統一教会のマインド・コントロールにかかるひとたちの不思議

 統一教会問題がクローズアップされて、本当に不思議だと思うのは、信者の意識だ。信仰が内面的な救いということではなく、先祖の悪行を払うために献金が必要だという論理に、自身の大金を投じるだけではなく、家族のお金にまで手をだし、また、他人に法外な値段で壺等を売りつける。そして、それが心底救われるために必要なのだと信じきっているという。
 合理的に考えれば、サタンとか神などは存在しないし、先祖が悪行をしたとしても、今生きる子孫たちに何ら影響を与えることなどない。そして、そうしないと地獄にいくと脅されて、地獄にいかないために、そうした自分、自分の家族、そして友人を破滅させるような行動に駆り立てられる。そして、そういうひとたちは、とてもまじめなおとなしい人なのだという。確かに私の知る限り、統一教会の信者は、おとなしくまじめな人である。人を不幸にするために、献金したり、お金をむしりとったりするような人ではないと思われるひとたちだ。

 しかし、実際に彼らが行っている行為は、人を不幸にしているだけだ。幸福になっているのは、彼らの献金によって潤っている韓国の統一教会幹部だけだろう。
 
 幸か不幸か、私はまだ統一教会の人に誘われたことがない。学生時代には、同じ学科の同じ学年に、原理研究会と勝共連合の学生責任者がいたし、雑談はけっこうしたが、ついぞ彼らの立場にたった話を、私にすることはなかった。私が彼らの目に異常なものを感じていたように、彼らも私の目に、彼らにとって異常性を感じていたに違いない。こいつは、見込みがない人たちのグループに属しているに違いないと。
 確かに、私は、宗教を前に書いたように、マルクスが述べたような原則で考えている。つまり、神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくった、宗教は現実の不幸を来世で解決するための阿片のようなものだ、必要なことは、現実世界で問題を解決することである、と。もちろん、天国も地獄も、サタンも人間の創作物である。だから文化が違えば、神もサタンも、地獄もイメージが違うのだ。
 
 もし、私が統一教会の人に誘われて、議論するようなことがあれば、かなりからかい気味になってしまうが、以下のようにもっていくだろう。以下は創造である。
 
統一教会信者(T)あなたの今の問題は、あなたの先祖の悪行が影響しているんです。
私(W) 先祖のことなんか知りませんし、私の先祖の悪行を誰が知っているんです? ずいぶん前のことでしょう。
T 神様はなんでもご存じなんですよ。
W 神様は人を救ってくれる存在なんじゃないんですか。
T それは確かですが、でも、信仰をもった人だけを救ってくれるのであって、信仰をもたない人は、救わないのです。
W ずいぶん冷たい、心の狭い存在なんですね。神は。
T いえ、誰でも悔い改めて神を信じれば、救われるので、その救いの援助をするのですよ。
W どうやって。
T サタンを派遣して、神を信じる行為を促させるのです。
W どんな行為ですか。
T 先祖の悪行を祓うために献金することです。
W 献金しないとどうなります。
T 地獄に落ちることになります。
W 地獄ってどんなところなんです。
T 死後の世界で、永久に苦しむんですよ。あらゆる苦しみをずっと体験させられるのです。
W でも、死後は生きている間の「苦痛」なんかは、感じないんですよね。死んでしまっているんですから。
T 確かに「痛い」とか「息が苦しい」とかはないんですが、つらい状況をずっと見せられ続けるし、自分もそういう目に会うんです。
W 実際に苦しくなくて、単にいやなことを見せつけられるだけなら、逆にいえば楽しいかも知れませんよ。ダンテの『神曲』なんか、地獄篇が一番おもしろいじゃないですか。天国篇はつまらない。ゲーテの『ファウスト』もそうですよ。第一部は地獄篇とはいえないですが、でも、不幸が起きるわけでしょう。それに対して第二部は天国が描かれているけど、第一部は面白く読めるけど、第二部はたいくつそのものです。やはり、人間にとって、天国というのは、つまらないところなんじゃないかな。
 それに、先祖も地獄にいるんでしょう?天国にいったら、先祖にあえないわけだ。つまらない。やはり、あなたの神を信仰してもいいことないですね。それに、信仰しないと救われないなんていうような冷たい神こそ、地獄にいきましょう。神様がきたら、地獄では歓迎されますよ。
 献金すると天国に連れて行かれるなら、絶対に献金などしませんよ。喜んで地獄にいかせてもらいます。
T 勝手にしなさい。本当に地獄にいったって知りませんよ。
W ご心配どうも。地獄にいけば、いろいろな人生を味わうことができそうで、楽しそうだし、実際に地獄なんてないんだから、ご心配には及びません。
 
 それにしても、ルターによる宗教改革は、免罪符の販売がきっかけだったと学校で習う。日本人なら誰でも知っていることだ。そして、カトリック教会は、免罪符などをやめざるをえなくなった。免罪符を購入すれば、罪が許されるなどということは、教会側がお金を巻き上げる口実、フィクションであることは、ちゃんと学校で教えている。冷静に考えれば、わかることなのだが、そう思い込んでいる人にどうすれば、思い込みが解けるのか。
 マインドコントロールされないことが、何よりも大事なことなのだろう。マインドコントロール状態になってしまえば、いかに非常識なことでも受け入れてしまうのだろう。マインドコントロールされないためには、やはり、合理的、科学的にものごとを考える姿勢を堅持することだろう。この点については、また別の機会に掘りさげたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です