ミレルラ・フレーニを偲んで

 コロナ騒動とか、自分自身の退職時期と重なったためか、ミレルラ・フレーニが亡くなっていたことを、ごく最近知った。フレーニは、もっとも好きなソプラノ歌手だった。フレーニが得意とするオペラが、もっとも好きなオペラに入っていたからともいえる。とにかく、亡くなったことを知ったので、フレーニについて少し書いてみたい。
 フレーニは生で実際に聴いたことがある。ミラノスカラ座がアバドに率いられて来日公演を行ったときだ。アバド指揮による「シモン・ボッカネグラ」でのマリアと、クライバー指揮による「ボエーム」のミミだ。どちらも、超がつく名演だったが、聴いた席によって、声の質がまったく違うように聞こえたことが印象に残っている。シモン・ボッカネグラのときには、席を一階の後方で、レコードで聴く声と似ていて、ああフレーニだと思ったの他が、ボエームではずっと前のほうで、ずっと丸くふくよかな響きだった。「私の名はミミ」などは、本当に感動的な歌唱だった。

 フレーニを最初に知って、散々聴いたのは、カラヤン指揮の「カルメン」で、ミカエラだったが、フレーニは娘にミカエラという名前をつけたほどの当たり役だし、好きだったのだろう。このレコードにはボーカルスコアが付録としてついていて、それをみながら、本当に何度も聴きかえしたものだ。
 フレーニの魅力は、なんといっても澄んだ美しい声と、それにもかかわらず強い表現力を同時にもていたことだろう。パバロッティと同い年で、しかも近所で育ち、更に、同じ女性から母乳をもらっていた関係だったともいわれている。フレーニ自身が、「どっちがたくさん飲んだか、わかるでしょ?」とインタビューで述べていた。フレーニは、小さいころから歌手としての才能を発揮し、10歳くらいのときにもステージで歌ったことがあるそうだが、有名なテノール歌手のジーリに、あまり早くから歌わないほうがよいという忠告を受けて、それを守ったという話がある。確かにフレーニは、ソプラノ歌手として、例のないほど、歌手寿命の長い人だった。同じ傾向の歌手だったテバルディと比べるとはっきりする。
 テバルディは、トスカニーニによって「天使の声」といわれたことは有名だが、全盛期は1950年代で、1961年のカラヤン指揮による「オテロ」あたりまでは、優れた歌唱を示している。しかし、1965年録音のショルティ指揮による「ドン・カルロ」になると、完全に高音が苦しげで、ショルティがよく承知したなと思われるくらいだ。もちろん、さすがだと思われる表現力はあるのだが、ソプラノ歌手が高い声がでないことは、やはり、興ざめだ。このとき、テバルディは、まだ43歳だ。タイプはまったく違うが、テバルディとともに人気を二分したマリア・カラスも同じような年齢で、完全に衰えてしまった。
 それに対して、フレーニは、全曲録音としては晩年になるマノン・レスコーは、57歳の録音であり、また、単発での出演だが、1998年のベルリンフィル、ジルベスターコンサートで、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」のタチャーナ手紙の場を歌っているが、63歳のことだ。手紙の場では、あまり高音は出てこないが、それでも、まだ十分に歌えている。しかも、ベルリン・フィルの熱演に圧倒されることもない。そして、マノンは、それまでのフレーニの声を十分に保っている。
 フレーニの業績として、ソプラノでも50代で十分に現役を続けられることを、身をもって示したことがあるように思う。それは、時代的に恵まれていたことも大きい。
 テバルディの時代は、トップの歌手が、主なレパートリーを何でも歌っていた。あるいは、レコード会社に歌わされていたといえる。例えば、テバルディは30歳でトスカを録音しているが、フレーニがトスカを録音したのは、43歳だ。フレーニの30歳前後は、「カルメン」のミカエラや「ボエーム」のミミを歌っていた。
 youtubeでマチャイゼのイタビューを聞いたが、トスカを歌うのは、もっとあとになるといっていた。やはり、少しずつ変化する声に合わせてレパートリーを拡大していくことで、歌手生命を延ばすことができるわけだが、フレーニには、それができたが、テバルディにはできなかった。おそらく、時代の要請が大きかったのだろうが、しかし、オファーを断る勇気をもっていたかどうかも、影響したに違いない。
 フレーニ世代以降は、ほとんどの歌手たちが、自分の声にあった役に限定し、声の質の変化に応じて、役を増やしていくようになった。ネトレプコは、スザンナなどを歌っていたが、今はワーグナー(ローエングリンのエルザ)まで歌うようになっている。そして、数年先には、イゾルデやブリュンヒルデまで芸域を広げていくのかも知れない。慎重に、かつ大胆に変化していくような気がする。
 私はリリコ・スピントの歌手では、戦後もっとも偉大なのはテバルディだとずっと思っていたが、いまではフレーニのほうが偉大だと思っている。比較することに意味はあまりないが、ただ、これまでみてきたように、フレーニは声にあった役に限定して、少しずつ役を広げてきたために、歌手寿命が、テバルディの2倍近く伸びている。そういうことは、やはり、偉大さといえるのではないだろうか。もちろん、音楽的表現力という点では、甲乙つけがたいものがあり、好みの問題だろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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