JR九州で無人駅化に障害者が提訴

 JR九州で、無人駅化したところ、障害者の権利が侵害されたとして、提訴されたという記事がでていた。ポイントは以下の通りだ。
 
 「 訴状によると、原告3人は脳性まひや、事故による脊髄損傷のため体が不自由で、常に車いすを使っている。無人化で、事前に予約し、調整が必要になると主張。憲法が保障する移動の自由を侵害し、障害者差別を禁じた法律にも違反していると訴えた。」(共同通信2020.9.23)
 
 無人駅は以前からあるが、最近定年退職による人手不足で無人化する駅が増大しているのだそうだ。東京都内でも、早朝の無人化とか、あるいは、無人ではないが、以前はたくさんいたホームでの監視員がいなくなるなど、駅で運行を司る労働者がいなくなる傾向がある。私の家の比較的近くを走っているツクバエクスプレスには、駅員はホームにはまったくおらず、改札口の脇にある駅員室に常時いるだけだ。

 駅員はいろいろな仕事をしているのだろうが、素人で判断できることは、切符に関わる業務、安全、トラブル対応などが主なところだろう。切符は遠距離以外は、自動販売機とスイカなどのカードで済ませることができるから、トラブル対応だけしていればよい。安全に関しては、以前はホームに数名の駅員がたっていて、電車が入るときと出発するときには、ホームと電車の間をずっと見て、危険な状況になっている人がいないことを確認して、合図してから、電車が走り出すのが普通だった。しかし、私が通勤のために乗っていた電車には、かなり前から、どの駅でもそのような作業は廃止されていた。あまり混まない駅しか利用していなかったので、ラッシュで混むときには、さすがに安全のための駅員が配置されていると思うが、ホームドアがしっかり設置されれば、これも不要になるだろう。こうしてみると、ホームドアなどの安全対策と切符の自動販売機が完備すれば、駅員は確かにあまり必要ではなく、日に数本しか列車がこないような駅では、無人でも構わないことになる。従って、無人化の趨勢を押しとどめることは難しいと思われる。
 では、障害者に対して、そのままでいいのか。
 訴状によると、「事前に予約し、調整が必要になる」ことが、憲法が保障する移動の自由を侵害しているとなっている。私は、障害者が移動する手段がなくならないように、十分に保障する必要があると思うが、予約や調整が不要になるように、人員を配置する義務が、鉄道会社にあるかといえば、それは疑問である。また、憲法上保障されている移動の自由とは、外的権力によって移動を制限することを、国家に対して禁止したものであって、自由に移動できる条件整備まで含めて、国家や企業に要求する権利だとは思わない。もし、そういうことが憲法上の規定であるとすると、一日に数回しか列車がこないし、10名程度の乗り降りしかないような駅でも、障害者がいつ来ても対応できるように、駅員を配置しておく必要があるということになる。それはいくらなんでも、無理な要求ではないだろうか。訴状によっても、「事前に予約し、調整」をすれば、乗り降りは可能なのだから、移動は可能なのではないだろうか。事前予約しても、車椅子の人は乗れません、というのであれば、それは絶対に改める必要がある。私のこれまで見てきた車椅子の乗客の世話は、駅員がしていた。駅員が車椅子の人と一緒に、電車が来るのをまって、きたら鉄の板をホームと電車にかけて、車椅子が渡れるようにする。その板は、駅に常備されているのから、確かにこれだと、いつ来ても、対応してくれるわけだ。それが無人駅になると、車掌か運転者がおりて、板を電車からもっていって、世話することになる。だから、事前の予約をしておかないと、対応できない場合も生じる。だから、予約が必要ということになるのだろう。
 最初に出かけるときには、予約もあまり面倒ではないだろうが、目的を果たして帰宅するときとか、途中の場合には、事前の予約の条件によっては、かなり予約自体が困難になる可能性は確かにある。だから、電車の運行を簡単に確認でき、どこからでも、気軽に電車に直接予約できるようなシステムを組む必要はあると思う。今のバスは、自分の待っているバスが、いまどこを走っているか、あとどのくらいで停留所に到着するか、スマホで見ることができるようになっている。電車の場合、車掌ならまったく問題ないし、運転者も、車の運転とは違って、電話のやりとりはそれほど危険を伴わずにできるはずである。自分の乗りたい電車が、到着する時刻は、現在でも簡単に調べることができるのだから、その電車に電話で到着前に連絡がつけばいいわけだ。
 そのようなシステムをつくって、障害者の電車での移動の自由を守れ、という要求ならば、支持するが、移動の自由を守るために、無人化するな、事前予約や調整しなくても、自由に乗り降りできるように、人員を常時配置せよという要求には、とても同意できない。
 障害者やその支援団体も、「合理的な配慮」のために知恵を絞るべきだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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