつけてきて、平蔵が屋敷内に入ったあと、「はて、ここはどこか」と訝しがる部分があるが、少なくとも近所のものにはわかっていたろうし、盗賊たちのなかには、近くで平蔵や与力・同心たちのチェックをしている場面が、ときどき出てくる。しかし、服装などは変装して出入りするから、直ちに外部の人間がわかるわけではない。
 
 さて、はじめのころは、池波正太郎自身が、密偵を中心に描くという構想をもっていたわけではないと思われるのである。というのは、まだ、密偵が登場していない段階ではあるが、最初のころは、町奉行に所属する同心に使える岡っ引きが、平蔵を助ける場面が多く出てくる。
 「女掏摸お富」では、御用聞き(奉行所の同心に仕えている)の文治郎から話を聞き、協力してお富を監視する。「むかしの女」でも、この文治郎が登場して、平蔵に報告している。だから、はじめのほうでは、密偵はほとんど活躍していない。ただし、最初に書いた(文庫本では4番目に配置)「浅草・御厩河岸」と第一話である「唖の十蔵」には、密偵の岩五郎が出てくる。まだ平蔵が長官になる前から、前任者の与力だった佐嶋忠介が使っていた密偵(元盗賊)が登場する。最初の登場(「唖の十蔵」)では連絡方法が出てこないが、あとでは、佐嶋がすれ違い様に岩五郎に目配せをして、岩五郎が佐嶋のあとをついていく。そして、林のなかで密談し「おれは長谷川様御役宅の長屋へ移っているが、かまえて訪ねて来るな。急用のあるときは、お前の店の軒先へ、そうだ、この笠をつるしておけい」という連絡方法を指定する。つまり、はじめのうちは、密偵が役宅に出入りすることは禁止していたのである。もちろん、それは役宅の廻りで盗賊たちが出入りを見ている可能性があるからだ。
 「暗剣白梅香」では、とらえられた盗賊が、平蔵に説得されて密偵になった第一号である粂八が、平蔵に報告する方法を説明する文がある。普段は、粂八が活動している場所に、ひそかに平蔵が出向くのだが、粂八からの急用があるときには、笠に顔をかくして清水門外の役宅の表門を通りすぎながら、門番にちらと顔を見せ、何気ない様子でさっさと通りすぎてしまう、という方法だ。それが門番から平蔵に報告され、平蔵が鶴やに現れるというわけである。
 このあと、鶴やの主人の森為之介が、自分を敵と狙っている金子半四郎を返り討ちにして、江戸を去るので、鶴やの経営を平蔵は、粂八に任せる。したがって、粂八との連絡は、平蔵が鶴やにやってくることが多いが、次第に、粂八が普通に役宅に出入りするようになる。
 第2巻の「妖盗葵小僧」では、最初から鶴やで、隠し部屋(へやの話を盗聴できるようになっている部屋)でえた情報を、粂八が役宅に報告に来る。この時点では、少なくとも粂八は、役宅にフリーパスのようだ。しかも、粂八が役宅にやってくると、平蔵はたいてい粂八に酒をだして、一緒に飲むのである。
 最初の厳格さは、その後はほとんどでてこない。むしろ、ルーズだが問題がおきないのがほとんどで、たまに、そのルーズさが災いして深刻な結果となってしまうことがある。
 
 2巻には、「密偵(いぬ)」という話がある。一人捕まった盗賊弥一の白状で、所属の荒金一味が捕まるが、一人繩抜けして逃れた男によって殺されてしまう話である。弥一は、今は密偵として飯屋をやっているが、乙坂の庄五郎に声をかけられる。庄五郎は、繩抜けした源七が江戸に帰って来て、狙っていると忠告する。そして、数日後、今度は庄五郎が弥一を盗みの計画に引き込む。弥一は錠前作りの名人だったのである。当然、弥一は佐嶋に報告するが、佐嶋は、家から出るなとだけいい、その後、たいした対策をとっていない。偶然、佐嶋と平蔵が見回りをしているときに、錠前作りのためにでかけていた弥一と、浮気を疑っている妻おふくがあとを追っているのをみかけ、そこから、見張りの網がかけられていく。しかし、結局、弥一との連絡はあまりとられることなく、弥一は盗みの計画に参加して錠前をつくって渡すが、そのあと源七に殺害されてしまう。庄五郎は最初から源七と組んでいたのである。
 ここでは、かなり古参の密偵である弥一が、いかにも粗略に扱われ、報告にいったのに、寝ていろといわれるだけで、その後錠前つくりのために、別の場所に頻繁にでかけているのに、火盗改めとして対策をとっていない。非常に不思議な話だ。弥一は平蔵直属の密偵ではないので、平蔵の扱いのすばらしさと対比させているのかも知れない。
 
 4巻の「密通」で、「酒井祐助が、密偵・矢掛の仁七をともなって、役宅へ駆けつけてきた」という部分がある。酒井は同心だから、密偵が同心と一緒に役宅に入るというのは、かなり危険なはずである。ここらから、連絡方法がかなりルーズになってくる。
 「血闘」は、小さいころから平蔵をよく知っている、盗人の娘のおまさが、密偵になる話である。このときには、おまさが、自分から役宅にやってきて、密偵にしてくれと平蔵に頼むのだが、今後一貫して、おまさは、役宅出入りに対しての警戒心がほとんどなく、また平蔵も同様だ。
 おまさは当時、乙畑の源八という盗賊に属していたが、裏切って情報を平蔵に教える。乙畑一味は一網打尽にされるのだが、遠島になったとか、処刑されたとか、後日談が、その後混乱している。どこかで、池波の思い違いがあったように思われる。
 「血闘」では、ある盗賊の盗みの計画の一端をかぎつけたおまさだが、逆にそれを察知されてしまい誘拐される。平蔵が不安に思っておまさの住まいを訪ねると、誘拐されたことがわかり、おまさは、その場所を示唆するメモを残している。それを頼りに、結局は救い出すのだが、向かう途中で船宿の由松に役宅への連絡を頼むと、彼が途中で暴れ馬に蹴られて気を失い、連絡がかなり遅れてしまうので、役宅からの助太刀がなかなか来ず、平蔵は危機に陥ってしまうスリルに満ちた展開をする。由松が密偵であるかどうかは明確には書かれていない。
 次の「あばたの新助」では、いきなり密偵の伊三次が登場する。彼は、重要な密偵の一人だが、密偵になった経緯が語られない唯一の人物であり、しかも、ここでは役宅内の組屋敷に寝起きしている。だから、役宅を自由に出入りするわけだ。当然伊三次は元盗賊であり、実際に昔の盗賊仲間に発見されて殺害されてしまう。唯一途中で死んでしまう、重要密偵である。ここらになると、密偵の出入りについて、作者自身か無頓着になっている。
 
 もっとも大きな悲劇は、馬蕗の利平治であろう。13巻の「熱海みやげの宝物」で平蔵に助けられ、密偵になった馬蕗の利平治は、盗賊の妙義の団右衛門と江戸の街で出会い、盗みを手伝う約束をするが、そのあと、その報告を平蔵にするために、直接役宅に行ってしまう。しかし、念のため利平治のあとをつけさせた団右衛門の手下に、密偵であることが把握されてしまうのだ。そして、結局、何度か、相互に化かしあいの会合をしたあと、利平治は殺害されてしまうのである。このときの平蔵は、いかにも安易にかまえている。利平治に「どこにいると、団右衛門にいったのか」と聞いて、「お熊さんのところにと答えました」という返事で、簡単に了解してしまう。お熊のところにいると答えたら、そこにまっすぐ行かねばならないのに、役宅に来たのだから、あとをつけられた場合、当然密偵であることがばれてしまうわけだ。その確認をしていない。利平治の死体をみて、呆然とするのだ。
 結局作者の池波正太郎が、あいまいに扱うようになったのか、あるいは、平蔵が密偵によって扱いを変えているということなのか、あるいは、利平治のような例をつくって、物語を多様にしているのか、どうもわからないところだ。ただ、本当に盗賊だった密偵がいるなら、初期の厳格な連絡方法こそが、とられるべき適切なものだったに違いないし、実際にはそうだったと思われる。
 次は、盗賊たちのつなぎの方法について整理してみたい。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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