演奏会の映像は芸術か

 ティーレマンがウィーンフィルと録画したベートーヴェンの交響曲全集の制作過程をまとめた映像をみた。そのなかで、制作責任者であるブライアン・ラージの語っていたことが、とても気になった。ラージは、こうした映像作りも芸術であって、映像監督やスタッフは作品づくりをしているのであって、とくに監督はオーケストラの指揮者のようなものだというのである。
 ラージは、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートの映像監督などもしているので、クラシック音楽好きの人には、なじみのひとだ。顔を見たのは初めてだった。
 しかし、基本的に、私はこうした考えに基づく演奏会のライブ映像を好まない。間違っているというつもりはないが、私がほしいと思っている映像は異なる形のものだ。
 監督によって、カメラワークが異なるので、年によって違うのだが、ニューイヤー・コンサートの映像は、非常にこまめにカメラが動くのが特徴だ。会場にワイヤーがはってあって、小型カメラがワイヤーにそって動き、飛行機やヘリコプターが飛びながら映しているかのような映像がよく見られる。NHKのコンサート映像には見られない手法だ。
 単純な分類だが、ライブ映像の立場にはふたつあるように思われる。ひとつは、記録であるというもの。そして、もうひとつは、映像そのものが作品であるとするもの。 “演奏会の映像は芸術か” の続きを読む

10万円の申請用紙が送られてきたが

 日本社会の生産性が低いことは、いろいろなところで指摘されている。そんなことを実感することが、コロナ騒動、とくに政府や自治体の対応でみられる。10万円の給付について、マイナンバーカード申請の混乱は、かなりニュースにもなった。オンライン申請なのに、紙のデータと照らし合わせるという、昭和と令和が組み合わさったようなやり方をとったために、大混乱になったわけだ。
 紙による申請に関しては、ほとんどニュースになっていないが、実際に送られてきた用紙を見て、実に驚いた。国民のほとんどに出された文書だから、よくわかると思うのだが、(地域によって、もしかしたら違うかも知れない)これは、住民登録の台帳に登録されたデータで、世帯主に送られ、そこに家族の名前が予め印刷されている。住所と名前が明記されているわけだ。そして、送金する銀行等のデータを記入して送り返すことになるのだが、実に驚いたことに、世帯主の本人確認ができるものと、銀行口座の番号がわかる通帳のそれぞれコピーを同封しろと書いてあるのだ。自分たちが、自分たちの管理しているデータベースで作成した文書、しかもそこに名前が予め印刷されている文書に、記入して送り返すのに、なぜ、本人確認が必要なのか。白紙の申請用紙に、名前や住所を書いて申請するのならば、本人確認が必要であることは理解できる。そして、口座番号を書かせるだけではなく、通帳のコピーまで必要とするという神経が理解できなかった。このようにコピーするということは、ほとんどの国民は、コンビニなどにいってお金をはらってコピーする。その時間と費用の無駄、そして、当然受け取った役所の人は、それをチェックするのだろう。その時間の無駄。そこまでやっているから間違いなくできるというかも知れないが、間違えたとしたら、当人が口座番号を入力ミスするしかないのだから、そのミスによって送金できなかったとしても、本人の責任であろう。ミスなど滅多にないのだから、そのミスをカバーすればいい。確認ミスだってあるかも知れない。 “10万円の申請用紙が送られてきたが” の続きを読む

羽鳥モーニングショーで9月入学について議論

 番組では、9月入学賛成派と反対派がゲストとして登場し、レギュラーを交えて是非を議論していた。結局、考えねばならない論点は、2点だといえる。
 第一は、3カ月授業がなかった遅れを、9月入学にすることによって乗り切るのか、現行制度で乗り切るのか、どちらが効果的であるのかという点。
 第二は、そもそも学年は4月に始まるのがいいのか、9月に始まるのがいいのかという点。
 多くの議論で、第二についての議論そのものに大きな欠点がある。9月入学賛成論として、必ず出てくるのが「国際化」対応であり、留学が便利だということがいわれる。賛成論の人も、メディアに出てくるとそのようにいってお終いにするのが不可解である。9月入学のメリットは、留学のしやすさだけではない。むしろ、それは、重要ではあるが、誰にも関係するというものでもない。どんなに留学が盛んになっても、せいぜい高校生以上であって、主要には大学に関わることだろう。
 きちんと考えるべきなのは、一年サイクルとして相応しい開始と終点の設定なのである。日本教育学会は、現行の入学時期は、文化生活に大きく根ざしており、それを変えることは問題であるというようなことを書いているが、4月入学だから、そういう文化になっているのであって、9月入学になれば、文化が変化するのである。結局、教育的にみて、あるいはそれを社会システムにひろげてみて、どちらに合理性かあるかという話なのだ。 “羽鳥モーニングショーで9月入学について議論” の続きを読む

Law & Order の考察を始めるにあたって

 以前、アメリカのテレビドラマの Law & order をスピンアウト作品も含めて、大部分見たのだが、最近、見直している。鬼平犯科帳は、一通り、テーマとして扱えるものは終わった感じなので、今度は、Law & Order について、順次考えていこうと思う。アメリカの人気ドラマで、同一題名での最長記録と言われているようだし、(20年継続)、さらに、スピンアウト作品が、私の知る限り5つもあり、そのなかの性犯罪を扱ったシリーズも、20年に達している。とにかく、こんなに多い回数作られた連続ドラマは、他に例がないだろう。有名な作品だから、多くの人が知っていると思うが、これだけ続いたということは、やはり、社会のなかで存在意義がずっとあったということだ。内容の紹介と考察は、次回以降にするとして、日本のドラマとアメリカのドラマを、この作品で代表していいかは疑問だが、ひとつの特質としていえることがある。日本の刑事ドラマでの長く続いている代表は「相棒」だろう。そして、「相棒」は、いくつかの過去の作品からヒントをえているといえる。シャーロック・ホームズ、刑事コロンボ、そしてこのLaw & Order である。一番似ているのが、Law & Order だと思う。「相棒」は、刑事二人が相棒として活躍し、事件を解決していくが、Law & Order もドラマの前半はそういう構成になっている。しかし、ドラマの作成として、「相棒」は水谷豊が不動の主人公で、相棒は現在4人目であるが、変わっていく。しかし、Law & Order では、二人の刑事も、後半の主な担い手の検察二人も、3,4年で交代している。もっと長い人もいるが、とにかく、ずっと出ている人は、一人もない。つまり、「相棒」は、水谷豊という俳優が中心となる構成になっているが、Law & Order はあくまでも刑事二人と検察二人という構造が中心になっている。 “Law & Order の考察を始めるにあたって” の続きを読む

笑ってしまうが、深刻な話だ 中学でアベノマスクの強要

 記事を読んだときには、思わず「えっ」と声をあげ、あと笑ってしまった。埼玉県の公立中学で、休校開けで学校が再開されるにあたって、さまざまな指示を書いたプリントのなかに、アベノマスクを着用するか、携帯することを明記してあったということだ。ネットにそのプリントが掲載されているので、間違いないだろう。忘れた者は生徒指導の対象になるようなことまで書かれている。
 ここまでは、滑稽な話だ。そもそも、アベノマスクという言葉は、あまりにくだらない政策だと揶揄する表現である。ああ、いいマスクを配布してくれた、などという人たちは、使わない言葉だ。それを、必要と知らせる立場で使っているのだから、よほど言語感覚が鈍い人たちなのだろう。こんな言語感覚の人たちに教わる子どもたちは、かわいそうだ。
 しかし、本当に深刻なのは次だ。 “笑ってしまうが、深刻な話だ 中学でアベノマスクの強要” の続きを読む

ネットの誹謗中傷問題

 女子プロレスラーの突然の死によって、SNS上での誹謗中傷問題が再度噴出している。ネット上の誹謗中傷は、インターネット開始以来の大問題のひとつである。誹謗中傷自体は、表現伝達メディアが存在すれば、つきまとうことであるが、表現伝達の方法がたやすく、かつ広範囲に及ぶようになるにしたがって、その被害も大きくなってきた。また誹謗中傷と批判との区別も、簡単に区分できるものでもない。この問題は、表現の自由と人格権の保護というふたつの対立し合う概念の調整問題でもある。また、個人に対するものと、公的機関や公人に対するものとでも、扱いは異なる。独裁国家では、公的機関や公人に対する非難は、厳しく取り締まられるが、民主的社会においては、公人に対する批判は、私人に対するものよりも、表現の自由がより広範に認められる。
 民主主義社会における公人への批判は、かなり厳しいものであっても許されるべきであるという立場で考えていくことにする。 “ネットの誹謗中傷問題” の続きを読む

日本教育学会9月入学否定論の批判1

 5月11日に予備的な声明がでて、早急に検討を経て、日本教育学会としての見解を表明するとしていた「声明」が22日に出た。報道では「日本教育学会」としての見解であるとされているが、正式文書では、「『9月入学・始業制』問題検討委員会」としての声明であって、学会としての総意ではない。メディアの報道も、誤解のないようにすべきであろう。詳細な検討を順次行うとして、まず最初に、全体としての認識枠組みについて、検討する。
 文書は、「第Ⅰ部 9月入学・始業実施の場合必要な措置と生じる問題」「第Ⅱ部 いま本当に必要な取り組みに向けて」という二部構成になっている。ここに典型的に現われているのだが、私がずっと不満に思っている教育学者たちの発想法の欠陥がある。
 いま議論になっていることに関する「問題点」を指摘する。その問題が生じないように、「現行」を前提にして改良案を提示する。その際、「現行」の欠点については、重視しない。
 これが、長く日本の教育学者を支配してきた思考パターンである。今回の声明の「目次」から、そのことを明らかにしておこう。 “日本教育学会9月入学否定論の批判1” の続きを読む

道徳教材「最後のおくり物」について

 久しぶりに「カテゴリー」にある内容にそった文章を書こうと思う。まずは「道徳教育」に関わり、「最後のおくり物」という5,6年の教材として、文科省のホームページに掲載されている話を扱う。
(1)礼儀正しく真心をもって、(2)相手の立場に立って親切に、というふたつのことを考える教材となっている。
 実践例がいくつかインターネットにあり、そのひとつが、概略をまとめているので、それを利用させてもらう。

ロベーヌは、ステージに立つ夢をもつ俳優志望だが、養 成所に通う余裕がないため、窓の外に聞こえてくる練習の 様子を盗み聞きながら、自分で練習を続けていた。守衛の ジョルジュじいさんは、そんなロベーヌを、温かく見守って くれていた。ある日、ロベーヌのもとに「おくりもの(養 成所の学費)」が届けられるようになる。しかし、ロベーヌ が、養成所での練習が始まり、周りからも実力を認められ ようになった頃、「おくりもの」が届かなくなり、通うこと ができなってしまう。そんなとき、ロベールは、「おくりもの」 は、ジョルジュじいさんからだったことに気付くが、じいさ んは病に倒れてしまう。ロベーヌは、身寄りのないじいさ んを自分が看病することに決めるが、じいさんは亡くなって しまう。ロベーヌは、ジョルジュじいさんが最後に書いた手 紙を読み返して、じいさんの「思いやり」の心に触れ、何 かを決意したかのように遠くに視線を移した。http://www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/cms_files/kensyusien/dotoku/doc_dotoku_2018_16.pdf

 だいたいの内容はこの通りだが、いくつか私が読む限りでは、異なる点がある。 “道徳教材「最後のおくり物」について” の続きを読む

検察ネタは終わりのつもりが、麻雀事件が

 表題のように、検察庁法改正が、とりあえず今国会では成立しないことになったので、昨日の文章で終わりにしようと思っていたところ、突然、麻雀報道が起り、急展開になってしまった。昨日の文章の最後に、そろそろ黒川氏の延長された期限も近づいてきたと書き、その頃に新しい動きがあるだろうと予想したのだが、本当にびっくりした。しかし、これは、わからない事件だ。そこで、あくまでも空想だが、いろいろな可能性を考えてみたい。
 まずは、黒川氏の個人的な意思によって行われたという可能性はどうか。もともと麻雀やカジノ好きだといわれていたので、そういうギャンブル依存症的なところから来る、個人的な出来事かどうか。その場合には、賭麻雀という犯罪でもあるし、時期的に自粛しなければならないときに、批判されるような行為をしてしまうのは、やはり、依存症なのかと考えられる余地はあるだろう。「わかっちゃいるけど止められない、でも、普段の付き合いあるジャーナリストとやるのだから、まさかばれることはないだろう」という感じだった。 “検察ネタは終わりのつもりが、麻雀事件が” の続きを読む

検察庁法、今国会では見送りになったが

 廃案ではなく、成立を見送りとなっただけだから、次の国会で再度提出してくることは確実だ。もちろん、「特例」以外に関しては、多くの政党も賛成しているのだから、「特例」を辞めればすんなり通るのだろうが、そこはまだよくわからない。
 5月18日に見送りを、安倍首相と二階幹事長の間で合意がなされたわけだが、実は、その直前まで、安倍首相は強行突破の決意だったとしか思えない。そして、そのための「新しい理論武装」までしていた節がある。突然いいだした「法務省からの要請を了承しただけだ」という主張である。この論理も何人かによって詳細に反論されているが、自分の整理という意味で、私自身確認してみた。
 「櫻テレビ」というインターネットのyoutubeの番組があるが、5月16日付けの番組に、司会櫻井よしこで、安倍晋三首相がゲストとして対談している。そこである程度の時間をとって、検察庁法案について話をしているのである。どうやら、ここが発信源であるようだ。 “検察庁法、今国会では見送りになったが” の続きを読む