ずいぶん前に購入したが、視聴していなかったフォン・オッターの「カルメン」を全曲視聴した。きっかけは、オッターのカルメンではなく、指揮のフィリップ・ジョルダンが指揮をしていることに気づいたからだ。ジョルダンは、ウェルザー・メストが退任して以降、しばらく空席だったウィーン国立歌劇場の音楽監督に昨年からなった人である。例にもれず、コロナ禍に見舞われて、まだ十分に活動しきれていないと思われるが、今後活躍してほしい人だ。youtubeで、マーラーの1番の日本公演の映像をみて、ずいぶん細かな表情付けをする人だと思ったが、なかなかよかったので、このカルメンを見る気になったわけだ。
評判と驚きを獲得した演奏であることは知っていたが、これほどとは思っていなかった。近年めずらしく、音楽の作り(指揮と歌手)と演出が完全に共通のものをめざしているオペラ上演になっている。演出家優位の上演が続くなかで、指揮者が演出にあまり意を介さないような演奏がかなりある。とくに、音楽祭の上演にそれが顕著だ。歌劇場の演出なら、10年20年と使う舞台だから、きっちり仕上げるが、音楽祭はせいぜい3年程度、しかも、一年に5,6回の上演だから、あまり舞台にお金をかけられず、制限があるなかでの舞台なので、勢い、安上がりで、劇のなかみとはかけ離れた設定になりがちだ。しかし、この上演は、グラインドボーン音楽祭の出し物であるにもかかわらず、舞台設定もしっかりしており、そこで繰り広げられる音楽も、舞台設定とぴったりあっている。そういう意味で、非常に質の高い上演だし、そういう方向性において、すぐれた演奏だ。しかし、好きかといえば、やはり、好きにはなれない。あまり、繰り返し聴く気にはならない演奏だ。
カルメンという女性について、二通りの理解がある。最近多いのは、カルメンは社会に縛られた女性という存在を脱して、自由をめざして、自分の意志に忠実にいきている開放的な女性というものだ。アバド指揮でのベルガンサが典型で、彼女自身インタビューでそのように語っていた。しかし、メリメの原作では、典型的な悪女であって、夫がおり、盗賊だ。こまかい筋ではいろいろと違いがあるが、ドン・ホセは、カルメンのために、身を誤り、兵隊から、盗賊のようなものに成り下がってしまう。そして、煙草工場での騒ぎで事件を起こした(オペラでは何をしたか明らかでないが、原作ではカルメンが女工の一人を殺してしまう。)カルメンを、わざと逃してやって、営倉入りになる。そして、出所後盗賊の仲間に引き入れられ、最後には、闘牛士に恋したカルメンを嫉妬して殺害してしまうことは共通である。しかし、原作では、ホセは、カルメンの情夫と盗賊として相棒だったが、情夫ガルシアを殺害してしまう。その後カルメンと一緒に過ごすが、闘牛士が現れ、ルーカス(オペラではエスカミリョ)は、闘牛で瀕死の重傷を負ってしまう。そして、盗賊の生活に嫌気がさしたホセが、カルメンに新天地(アメリカのこと)にいってやり直そうと提案するが、カルメンが拒否するので、殺してしまうのである。(オペラでは、あくまでエスカミリオを好きだというカルメンを、嫉妬心から殺害する。)
つまり、原作のカルメンは、やはり、相当な悪であって、束縛を嫌うことは事実だが、それは、高邁な自由を主張しているわけではない。
オッターのカルメンは、演出自体が、かなり原作に近いと思われるが、そうした悪女そのものになりきっている。もちろん、オペラにしたときの筋の変更はあるが、とにかく、すべてにおいて荒んだ雰囲気に包まれている。
一幕の兵隊の詰め所と煙草工場がとなりあっている場面でも、登場する女工、兵隊、子どもたち、すべてが、汚らしく、言葉使いも乱暴だ。第二幕の酒場も、非常に暗い舞台で、最初のジプシーの踊りも、華やかさからは遠い。
三幕の山岳地帯の密輸団の舞台は、いわずもがなだ。流石に、第四幕は闘牛場の晴れ舞台なので、明るい雰囲気だが、皆が去っていき、カルメンとホセ二人が残ると、またまた、陰惨な雰囲気に包まれ、ホセがカルメンを殺害する。普通そこまでやらないが、カルメンの首筋から血が流れ落ちる。
台詞がかなり多く、ギロー版のレシタティーボでは、分かりにくく、また、不自然な進行も、なるほどそういうことなのか、と納得できる場面がいくつかある。
さて、肝心の演奏のほうだ。とにかく、陰惨な舞台にあわせて、歌唱も野卑な歌い方を、しかも極端にする。とくに、オッターのカルメンがそうだ。相手をからかう、怒りをぶつける、誘惑する、実に多彩な感情表現をともなうが、それが極端に艶かしさをともなって歌われるので、オットーってこんな歌手だったのかと、驚いてしまう。これはを視聴した人は、みな思ったに違いない。私にとってのオッターは、クライバーのバラの騎士でのオクタビアンだから、あまりにイメージが違いすぎる。片やジプシーの悪事をものともしない女であり、片や若き伯爵だ。芸域が広いということなのか、思い切って、新境地を開こうと決意したのか。
私が感心したのは、むしろドン・ホセのマーカス・ハドックだった。私は、まったく知らなかったのだが、たしかに、録音は極めて少ない。HMVのオペラ歌手一覧に名前がないのだから妙である。このDVDはちゃんと目録にでているし、そこの配役にも名前が当然掲載されているのだから。録音が少ないのは、比較的若くして、脳出血に見舞われ、歌手生命を失ってしまったからのようだ。三大テノールの影に隠れてしまったのかも知れない。四幕で、カルメンに懇願し、怒り、殺害する場面は、それぞれの感情に応じて歌いわけ、「俺が殺した」と叫ぶ場面など、訴えるものがある。
ミカエラとエスカミリオは、いまいちという感じだった。ミカエラは、相当に難しい役なのだろうか、私は、カラヤンのフレーニとクライバーのブキャナン以外に、満足したことがない。最初の登場では、お嬢様的な歌い方、スーブレット的だが、ホセとの二重唱では、もっと強い表現が必要で、多少リリコ・スピント的要素が必要となる。そして、三幕のアリアでは、もっとドラマティックな表現が要求されるわけだ。フレーニとブキャナンは、そうした歌いわけをしっかりとやってのけていたが、リザ・ミルンは、高い声を力んでだす感じで、不満が残った。エスカミリオのロラン・ナウリというバリトンも知らない歌手で、歌は立派なのだが、なんとなく草食系の感じで、兵隊で人殺しもやってのけるホセを圧倒し、カルメンを奪いとるだけの荒々しい魅力を感じないのだ。三幕でのホセとの決闘部分はいいとして、四幕で、カルメンとの二重唱では、えっ、カルメンってこんな頼りない男に心を奪われていたの?という驚きが生じてしまった。もっとも、原作では、闘牛の競技で大失敗して、牛に倒されてしまい、大怪我をするような男だから、原作に近いのかも知れない。ただし、オペラでは、牛を倒して歓声があがることになっているのだから、やはり少々まずい。
そして、ジョルダンの指揮だが、演出にあわせた演奏ぶりで、オットーの野卑な歌にぴったりつけていく。しかし、逆に、ホセの花の歌は、もっと情熱的に盛り上げてほしかった。なんとなく、指揮が微温的でハドックも、思い切り歌うところに行きにくかった感じだ。しかし、さすがに、ホセがカルメンを殺害する長い二重唱は、すばらしい迫力で進行する。
ところで、ジョルダンはウィーンにいって、当然カルメンを指揮すると思うのだが、ウィーンはクライバーが初演したゼッフィレルリ演出をいまでも採用しているようだ。ゼッフィレルリ演出は、ずっと明るい対極にあるものだ。そのまま継続してゼッフィレルリ演出でやるのか、あるいは新演出にいくのだろうか。初演が1978年だから、既に40年以上たっている。注目していたい。