川口市いじめ訴訟の判決が近くでることに

 毎日新聞に、川口でのいじめ訴訟の判決が近いことが報道され、詳しく経過も載っている。https://news.yahoo.co.jp/articles/9eff06731565e238c72201f265772371af756429
 読んでいて暗澹たる気持ちになってくる。もう大部前のことになるが、教員の免許更新講習で、教育法について担当したとき、教育裁判に触れ、訴訟になる学校での事件は、ほとんど例外なく、学校側の対応が不誠実である場合に起きる。起きたことが不幸であったとしたも、学校や教育委員会が被害者に誠実に対応すれば、訴訟にはまずならないと説明していた。民法の「信義誠実の原則」は、教育の事件については極めて重要なのだ。毎日新聞に紹介された事例は、いかに教育委員会や学校が、「信義誠実の原則」を踏みにじっているかの、端的な事例になっている。しかも、調べていくと、実はほぼ同じ時期に、もっと悲惨ないじめ事件が川口市の中学で起こっており、そちらは何度か自殺未遂があったあと、卒業後に自殺に至っている。何か、川口市の教育委員会には、特有の問題でもあるのだろうかと考えてしまう。しかも、両事件とも、サッカー部でのいじめが中心となっている。

 
 さて、近く判決がでるという事件のほうを考察していこう。
 被害を受けた生徒は、2015年に入学して、サッカー部に入ったが、そこで顧問からの体罰や、部員からのいじめを受けたようだ。翌2016年9月に、不登校になっている。その前、5月から9月にかけて、顧問の教師とノートのやりとりをしていたとされ、その一部が記事に引用されている。
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●●先生
友達と親友のちがいってなんだと思いますか?
僕は親友ってかんたんにうらぎったりうそついたりやなことしないのが親友だと思います。
友達とかいなくなってもいいけど、部活の時とかクラスいるときとか
わざとわる口言われたり関係ない人達に僕がわるいとかうそ言いふらされたりするのはやです。
(顧問からの返事)
友達は楽しい時かに一緒にいる人。でも親友は、自分が困ったり悩んだりしている時に一緒に考えてくれたり、助けてくれたりしてくれる人だと私は思います。
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 9月に自傷行為があったので、母親が市教委に改善を要望した。そして、県教委と文科省が、市に「重大事態にあたる」と指摘したとされる。いじめ防止対策推進法の規定にある「重大事態」に該当するという指摘だ。そこで、2017年2月に、市は第三者委員会を設置して検討したところ、2018年3月に、第三者委員会からの報告が提出され、いじめだったと認定があり、市は、母親に謝罪した。
 調査委員会によるいじめの認定項目は以下の通りである。
1)サッカー部のグループLINEから外された
2)サッカー部の練習中に、肘で顔を叩かれるなどした
3)サッカー部の練習中に、ある部員からTシャツの襟首を後ろから引っ張られ、首が絞まった状態で倒された
4)健太さんの自宅で遊ぶことを断られたサッカー部員4人が、健太さんと交際中の女子生徒の自宅に行き、周辺で騒いだ
5)健太さんに対して、LINEで中傷をしたり、彼の自宅をスマホで無断で撮影し、LINE上にアップした
6)LINEの中で、他の部員からなりすましによるからかいや誹謗中傷を受けた
 第三者委員会では、2のみいじめではないとしたが、あとの項目については、いじめであったと認定した。
 毎日新聞の報道によれば、その後市は、卒業後のフォローをしなかったということで、母親が不信感をいだき、2018年6月に提訴に至る。報道では、卒業後の状況についてはわからない。プライバシーということで触れていないのだろう。2015年入学だから、第三者委員会の報告がでた3月に、生徒は卒業しているはずで、不登校が続いていたわけだから、希望するような進路をえられなかったことは、十分に想像できる。従って、そのフォローを求めたということだと思われるが、誠実な姿勢を母親は感じることができなかったのだろう。
 おそらく、不登校状態のときから、進路のことは気になっていたはずであり、対応を求めていたと考えられる。しかし、第三者委員会に任せたので、学校や市は特に何も対応せず、卒業時の3月に報告書が出た時点では、卒業後のフォローがどのように可能であるかは、思いつかなかったのかも知れない。しかし、それは、ずっと以前からわかっていたことだから、何もしなかったとすれば、無責任としかいいようがないだろう。あるいは、何か提案をしていたが、母親や本人との間に信頼関係かなくなっていたので、うまくいかなかった可能性もある。
 
 しかし、大きな問題は提訴された時点で、市の側が、態度を大きく変えたことだろう。報道で確認できる市側の問題はいくつかある。
・卒業証書をまだ渡していないので、裁判所で渡そうとした。
・市側の証人が「納得しない母親から、何度も指摘を受けて、内容が変わった」「いじめ報告は記憶にない」などと証言した。母親は、一度しか報告書の案を見ていないと反論している。
・顧問教諭は、げんこつで頭を叩いたり、耳を引っ張った場面を、法廷で再現したうえで、体罰を否定し、「本人から体罰の訴えはなかった」と主張した。
・市は、第三者委員会の報告を受けて、一端いじめがあったことを認めていたが、違法ないじめはなかったと態度を変えた。
・学校が対応しようとしたのに、母親が妨害したなどの主張を陳述書で述べた。母親はいじめに対応してほしいと何度も要請をしていたと主張。
 
 以上のような経過であるが、おそらく判決は、訴えを認めると思われる。市の対応は、あまりに不誠実だと感じられるからだ。
 さて、この事件について、ふたつ考えるところがある。これまで何度も書いたことだが、改めて触れざるをえない。
 まず、部活が現在の子どもたちの状況には合わなくなっていることである。自殺に至った事例もサッカー部でおきたいじめだが、被害者はサッカーの初心者だった。上の事例もそうだろう。昔は、多くの部活で、大部分の新入部員が、積極的にそのスポーツをやったことはなく、初心者であるか、逆に大部分は既にやっていたかのどちらかであった。つまり、上級者と初級者が、新任部員のなかで混じっていることは、あまりなかったのである。私が中学に入ったとき、野球部は、ほとんどが小学生時代に野球をそれなりに経験していた。しかし、テニス部などはほとんどが初心者だった。それが少しずつ時代が変わり、いまでは、完全に混在していると思われる。しかも、中学校は複数の小学校の卒業生によって構成されるから、みなが知り合いというわけではない。そこに、競争スポーツである部活で、初心者はどうしても不利な立場になる。そして、いじめられ易くなるのだ。部活は、学校にひとつしかないから、初心者用と上級者用のふたつの部が別々に存在することはない。よほど顧問がしっかりと公正に指導すれば問題は起きないだろうが、顧問が忙しかったり、あるいは素人だったりして、十分な指導ができないと、上手な部員が指導することになり、そこでしごきやいじめが起きる下地ができてしまう。学校所属の部活は、廃止して社会体育に移すべきなのである。会場を学校にしてもよい。学校とクラブを完全に別組織にして、同じ種目でも多様なレベルにあわせたものに区分しておけば、このようないじめは起きにくくなるし、嫌ならすぐにやめて、他に移ればよい。指導者も専門的な資格をもったものに限定する必要がある。クラブと学校は別組織だから、クラブのトラブル(それも回避しやすくなる)が、学校に持ち込まれる可能性は相当抑えられる。
 次にいじめ防止対策推進法そのものの問題である。この法は、大津でのいじめ自殺事件をきっかけに制定されたものだが、いじめ防止をきわめて形式的なものにしたという点で、大きな問題をもっている。上の事件でも、いじめはあったが、違法ないじめではなかった、などという論理を市が振り回すのは、学校での委員会や、訴えがあったときに第三者委員会を設置することに向かう。もっと重要なことがあるのに、それが後回し、あるいは無視されがちな体制ができてしまったのである。アンケートを年3回実施などという、これも極めて形式的な手法をとりいれている。
 いじめを防ぐために不可欠なのは、教師たちのいじめは本当にいけないのだという価値観と、いじめを見抜く力・感性と、そして、子どもたちを協力的にまとめていく力量なのである。そして、そのためには、教師を尊重し、教師のゆとりを保障しなければならない。しかし、いじめ防止対策推進法は、ますます「形式」に頼り、教師を忙しくしている。「重大事態」に該当するかどうかなどは、本質的な問題ではないのだ。重大でなければ対応しなくてもよいわけではない。訴えがあったら認定して、認定されたらなんらかの対応をする、などということで、本当にいじめが解決されることは、期待できないのである。
 
 川口の事例は、このふたつの問題は改めて浮き彫りにした。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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