2021年ニューイヤー・コンサート

 今年のウィーンフィル、ニューイヤー・コンサートは異例な開催だった。はじめての無観客で行われ、世界から募集した拍手要員が、一部と二部の終わりにオンラインで拍手をするという試みが取り入れられた。指揮者は、80歳の記念とウィーンフィルの指揮50年を祝って、リッカルド・ムーティだった。
 何よりも無観客の影響がどうなるのかに興味があった。オーケストラにとって、観客のいない状態での演奏は、別に珍しいことではなく、レコーディングなどは無観客だし、放送用収録などもある。そして、現在はライブ録音が普通になっているので、ゲネプロは、本番と同じように行われることが多い。だから、演奏そのものは、別に通常と変わりなかったと思う。ただ、通常は拍手があって、お辞儀をするわけだが、それがない。かといって、世界中でライブ放映されているから、ときどき起立してするのだが、礼をするでもなく、どうやっていいのか戸惑っている感がおかしかった。せっかく拍手をいれるなら、曲ごとに拍手をいれて、普通のように、起立して礼をするようにすればよかったのにと思う。ラデツキー行進曲での拍手もされなかったので、7000人も用意する必要があったのか疑問だ。
 興味があったのは、音だ。演奏する側からすると、観客はいないほうが音がよく響くので、演奏しやすいし、演奏していて気持ちがいい。観客が入ると、音が吸収されるので、響いた感じが若干薄らぐわけだ。たしかに、普段のニューイヤー・コンサートの録画と比較してみたが、今回のほうが、音がすっきりなっている感じはあった。ただ、金管が出すぎの感じがした。

 NHKの番組では、毎回前半、後半が始まるまえに、解説とゲストによる対談があるが、今年は、バレエの収録模様の映像が流されたのが、非常に興味深かった。毎年同じではないと思うが、今回は、8月にバレエシーンが撮影されたという。セットやカメラなどの様子や、そのまえで踊る映像などがあった。これまでも、あのバレエシーンはどうやっているのか、気になっていたので、全貌ではないが、一部理解できた。実際に、リアルタイムで踊ることがあるのは、いつか、ダンサーたちが、楽友協会のホールのなかで踊っていて、途中で演奏会場に入ってくるというシーンがあったのだが、あれは、明らかに、ホールのロビーなどで踊っていて、演奏がスピーカーで流されていたのだろう。しかし、まったく違う場所で踊ることのほうが多く、それはどうやっているのかわからなかった。庭園などで踊るのは、真冬のことだから、身体的に危険だし、おそらく別撮りしているのだろうが、そうすると、音とどうやって合わせるのか。
 とにかく、今回の解説で、バレエシーンは、夏のあたたかいときに、別撮りすることはわかった。すると、音楽はどうするのかが、次の疑問として起きる。そこまで解説してほしかったのだが、それには触れられていなかった。前から想像していたのだが、放送で流れる音楽も、実は、バレエのときだけは、別撮りしたものを流しているのではないかと思うのだ。ウィンナ・ワルツというのは、テンポの変化がかなり激しい音楽だ。普通4曲くらいのワルツがまとまっているのだが、新しいワルツは、テンポを落として演奏し、少しずつ速くしていくのが、ウィーン流だ。そのテンポ変化は、指揮者によって違うし、同じ指揮者でも、その日の気分でかわると思う。そうすると、前にとった映像と、当日の演奏を、その場で被せることなどできるのだろうかと、疑問が沸く。そこで、まず録音する。それに合わせて踊って、まとまった演奏と踊りが入った映像を作成しておく。そして、実際の会場手では、もちろん、オーケストラの演奏が行われているが、そのとき、テレビ放映では、録画したものが流される。私には、そう思われるのだ。というのは、バレエシーンでは、オーケストラの実際の演奏場面は、まず映らないのである。指揮者が手をあげると同時に、バレエシーンの映像に切り替わり、終わると、拍手を受けている演奏会場に画面が変わるわけだ。だから、流れている音楽が、実際の演奏会場のものでなくても、それらしく感じられる用になっているのだ。真相はわからないが。
 クライバーが指揮したとき、バレエシーンをいれるはずだったのだが、結局クライバーがオーケーしなかったと言われている。だから、作成方法がたぶん複雑なのだろう。私の推理が正しければ、クライバーが拒否してもおかしくない。
 
 演奏はよかったものと、不満だったものが混在した。概して、テンポの早いポルカとマーチはとてもよかった。いかにも、ムーティらしい溌剌とした雰囲気の音楽だった。「憂いもなく」などはとくに素敵で、しかもオーケストラ・メンバーによる掛け声が、強弱がはっきりつけられていて、ああいうのは初めて聴いた。しかし、概してゆったりしたテンポの曲は、ゆったり感が行き過ぎて重い感じになっていた。「クラップフェンの森」と「皇帝円舞曲」などだ。とくに、前者は、クライバーの名演があるので、どうしてもあの洒脱さとユーモアには敵わない。中間部、すこし速くなる部分は、クライバーはいかにも森をうきうきしながら駆けだす感じがでていたが、ムーティだと、そのうきうき感が出てこない。「詩人と農夫」もなんとなく重い気がした。荘厳にやるような曲ではないと思うのだが。念のためカラヤンの「詩人と農夫」を聴きなおしてみたが、重量級ではあるが、ずっとスピード感のある演奏だった。
 「春の声」でバレエが入ったのだが、先に書いたように、これが当日のリアルな演奏なのかよくわからない。もう少し、微妙なテンポの動かしがほしい曲なのだが、ムーティはまじめな演奏家という特色がでてしまって、もう少し陶酔感がほしかった。これもクライバーは素晴らしかった。こうやって比べていくと、いかにクライバーが聞かせ上手だったがわかる。「音波」とか「坑夫ランプ」などの、初めて聴く曲は、楽しめた。
 全体として、ポルカはよく、ワルツは、テンポを動かすときに、おおげさになってしまうので、やはり、そういうのは、方言的表現が自然にできる人じゃないと難しいのだろう。しかし、前回に出たときよりは、ウィーンフィルに任せてしまう場面が多く、そういうときには、実にウィーンフィルも「よし」という感じで、はりきるので、うまくいくのだ。
 ウィーンフィルは、女性が増えたなあというだけではなく、以前のようなオーストリア人、あるいはウィーンで学んだという縛りがなくなって、採用がオープンになっただけ、ウィーンの音が希薄になった気がする。
 来年はバレンボイムとなったとアナウンスがあったが、ジョルダンはまだでないのだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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