松戸の少女行方不明の件で考えること

 まだ正式に認定されていないが(10月5日御前)、昨日女性の死体が江戸川の下流で見つかった。おそらく、行方不明になっている当人だと思われる。
 この件や以前の山梨での事故についても、いろいろと考えさせられる。
 ふたつの共通点は、小学校低学年の女の子が、一人ででかけたということだ。日本は安全な国だということになっているが、私はそれは幻想だと思っている。安全だというとき、主に意識されているのは、犯罪が少ないということだが、これも統計上のことで、実際には統計以上の犯罪が行われていると考えるほうが現実にあっている。というのは、死因が不明な不審死の多くが、きちんと司法解剖されることなく、自殺とされてしまうことが多いらしいこと。軽犯罪が初犯の場合、注意程度で警察は帰してしまうことが多いこと、等々。事件に巻き込まれる危険性について、このように統計で想像されるより大きいものがあるといえるが、より重要なのは事故のほうだ。松戸も山梨も事故の可能性が高い。そして、事故の可能性は、年々高まっているといえる。交通事故だけではなく、上から落ちてきたものにぶつかる等の事故も散見される。松戸と山梨は、ともに落ちてしまった可能性が高い。

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トスカニーニ 晩年にテンポが速くなった指揮者

 友人がトスカニーニのベートーヴェンを聴いて感激したということだったので、少しトスカニーニを聴いてみようと思い、ニューヨーク・フィルの古い録音を取り出した。なぜかというと、以前放送で聴いて、いいと思った記憶があることと、トスカニーニは晩年になってテンポが速くなった例外的な指揮者だと、アバドが語っていることを思い出したからだ。トスカニーニがニューヨーク・フィルの常任指揮者を勤めていたのは、1930年代だと思うが、ヨーロッパに演奏旅行にいったとき、ヨーロッパの聴衆はショックを受けたと伝えられている。そのときに、このふたつのがプログラムに入っていたはずだ。
 ベートーヴェンもハイドンも、確かに、それほど快速調の演奏ではなく、むしろ落ち着いたテンポだ。晩年のトスカニーニとは、明らかにイメージが違う。特に速いテンポのベートーヴェンの4楽章などは、現在の多くの演奏よりも遅めで、堂々とした行進という気分だ。ハイドンの時計も同じ。しかし、余白に入っているメンデルスゾーンの真夏の夜の音楽のスケルツォだけは、非常に速いテンポがとられている。

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クライバーとカラヤンのドキュメント

 4人の指揮者のドキュメント・ボックスが届いたので、早速ふたり分を見た。カルロス・クライバーとカラヤンだ。クライバーは、I am lost to the world. カラヤンは、Maestro for the screen. だ。クライバーのTraces to Nowhere は何度もみたが、こちらは初めてだった。例のテレーゼ事件の録音が含まれているというので、ぜひ見たかったので、念願がかなった。
 両方とも、極めて興味深い映像で、見応えがあった。クライバーのは、なんといっても、何度もでてくるバイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」の舞台下で指揮するクライバーが、かなり視聴できること。これを全曲DVD化したら、かなり大きな話題になるに違いない。そんな映像はこれまでなかったし、かといって、この名演奏の発売は現時点でも熱望されている。CDで発売される可能性は将来はあるだろうが、指揮姿だけの映像などは、他のひとでは絶対に発売の可能性がないだろう。それにしても、ここに出てくる場面だけでも、本当に聴き応えのある「トリスタンとイゾルデ」だ。

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サンジャポの統一教会論議 真摯なものだった

 この間ザンデージャポンにおける太田光の発言が、大分話題になっていた。私は、この番組をほとんど見ないので、ネットでやり取りをみていただけだが、有田氏がツイッターで、太田氏の発言は統一教会の主張そのものだ、現場を知らない者が発言するな、と意見をしたというので、今日の番組をみてみた。ネットで散々叩かれ、叩いている本人である有田氏を出演させたということで、散々批判された太田氏の独善的演説はなく、むしろそれぞれの主張者が、比較的抑制された形で、率直に意見を述べていた。とても興味深い番組だったと思う。
 
 冒頭太田氏は、自分のいいたいことは、まじめな信者がいて、そういうひとたちに対して、現在のメディアの扱いは、改心させるのではなく、かえってかたくなにしてしまうようなものではないか。そこが心配なのであって、決して統一教会の反社会的な行為を擁護しているわけではない、ということだと発言していた。

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統一教会がメディアと弁護士を提訴

 統一教会がテレビ局と出演の弁護士を名誉毀損で提訴した。何かオウムを彷彿とさせる動きだ。オウムは、青山弁護士という信者がいて、たくさんの訴訟を起こしていた。後に青山弁護士も逮捕されてしまったので、オウムが提訴するという案件は少なくなったが、それでも、住民登録や義務教育学校への入学を拒否されたときには、躊躇なく訴訟戦術をとり、けっこう勝訴していたことを忘れるべきではない。
 しかし、今回の提訴は、かなり無理筋というべきだろう。
 
 朝日新聞(2022.9.29)によると、提訴理由は
・信者に売春させていたと発言
・布教自体が違法と認定されたと発言

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背の順並びは差別?

 小学校での背の順で並ぶことに「差別だ」という声があがって、波紋を呼んでいるという。テレビ朝日が報じている。
 小学校教員の松尾英明氏が、その著書で指摘しているそうだ。テレビ朝日によれば、両論あるそうで、嫌だと思ったことはないという子どもの声と、背の順はいやだという子どもの声を紹介している。松尾氏は、「背の順」ではなく、「名簿順」を勧めている。少数が嫌な思いをしているなら、そのことに目を向けることが大事だとのこと。
 
 なるほどと思う反面、まったく違うことを、私は考えている。そもそも、並ぶことが必要かと思うのだ。並ぶというのは、おそらく、朝礼(昼礼)などのときだと思うが、そういう儀式そのものが不要だ。昔なら、確かに校長などが語りかけるときには、朝礼のように全員を校庭に集めて話をする必要があったが、今はほぼすべての学校に、テレビシステムやネットが各教室につながっている。校長が何か全員に伝えたいことがあれば、そのシステムを活用すればよいのだ。わざわざ時間をかけて、校庭に集める必要はない。時間の無駄ではないか。

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領土という古い妄想に囚われるプーチン

 19世紀から20世紀にかけて、植民地を拡大する帝国主義的政策が、先進国では通常だった。日本のような後進資本主義国家も、遅れてはならじと台湾、朝鮮、満洲へと植民地を求めていった。しかし、現在、植民地だったところは、ほとんどすべてが独立している。そして、植民地経営が、本国にとっても、利益をもたらしていたのか、冷静に検証すようになった。
 おそらく、植民地を獲得するようになる当初は、産業がまだ農業中心で、本国では困難な農産物の獲得や、農業そのものを、本国に都合のよいように転換させてしまうこと、そして、租税をとること、自国のための戦争に植民地人を兵隊として駆りだすことなど、いくつもの利点があったことは間違いない。
 しかし、他方、もちろん、本国や植民地によって、事情は異なるだろうが、大方は、植民地獲得のための戦争、そして反乱を抑えるための治安、植民地統治のために派遣する役人の費用等々、大きなコストがかかっていた。長い目でみれば、植民地は、本国にとって赤字だったのではないだろうか。既にこのことは、戦前ですら、石橋湛山や矢内原忠雄によって指摘されていたことだが、戦後は多くの人が認識するようになった。

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山上映画から考える(まだ見ていないが) 永山則夫との比較

 安倍元首相銃撃を題材にした足立正生監督の映画が、鹿児島で上映中止となったことで話題になっている。実際に、近くで上映もしていないので、私自身は見ていないし、内容に関しては書けないが、いろいろと思うところはある。
 こうした映画で思い出すのは、新藤兼人監督の『裸の十九歳』だ。1969年の暮れに4件の連続殺人事件を起こした永山則夫を扱った映画だ。上映が1970年だから、これも事件から間もなくの撮影だった。永山は私より一歳年下で、この時私は大学一年生だった。事件の経過や捕まったときのことは、よく覚えているし、たしかこの映画を見にいったと思う。そして、かなり年月がたったあとに、もう一度DVDをレンタルで見た。準備期間が短かったわりには、よく調べられて、きちんとつくられた映画だと思う。ただ、主人公の原田大二郎と永山は、あまりに容貌の差があり、映画だから仕方ないかと思ったものだ。

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プーチンの動員令は反対勢力の弾圧にも

 これまでもロシア中央から離れた周辺で、兵を募集してきたことが指摘されているが、動員令の発令で、この傾向は更に強まることが予想される。これまでは形式的には「志願兵」だったから、断ることは多少なりとも可能だった。もっとも、そうした貧しい地域では、給料をあてにして積極的に応募する人も少なくなかったと言われるが。
 しかし、動員となると、断ることはできない。拒否すると10年の入獄になってしまうと脅されている。むしろ、一端刑務所にいれられてから、そこから強制的に戦地に送られる可能性が高いようだ。
 極東とロシア南部のイスラム教徒の強い地域での「動員」が活発になっていると報道されている。その一例が、ダゲスタン共和国だ。

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裁判の迅速化 有罪を認めたら、詳細な事実審理は必要か

 昨年7月に起きた保育園での送迎バスへの置き去り死亡事故の公判が、今日はじめて開かれた。https://digital.asahi.com/articles/ASQ9Q5SYHQ9QTIPE015.html
 テレビのワイドショーでもやっていた。二人の被告(園長と保育士)は、検察による起訴内容を認めたとされる。最近の裁判はかなり速くなったが、それでも判決が確定するまでには、かなりの期間が経過する。こうした裁判について、前から思っていたのだが、被告が完全に起訴内容を認めているとしたら、有罪は確定したといってよい。もちろん、どの程度の刑にするかを慎重に審議する必要はあるが、それは、通常の公判を積み重ねることとは違うはずである。アメリカでは、被告が起訴内容を認め、つまり、自分が有罪であることを認めたら、そこで通常の審議は終了し、あとは、量刑審議になるとされる。陪審員裁判でわかるように、刑事裁判は、まず何よりも被告が真犯人であるかどうかの判断をすることが重要だ。陪審員は、有罪か無罪かだけを決める。有罪となれば、あとは判事を軸として量刑審議になる。だから、被告本人が有罪を認めていれば、陪審員の役割はない。

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