今回は、教員養成について、簡単に考えてみる。答申の提言は、小中の免許を両方とることが望ましく、とりやすいような配慮をすべきということに尽きる。しかし、これは、根本的な問題について明確にしなければ、現在行われていることの延長にしかならず、結局、特に小学校教員の負担を増やすだけのことになるし、合理的な改革にはならない。
根本的な問題というのは、小学校の教師は全教科担当であり、中学校は専科担当だということだ。教員養成や学校の現場に通暁していない人には、あまり知られていないかもしれないが、実際には、小学校教員養成を目的とした学部では、ほとんどの学生が小・中高両方の免許を取得しているのである。小学校教員養成を柱にしているから、当然全科の学習をする。その上で、主要な科目を決めて(普通ピークという)その科目の中等教育免許を取得可能にする。そうして、小中高の免許を取得して、小学校の教師になっていくのである。中学の教師になる者もいるが、高校の教師になるものは少ない。高校の教師は、より専門的な学部で学んで、教員免許を取得した学生のほうが、採用試験に強いのである。
現在の教員免許は、初等教育と中等教育とで基本的に区分されているから、小中の免許をとることを奨励するということは、中等教育の免許を更に、中学と高校とに区分しているので、中学の免許をとること省令しているわけだ。現在の教育学部の学生が小中高をとっているが、それを奨励しているわけではないようだ。
もちろん、現在でも、中高の科目は、そして、免許に必要な大学の単位は、完全に一致しているわけではないが、中学校と高校の免許で、同一科目になるものは、多くが重なっている。そういう免許構造を再考すわけではなく、この中教審答申は、免許の段階的な区分について、かなり便宜的に扱っており、未来の教育を展望するような構造的な検討をしていないことがわかる。制度も、前回書いたように、大学前の12年間の学校の切り方も多様になっているので、免許の構成を変えるのではなく、単に小中免許の両方を取得することを「奨励する」という、改革ともいえないものになっているのである。そして、小学校の教員になろうとする者だけが、著しい大きな負担をしなければ、免許がとりにくくなる、あるいは、小学校のみを取得した者が、実際の教員になりにくい状況になると危惧される。
教師が十分に教材研究をできる体制をつくることが必要で、それは労働時間だけではなく、担当科目の合理的な構成も重要である。そういう観点から、もっとも好ましい構成について考えてみることにする。
学校制度を前提とし、そして、教師の免許を前提とする以上、基本的には初等教育と中等教育の免許状は、基本教科に基づいて分けるべきだろう。中等教育が教科毎の免許となることは、ごく当然のことだろう。問題は初等教育だ。前回も書いたように、小学校の教育を、本当に効果的に行うためには、小学校の教師が全教科を扱うことは不合理である。そして、本来不可能なことなのだ。欧米では、日本のように、小学校教師が、担当教科に関して、これほど多大な負担を強いられている国はないはずである。しかし、教科担任を置いたからといって、完全に教科担任によって、理科や英語、数学の授業を行うことが保障されない限り、やはり、多くの教師が、事情に応じて、全教科のなかから多数の科目を教えることになる。つまり、学校の状況によって、担当科目が大きく変化することになるのだ。そういうことでは、教師の側の力量も高まらないし、授業の習熟もできない。従って、担当する科目はきちんと決めるべきである。
私は、小学校の教師は、基礎教科(国語、算数、理科、社会」を教え、学級担任と生活指導を行うことにして、体育や芸術科目等は専科とすることが、もっとも合理的であると考えている。中等教育については、いままでの構成でよい。そういうことになれば、小学校免許をとるものが、中学の特定科目の免許を副免として履修することは、それほどの負担にはならないだろうし、また、得意な科目をもつということでいいことに違いない。