オーケストラ録音の分離・位置感覚

 ブルーノ・ワルターのコンプリートを購入した友人と、録音の話になった。彼は、おそらく音に拘る人で、再生機器をいいものをもっていて、いろいろと調節しながら聴いていて、バランスなどを自分好みに調整するようだ。私は、そういう音感覚を全くもっていないし、そもそも調節できるような機器ももっていないので、音を調整したことは全然ない。ただ、自分のもっている機器にCDやDVDをかけて聴くだけだ。
 他方、私は、市民オーケストラで演奏しているので、実際のオーケストラがどのように響くのかを自分なりに体験している。コンサートホールは、聴く席の位置で相当違う音が聞こえるものだが、実は、舞台上でもその位置によって異なる。一般に中心、そして、前のほう位置するほど、全体の音が、個別的に分離して聞こえるが、後ろのほうにいくほど、前の音が聞こえにくくなる。金管楽器の人たちは、自分が吹いている間は、弦楽器の音は、あまり聞こえていないのではないだろうか。私はチェロだが、チェロは楽器群は、曲や指揮者によって、位置をずいぶん変える。だから、となりの音が変わるし、また、後ろに位置する楽器も変わる。だから、いつも異なった音を聴きながら演奏しているのだ。

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2021年ニューイヤー・コンサート

 今年のウィーンフィル、ニューイヤー・コンサートは異例な開催だった。はじめての無観客で行われ、世界から募集した拍手要員が、一部と二部の終わりにオンラインで拍手をするという試みが取り入れられた。指揮者は、80歳の記念とウィーンフィルの指揮50年を祝って、リッカルド・ムーティだった。
 何よりも無観客の影響がどうなるのかに興味があった。オーケストラにとって、観客のいない状態での演奏は、別に珍しいことではなく、レコーディングなどは無観客だし、放送用収録などもある。そして、現在はライブ録音が普通になっているので、ゲネプロは、本番と同じように行われることが多い。だから、演奏そのものは、別に通常と変わりなかったと思う。ただ、通常は拍手があって、お辞儀をするわけだが、それがない。かといって、世界中でライブ放映されているから、ときどき起立してするのだが、礼をするでもなく、どうやっていいのか戸惑っている感がおかしかった。せっかく拍手をいれるなら、曲ごとに拍手をいれて、普通のように、起立して礼をするようにすればよかったのにと思う。ラデツキー行進曲での拍手もされなかったので、7000人も用意する必要があったのか疑問だ。
 興味があったのは、音だ。演奏する側からすると、観客はいないほうが音がよく響くので、演奏しやすいし、演奏していて気持ちがいい。観客が入ると、音が吸収されるので、響いた感じが若干薄らぐわけだ。たしかに、普段のニューイヤー・コンサートの録画と比較してみたが、今回のほうが、音がすっきりなっている感じはあった。ただ、金管が出すぎの感じがした。

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クライバーの「カルメン」の音

 カルロス・クライバーのカルメンのDVDは、カルメンの代表的な名盤のひとつだ。しかし、以前からずっと問題になっていることがある。それは、「音」である。とにかくあまりに音が酷いという評価が定着している。私自身は、そんなに酷い音だとは思っていない。あの音は、オーケストラピットのなかで聞こえるような音に近いのだ。だから、オンマイクで拾った音をそのまま記録したような音だ。私は、市民オケをやっていて、練習会場や舞台で聞こえる音に近いので、特に違和感はないのだが、あのような生の音が商品としての「録音」として登場するのは、めずらしい。
 もうひとつの不思議な現象だと思っていたのは、あの映像は、日本では最初にNHKのBSで放映されたと記憶する。私もそうだったが、VHSのテープに録画して楽しんだものだ。この放送で、クライバーの人気は日本で一気に高まった。そして、このテープは何度も見直した。そして、そのときには、非常に自然な、つまり、ウィーンフィルの録音として聞き慣れた、つまり、デッカの録音で聞き慣れた音に聞こえていた。それが、DVDの登場で、まったく違う響きがしていたので驚いたわけだ。NHKの放送を知らない人は、DVDで初めて知ったわけだから、確かに、酷い音に聞こえたに違いない。このカルメンの市販されたものは、日本ではクライバーの死後に現れたので、そのころに出ている通常の録音や録画と比較すると、とてもいい録音とは言い難いのだ。実は、NHKとDVDの間に、CSのクラシカ・ジャパンでの放映もあり、それも録画したのだが、その音は、あまり印象がないのだ。NHKに近かったような記憶があるのだが、あまり意識しなかった。とにかく、DVDが出たときにびっくりしたわけだ。どうして同じ音源のはずなのに、これほどまでに違うのか、ずっと不思議に思っていたのだが、これが最近、原因がわかった。

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実際に聴いたライブのCD 普門館のカラヤン

 録音された音楽が市販される場合、ライブの録音とスタジオでの録音があるが、実際にライブで聴いた演奏を、市販のライブ録音で聴くことができる機会はあまりない。実は、初めて自分が聴いた音楽会のライブCDを聴くことができた。それは、1977年普門館でおこなわれたカラヤンの、ベートーヴェン演奏である。私は、まだ大学院生で、結婚して間もないころだったが、カラヤンのチケットがとれそうだというので、思いきって2回の演奏会を申し込み、首尾よく入手できた。普門館のときだから、とれたと思う。とにかく5000人は入るらしい大きな会場で、そのために、チケット代も安く、数も多かったからである。聴いたのは、第一日目の一番と三番英雄、そして最終日の第九だった。しかし、40年以上前のことであるだけではなく、なんといっても、ばかでかいというしかないホールで、英雄のときは、まるで、外野席の一番上から野球の試合をみているような感じで、ベルリンフィルという世界一のオーケストラの音などは、まったく味わえないような席であった。カラヤンを聴いたという感動は、まったくえられなかった。だから、演奏については、遠くでやっているなという程度のもので、ほとんど覚えていないのだ。FM東京で放送したらしいが、当時はテレビもラジオもないときで、まったく知らなかった。
 数年前、このときのライブ録音がCDとして発売されたが、えらく高かったし、またカラヤンのベートーヴェンの全集は何組ももっていたので、購入せずにきた。多少安くなったのと、リマスターされたというし、いま買わないと入手できなくなるとも考えて、先日買ってみたたわけだ。

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ジュリーニの「リゴレット」を聴いて

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮の、ヴェルディ作曲「リゴレット」を聴いた。これは、LPでももっていたが、LPは機械をもっていないので、処分してしまった。リゴレットを聴きたくて、ジュリーニのウィーン・フィルシリーズを購入して、聴き直したわけだ。ボックスで購入すると、単体よりずっと安くなるのでよい。しかも、今回はまったくダブリがなかった。
 リゴレットには、いろいろな思い出がある。ずっと昔のことになるが、二期会の公演を聴いたのが、唯一の生演奏だが、栗林善信がリゴレットを歌っていて、声よりは、演技に強い印象をもった。それ以来実演は接したことがないが、録音や録画ではいろいろと聴いてきた。

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バーンスタインのベートーヴェン交響曲全集の映像

 バーンスタインの演奏は普段あまり聴かないのだが、ベートーヴェンの交響曲を聴きなおしてみようと思って、数日かけて全部聴いた。ウィーンフィルとの映像バージョンだ。演奏については、今更言う必要がない、優れたものだ。ベートーヴェンの演奏は、特別なしかけをする必要はなく、楽譜の通りに演奏すれば、確実に効果があがるものなのだが、そういう安心できる演奏だ。演奏は1977年から79年の間に行われたもので、会場は、5番と9番がウィーン・コンツェルト・ハウスで、残りはムジーク・フェラインである。
 ベートーヴェンの交響曲は、すべて2管編成だが、映像でみると、オーケストラの編成が曲によって異なり、それだけでも指揮者の解釈が感じられる。通常、1番と2番はハイドンの影響が濃厚で、まだベートーヴェンらしさが確立されていおらず、3番の英雄に至って、ベートーヴェンとしての個性か確立すると言われている。しかし、バーンスタインは2番でベートーヴェンらしさは全開になると考えているように感じられた。というのは、1番は2管で演奏しているが、2番は完全な倍管になっていて、演奏もアタックの強いものになっている。編成で「おや?」と思ったのは、5番で、会場が広いコンツェルトハウスなのだが、とにかくたくさんの奏者が並んでいるのだ。5番はピッコロやコントラファゴットなどの、ベートーヴェンでは普段使われない楽器が加えられていることも影響しているのだろうが、弦楽器がやたらと多いのだ。カラヤンだって、これほど大きな編成で5番を演奏しただろうかと、思わせるほどだ。他の映像に比較して、そういうせいか音の凝集力がないように感じられた。録音のせいだと思うが。

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メロディーを考える

 読者レビューなどを読んでいると、時々思いがけない書き込みに出会う。CD評では、「ベートーヴェンの運命は名曲と思わない」というのが、一番の驚きだったが、それに近いものに、チャイコフスキーの三大バレー全曲集のレビューで、「チャイコフスキーこそ、史上最高のメロディーメーカーであることがわかる」と書かれているのにびっくりしたことがある。好き好きは各自の自由だが、評価となると、やはり、そうはいかない。
 考えてみると、メロディーというのは、かなりやっかいだ。メロディーは、音楽にとってあまりに当たり前の存在だが、メロディーとそうでない単なるモチーフとか、フレーズというのは、何が違うのだろうか。あるいは、メロディーのない音楽はあるのか。

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フルトヴェングラーのバイロイト第九再論

 徳岡氏のyoutubeを見ていたら、突然古いものがでてきて、最初新しいものと勘違いしてみていたのが、実は昨年のものだったことがわかった。フルトヴェングラーのバイロイト第九を論じたもので、私自身このブログで書いたものだが、再度聞き直してみる気になったので、EMI盤とバイエルン放送盤を全部ではないが、重要箇所をチェックしてみた。どちらがゲネプロで、どちらが本番かという、バイエルン盤がでたときに、大論争になった問題である。私自身は、EMI盤が本番で、バイエルン盤がゲネプロだと思っているが、徳岡氏は、その逆で、フルトヴェングラー協会で講演までしている。今回聴きなおしてみて、やはり、同じ結論だ。しかし、この問題は、結局、バイエルン放送局が、正式に表明しない限り真相はわからないのだろうし、あるいは、バイエルン放送局自身が、記録は残っていないのかも知れない。結局、聴いた者が、自分の物差して判断するしかないわけだ。

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ウィーン国立歌劇場150周年ボックス

 ウィーン国立歌劇場150周年記念CDボックス(22枚組)を、やっと全部聴き終わった。CDやDVDのボックスは多数もっているが、全部聴いたのはあまりない。それだけ魅力的なボックスだ。
 ウィーン国立歌劇場は、第二次大戦時の爆撃でほぼ消失してしまったので、再建に10年かかるという、かなり難事業で再開された。その戦後の主なオペラの全曲と、抜粋によって構成されている。 “ウィーン国立歌劇場150周年ボックス” の続きを読む

カラヤンのドキュメント「第二の人生」

 カラヤンのドキュメントである「第二の人生」を見た。3回目くらいだ。この手の映像は、一度見ればいいのだが、この「第二の人生」とか、クライバーのドキュメントなどは、繰り返し見る価値がある。
 「第二の人生」は、肉体が衰えたカラヤンが、新しい肉体を得て、すべてのレパートリーを最新のテクノロジーを用いて、再録音したいと語っていたという言葉からきている。実際に、最晩年のカラヤンは、ドイツグラモフォンとの契約を破棄して、ソニーに乗り換え、新しい録音計画を進めていくつもりだったという。ティルモンディアル社とソニーの共同作業は進行していたが、もっと本格化させるつもりだったのだろう。

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