教科書選定不正から考える3 社会科教科書

 今回は社会科の教科書について考えてみよう。
 以前にも、社会科だけではないが、新しい形の教科書について考えたことがある。「デジタル教科書に必要なこと」
 
 定型的な教科書が、社会科にとってはむしろマイナスになっている理由は、いくつかある。
 社会科の教科書は、常に政治的な争いの対象となってきた。そして、教科書訴訟という裁判ざたまで起き、しかもかなり長期に渡った。社会に様々な対立がある以上、社会を学ぶ教科においては、その対立が持ち込まれることは避けられない。どのようにそうした対立を、教育のなかで扱うのが適切なのか、その点についても、また対立があるのが実情である。

 専制国家であれば、国家の立場を教え込むように、教育内容を設定し、それにそって教えることを強制する。戦前の日本がそうだった。教科書は国定であり、教科書き通りに教えているかどうかは、視学官によって、ときどきチェックされた。その結果は、歴史によって明らかになっている。
 民主主義社会においては、そうした専制国家のようにすることは、当然誤りである。通常の民主主義国家では、教科書は自由発行か、検定制度をとっている。自由発行の場合には、当然社会的対立の内容については、発行主の裁量に委ねられる。一方の見解にたつ場合もあるだろうし、また、双方の立場を含み、学習者に判断を任せる教科書もあるだろう。検定制度は、民主主義の建前上、中立的に検定を実施して、あいまいな内容になる可能性が高いように思われる。
 私の立場は、双方をできるだけ公平に紹介するのが、教育的であるということだ。そして、ネット社会であれば、教科書として作成された印刷物ではなく、ネット上のドキュメントを自由に収拾して、それぞれの立場そのものが出しているドキュメントで学ぶことができる。教科書編集者の「変更」がなされていないから、対象を正しく評価できるはずである。もちろん、そういうことが可能になるためには、教師の公正な立場と、しっかりした見方ができることが必要であるが、教材選択の透明性を高めることによって、間違いを是正できる。一方の立場だけをみるのではなく、様々な立場の、しかもオリジナルな文書によって学ぶことは、社会を学ぶ上で非常に重要なことである。
 双方の主張に触れながら、生徒自身に考えさせる社会科教育の実践は、安井俊夫氏が優れた取り組みをしていた。たくさんの著書があるので、ぜひ参照してほしい。
 
 ここでは、インターネット上に、社会科の教材が豊富にあるから、それを活用できなよう形を提起している。それを念頭におきつつ、いくつかの想定をしてみよう。
 小学校の社会科は、ほぼ「私たちの町」というような、地域について学ぶことから始まる。その地域が広がり、そして、時代が広がっていくように、単元が拡大していく。
 
 ここで、フランスで発祥したフレネ教育について考えてみよう。フレネ教育とは、作文を主体とした教育で、日本の生活綴り方と異なるのは、作文を「印刷」することに主眼があり、調査したことなども印刷の対象となり、それが教材になる点である。例えば、住んでいる地域を調査して、報告書としてまとめたものを印刷すれば、我が国での「私たちの町」という教材に匹敵したものになる。むしろ、子どもたち自身が調査したものだから、よりリアリティがある。そして、それを他の地域と交換すれば、より広い地域を学ぶ教材として活用できる。現在であれば、ネット上にそうした報告を蓄積していけば、全国、そして世界をリアルに学ぶ教材の一部として活用できるわけだ。
 フレネ教育の重要な意味が、教科書は生徒自身が作るものだ、という点にある。それはシュタイナー教育も、形は違うが同じ原則がある。
 もちろん、すべてを生徒自身が作ることが、必要だというわけではない。
 しかし、ネット上の著作権フリーの文書などを、生徒自身が編集して、自身の考察を加え、ひとつの単元の教材を作成するということも、可能になるし、それは教育的に大きな意味をもつといえる。
 
 社会科に、定型的な教科書があまり役に立たないもうひとつの理由は、社会は常に進化・変化していることによる。2020年度に採用された教科書、つまり遅くとも2019年に書かれた教科書では、社会生活について学ぶ上で、コロナのことは出てこない。しかし、コロナの世界的感染は、社会生活をかなりの程度かえてしまった。そこで、毎日仕事に出かけるとか、旅行の楽しみなどを旧来の姿で学ぶことは、学びのリアリティがかなり低下してしまう。学びや仕事の形態、病気になったときの診療のあり方などが、根本的に変化してしまった。もし、定型的な教科書ではなく、それぞれネットなどから、そうした社会生活の変化を示す材料を各自がとってきて、編集して考察すれば、よりリアルな学習が可能になる。それは環境問題、気候変動、そして平和など、ほとんどあらゆる場面で、数年前に作成した教科書の内容では古くなっており、新しい材料で学ぶことが有効なことが増えている。もちろん、定型的な教科書、あるいは学習用に編集された文書などを、データベースとして使用できるようになっていれは、更に広い視野で学ぶことができる。
 
 以上の例だけでも、現在のネット社会では、数年毎に改定される定型的な印刷物の教科書よりは、ネットを活用して、教師の指導の下で随時文書等を収拾して学習し、その成果をまとめた自作の教科書として作成していくように学習法のほうが、ずっと豊富な知識、考察力、表現力を向上させると、納得がいくのではないか。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です