コロナ医療負担や走行距離課税について

 出発当初は、貧富の差を解消する政策をとるようなポーズをとっていた岸田内閣だが、主なスタッフを財務相出身者で固めた時点で、やがて増税路線を突っ走るようになることが予想された。そして、最近は、その姿勢を隠さず、いくつかの増税政策を打ち出している。まだどうなるのかは分からないが、検討しておきたい。詳細な専門的な検討というのではなく、生活する身としての、常識的な考察である。
 
 まず、財務省の財政審議会がコロナワクチンの公費負担の見直しを議論しているという。日経が伝えている。「コロナワクチン、「全額国費」見直し求める 財制審」(日本経済新聞11月7日)

 新型コロナウィルスによる医療については、当初は強制入院、全額医療費公費負担となっており、それが少しずつ緩和され、現在では、原則自宅療養で、症状の重さによって、入院措置となっているが、ワクチンをはじめとする医療費については、現在でも公費負担になっている。症状への理解や治療法が蓄積されてきた以上、緩和措置は適切であるし、また、いつまでも全額公費負担を続けることも無理がある。いずれは、保険適用して、自己負担にすることは、仕方ないことだろう。しかし、感染力の強い感染症であり、かつ重症化した場合には深刻な状況になる病気である以上、入院措置を強制せざるをえない場合があるはずであり、その場合の公費負担は維持する必要がある。
 ただし、現在でも、医療機関の処方箋により、薬局で容易に入手できる経口薬は存在していないことは、十分に考慮する必要がある。その分、インフルエンザと全く同一に扱うわけにはいかない。
 
 次に話題になっている走行距離課税である。
 車社会のために道路を整備する必要があるから、車に税をかけることは当然であろう。従って、道路に負荷をかける割合に応じて、税額を決めることも合理性がある。ただし、道路への負荷という場合、重い車両は負荷が大きいから、重量に応じて、という単純な図式で済ますことはできない。道路の整備といっても、歩道整備や、信号の整備などは、車の重量には関係なく、すべての車に平等な負荷があると考えられる。道路そのものが痛み、補修に必要な費用は、重量に直接関係するように思われるから、そのための費用が、重量と走行距離の積によって決めることも合理的だろう。これまでは、排気量を中心とした重量と、ガソリン税(走行距離を示す)というふたつの税によって実現していた。(自動車保険も、自己申請だが、通常走行距離によって保険料が変わる。)
 しかし、ハイブリッドとEVの登場によって、走行距離による課税に不公平が生じたのが、走行距離課税創設への理由となっている。EV車は、ガソリンを使わないから、ガソリン税による課税はできないが、もちろん、道路への負荷はある。しかし、充電するのだから、充電量に課税することで、理論的には解決する。だが、ステーションで充電した場合には、充電量に課税しやすいが、家庭で充電した場合には、家庭での電気使用料はますが、そのことで、道路負荷としての課税をすることはできない。この問題をどのように測定するのか、技術的に解決できるかは、私にはわからないが、いずれにせよ、走行距離課税をするならば、いくつもの技術的ハードルがあり、それをクリアする必要があるだろう。
 ハイブリッド車はどう考えるべきか。ハイブリッド車は、電気を補充しているわけではない。(補充している車は、EVと同じ基準で課税すればよい。)税収が減るといっても、電気を補充せず、自力で作っており、それは環境改善に寄与していることを考慮して、やはり、使ったガソリンを基準にすることでよいのではないだろうか。 
 
 しかし、この問題は、こうした道路負荷だけで決めるわけにはいかない。車利用については、大都市と地方とではまったく違うからでである。大都市では、普段の生活に車を使う必要はほとんどないし、むしろ車は費用がかかりすぎるので、裕福な人以外は、あまりもたず、また、もっても日常生活で使うことはあまりない。普段は公共交通機関を使っているので、走行距離課税が実現しても、あまり生活に響かない。しかし、地方では、車が日常生活に不可欠になっている場合が多く、走行距離課税にもろに響いてくる。公共交通機関で生活が不便なくまわるような社会ではないのだから、それは個人の選択とはいえず、強制された状況である。生活や仕事の必要で使う場合と、レジャーなどで使う場合とで、別の課税原理を建てることは不合理ではない。保険でも、会社によって異なるかも知れないが、用途別に保険料が違うようだ。保険の場合、どちらが保険料が高いのか、私にはわからないが、レジャー<生活<業務の順で走行距離は伸びるはず。課税率は、この逆にすべきである。経済的必要からみて、それが妥当だろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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