対面授業がないと、学生が大学を提訴

 本日(6月9日)の朝日新聞が、明星大学の学生が、対面授業が一切ないことは、大学が義務を果たしていないということで、学費の半額返還を含め、140万円の損害賠償を求めて、大学を提訴した。まず、感じたのが、日本もずいぶん社会感覚が変わってきたのだということだった。以前ならば、こうした訴訟が起こされるというのは、考えもしなかったろう。訴訟を起こすことは、本人にとってもかなりの負担になるから、相当の覚悟だったのだろう。これは、単に法律的な問題ではなく、やはり、教育学的な問題を提起しているとみるべきだ。私自身は、原告の訴えが認められる余地は、正直あまりないとみているが、しかし、提訴の意味は十分にあると考える。正確なところはわからないが、すべての授業がオンラインだったのは、経営学部で、提訴を考えているという学生が、すべての授業がオンラインだったと主張しているということだから、問題となったのは経営学部ということになるだろう。しかし、いかにも皮肉なことではないか。学生に提訴されるなどということは、私立大学だって経営体だから、非常に不名誉であり、大きな社会的損失になる。経営学部の教授たちは、すべての授業をオンラインにするということの経営的マイナス面を考えなかったのだろうか。彼等の学問的権威そのものも地に落ちたといわざるをえない。
 
 まず、提訴で求めている授業料変換について考えてみよう。日本の大学では、授業料や施設費などは、個々の授業や施設に対する費用としてではなく、要するにどんぶり勘定での請求になっている。アメリカやカナダの大学の授業料は、履修する単位に応じて設定されるので、もし、支払った分の授業が実際に行われなければ、その授業に相当する授業料を返還することになるに違いない。しかし、日本の授業料は、私の知る限りでの大学では、年間で決まっていて、どれだけの単位を取得しようが、変わりない。つまり、授業を履修できる大学生としての「会員権」の費用のようなものなのだ。そして、大学の授業といっても、いろいろな形がありうるので、対面授業がオンラインになったからといって、契約違反といえるかどうかは、私は疑問だ。記事に対するヤフコメでは、授業はやっているからいいとして、施設費は返還すべきだという見解がけっこうあったが、そもそもオンライン授業をするために、かなりの施設の投資が必要だったはずであり、むしろ、学生のおさめた施設費では賄いきれなかった可能性もある。また、対面授業ではなく、オンラインだから、教授や非常勤講師に対する人件費が、それだけかからないというわけでもない。
 従って、もし、この訴えが認められて、学生へ賠償しなければならないことになったら、その一例に済まないはずだから、大学としては、かなり困ることになるだろう。
 
 だからといって、大学側の弁護をするつもりもない。一切の対面授業をしないで、すべてオンラインでやっていたとしたら、しかも、それがビデオ映像を見せて、課題を出すという形式のものばかりであるとすれば、それはやはり大学としては怠慢なのではないだろうか。多くの大学では、部分的にせよ、対面授業を復活させているはずであり、また、ハイブリッドと言われる方式も、導入されているところがけっこうある。ヤフコメをみると、ハイブリッド授業の意味が、多様に解釈されているようだが、ここでは、ある授業を対面でも、オンラインでも両方で可能にするという方式の意味で使う。おそらく、大学として使っている意味は、そういうことだと思う。だから、すべての授業でハイブリッドにしているのではなく、演習、少人数授業などを、対面で行いつつ、オンラインでも流し、学外でもリアルタイムに授業に参加できるという方式で、希望で選択できるというものだ。これは学生にとって、評判がよく、しかも、上級生になると、対面よりオンラインを選択する学生が多くなるという。就職活動をやりながら授業に参加できるのだから、以前より改善されたことになる。
 更に、大学は授業だけが教育機能をもっているのではなく、何よりも図書館は重要な場であり、図書館の開館は、コロナ対策をしっかりすれば、まったく問題ないはずである。明星大学は、図書館も閉鎖しているのだろうか。
 
 訴えた側の、それも報道資料だけでは、正確にはわからないのだが、もし、報道のように、ビデオ講義で課題がでるというだけのものであれば、それはたしかにおかしなことだろう。オンラインといっても、実際には、様々なやり方がある。ビデオ講義というのは、放送大学のような方式だろうが、私が勤務していた大学でのオンライン授業は、リアルタイムの授業で、聴講している学生が、在宅であったり、その他wifiが使えるところなだけで、授業形態そのものは、対面授業とあまりかわらはない。質疑応答も可能である。そして、通常その講義は学生が録画できるから、実は、通常の対面授業よりは、本気で学びたい学生にとっては、オンラインのほうが学びのツールが多いのだ。そのようなことをしっかり認識させて、更に、講義で使う資料などを、学生がダウンロードできる形で提供すれば、おそらく、オンライン授業は嫌だという不満は、あまり起きないに違いない。私は、対面授業が復活しても、そうしたオンラインの良さは残すべきだと思っている。どうしても用事で参加できない場合に、そうしたオンラインでの参加や、あるいは録画をみるなどで、欠席しても講義を欠かさずに済むわけだ。
 
 他に、訴えを起こした気持ちとして、大学は人間関係を築くところという認識もあるようだ。実際に、大学の側からそうした提起をしているのも普通だろう。ただ、それは大学が提供するサービスなのかといえば、そうではない。学生に自覚して取り組んでほしいということに過ぎない。あくまでも、大学を利用する側が、大学に集まるなかで人間関係を築いていくことができるし、それは人生のなかで重要な意味をもつが、人間関係を築けるようにしてあげることが、大学としての業務とは思えない。クラスメートやサークル活動でえた友人が、卒業後も生活を豊かにしてくれることは大いにあることだが、そうした人間関係を築くのは、大学のなかだけではない。バイトやボランティアなどでも人間関係を築く学生も多数いる。対面授業がないと、友人関係がつくれないかといえば、そんなこともない。これだけオンラインでの交流か盛んになれば、それを起点に実際に会うことだってできる。
 
 多くの大学では、工夫を凝らし、この難局になんとか学生に満足した学生生活を送ってもらおうと努力していると思われる。しかし、そうでない大学があるとしたら、この提訴は、大きな問題提起となり、大学の側がもっとも真剣に、学生が学びやすい環境を整えるために、更に努力をするように促すきっかけになると思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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