昨日グルベローバの逝去について書いたのに、またまたベルナルト・テイティンクが亡くなったという記事があった。21世紀に生き残った巨匠であるから、やはり書かざるをえない。
率直なところ、私はハイティンクのファンでもなかったし、熱心な聴き手でもなかった。もっているCDも少ない。カラヤンやワルターの正規盤はほとんどもっているのに比較すると、無視してきたともいえるかも知れない。しかし、ハイティンクが極めて優れた指揮者であり、巨匠であったことは疑っていない。 “ハイティンク逝去、安心して聴ける指揮者だが” の続きを読む
20世紀最高のコロラトゥーラ グルベローバが亡くなった
10月18日にグルベローバが亡くなったと報道された。数年前に引退公演があったから、既に現役ではなかったが、近年としてはずいぶん早い死ではないか。もっとも、グルベローバの先輩格のようなルチア・ポップは50代で亡くなっている。
グルベローバは、なんといっても、20世紀最大のコロラトゥーラであったと思う。コロラトゥーラの歌手は、若いころにコロラトゥーラの曲を歌うが、年齢とともに声が太くなっていくので、40歳くらいまでには歌わなくなる。そして、ルッジェロかリリコ・スピントの役を歌うようになっていく。ポップはそうだった。しかし、グルベローバは60代までコロラトゥーラの役を中心に歌っていたのが、極めて例外的だった。他には、サザーランドくらいしかいないのではないか。ふたりとも、ベルカントオペラの大家であったから、声の質を保持したのだろう。 “20世紀最高のコロラトゥーラ グルベローバが亡くなった” の続きを読む
日本は本当に能力主義社会か10 岩田龍子の議論から1
岩田氏は、日本を能力主義社会と規定しているわけではない。学歴主義という規定での能力の問題を扱っている。そして、そこには、大いに参考にすべき、そして検討すべき論点があるので、2回に渡って考察したい。
岩田氏は、「実力」と「能力」を区分する。それは一般的な区分法とはいえないが、とりあえず岩田氏の意味で理解しておこう。「実力」とは、特定の分野のことを遂行できることで、分野が特定されていることが特質である。それに対して「能力」とは、潜在的な可能性をもっていることで、更に、特定の領域における可能性と、領域にとらわれない一般的な潜在的能力とにわかれる。 “日本は本当に能力主義社会か10 岩田龍子の議論から1” の続きを読む
読書ノート『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』安富歩 角川新書
今や一月万冊の常連として有名な東大教授の安富氏の本来の研究分野である満洲問題を、一般向けに講演した内容をもとにした著書である。満洲の専門家であるとともに、「立場主義」を批判する著者が、このふたつを結びつけて、実は日本人にあまり知られていない満洲事変から満洲国設立、そして崩壊をわかりやすく説明している。
詳しい紹介は省き、感想のみ書いておきたい。
満洲国は、関東軍の暴走として語られるが、安富氏の問題意識は、なぜ暴走が起きるのかという点にある。それは、ポジティブ・フィードバックが想像もできなかったような爆発的な結果をもたらすという。原因が結果を生み、また結果が原因に作用して拡大していく。これをフィードバックと呼ぶが、これが連関してしまうのがポジティブ・フィードバックだ。満洲での例では、鉄道の発達が馬車用部材の流通を効率化、すると馬車が発達、馬車を利用して、ヒトとモノが鉄道に集中し、更に鉄道が発達。そして、その循環によって、爆発的に鉄道、馬車、モノ、ヒトの移動が発達するというわけだ。 “読書ノート『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』安富歩 角川新書” の続きを読む
読書ノート『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』鴻上尚史・佐藤直樹 講談社
同調圧力は教育学的にも、極めて重要な概念であり、「克服の対象」と考えられている。しかし、学校現場では、同調圧力を積極的に利用して、生活指導をしているところが多い。この本は、日本社会の息苦しさの原因を、同調圧力に求め、同調圧力を生んでいるシステムを「世間」と規定して、世間と社会の違いを日本と外国(欧米)の比較を通して分析している。対談なので、かなりラフな議論をしているところが少なくないのが不満だが、興味をもって読んだ。しかし、読み終えて、かなりの不満が残った。私は「愛国者」ではなく、欧米の教育研究者だから、こうした比較的手法を自分で行うが、このような「日本」は問題だらけ、「欧米」はよりレベルが高い、式の議論には、どうもついていけないというか、おかしくないかと感じてしまう。そして、この手の議論は、たいてい、欧米についての大きな誤解が散見されるのだ。 “読書ノート『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』鴻上尚史・佐藤直樹 講談社” の続きを読む
イベルメクチンの議論について感じる疑問
しばらく旅行に出ていたので、通常の話題について書けなかったが、昨日ネットをみていると、産経新聞が、「イベルメクチン個人輸入に警鐘「科学的根拠ない」
2021/10/17 と題する記事を掲載していた。イベルメクチンは、新型コロナ治療薬として、世界的な論争の対象になっている。私自身は、専門家ではないので、正確なところはわからない。しかし、この議論について考えるところは多々ある。
専門家の間でも効果があるという人と、ないという人がいる。そして、議論は、「科学的」な検証を重視する者と、実際に使って効果があった、なかったという人がいる。立場も様々だ。 “イベルメクチンの議論について感じる疑問” の続きを読む
旧中山道旅行記6
今日は帰宅する日で、夜遅くに帰った。早速パソコンをセットしたが、対して書くことはないのだが、最後の報告として。
まず、宿を出て、せっかくだから琵琶湖を一周したことにしようと、今回は北回りに車を走らせた。これまでは、米原あたりから、琵琶湖の東側を通って、坂本あたりまでいっていたが、坂本に宿泊していたので、西側を北回りにすると、一周したことになる。それで改めて感じたのは、琵琶湖は大きいという当たり前のことだ。諏訪湖を通ってきたので、特に強く感じた。
昨日、滋賀県の人と偶然少し話したのだが、滋賀のいいところは自然災害がないことだという。地震もないし、台風も来ないと。火山も廻りにない。大雨は降るだろうが、琵琶湖が吸収してくれるのだろう。確かに、滋賀は暮らしやすい土地なのに違いない。だから、商人を多く輩出したのかも知れない。
途中長浜城があったので、見ようと車を降りたのだが、来年春まで休館だったために、諦めて、最後に彦根城を見るために、彦根に向かった。
残念ながら、時間があまりなかったので、資料館のみ見ることにしたが、予想に反して見応えがあった。
旧中山道旅行記5
今日は、まず滞在先のすぐ近くにある日吉大社にでかけた。滋賀県大津市坂本にある日吉大社は、全国の日吉、日枝、山王神社の総本庁であり、かなり大きな神社で、山の反対側には比叡山延暦寺がある。数年前に、延暦寺を訪れ、坂本のほうに降りてきたのだが、今度は坂本に宿をとった。
非常に大きな神社で、たくさんの建物があった。
日吉神社は、猿を神としており、実際に日本猿の雄雌一組を小さな檻にいれて飼っていた。「時々乱暴になって水を浴びせるから注意」という看板がたっていた。あまり神のような雰囲気をもった猿ではなかったようだ。こんな小さな檻に閉じこめられているのだから、ストレスもたまるに違いない。残念ながら、暗い檻だったので、写真は撮れなかった。 “旧中山道旅行記5” の続きを読む