矢内原忠雄と丸山真男20 丸山の知識人論1

 丸山の論文は、極端に言えば、すべてが日本の知的状況、日本の知識人への批判が土台になっている。彼の専門が思想史であり、思想は、広い意味での知識人の営みが中心だから、ごく自然なことといえる。そして、丸山の問題意識が、戦前の軍国主義に至った経緯と、戦後その反省から出発した知識人の状況への疑問から出ていたことも、当然のことといえる。
 「近代日本の知識人」は、1977年、敗戦から約30年経った時点で書かれたものである。(当初書かれた原稿が、様々な経緯を経て修正を重ねられた事情があるが、ここでは著作集10巻所収の論文をみていく。()内の数字はページ)そして、「戦後、「暗い谷間」を過ごした知識人が、知性の王国への共属意識が呼び醒まされた」(p253)が、30年経過した時点では、「戦争直後に民主主義の知的チャンピョンとして活躍した知識人たちに対して・・・非難と嘲弄を浴びせるのが一種の流行となっている」ことに対して、その非難の不当性を指摘するとともに、知識人たちの弱点をも批判する内容になっている。

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矢内原忠雄と丸山真男19 再出発

 大分間があいてしまったが、矢内原忠雄と丸山真男論を復活する。これまでこのブログでまとまったテーマで書いていたものを、いくつかきちんとした形でまとめていきたいと思っているが、そのひとつとして、矢内原忠雄と丸山真男に関する文章を考えている。
 前回は、「知識人とは何か エドワード・サイードの知識人論」という文章で、2020年12月だったから、ずいぶん時間がたってしまった。
 この18回で書いたように、矢内原忠雄と丸山真男を「知識人」論としてまとめていくつもりだが、その基礎となる議論として、サイードの知識人論を整理してみたわけだ。そして、矢内原と丸山の知識人論を比較してみることになるが、非常に興味深い違いがふたりにはある。

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山上裁判はどうなる?

 山上が真犯人ではないとすると、裁判は実にたくさんの可能性が生じる。もちろん、真犯人であったとすると、争点は、情状酌量か責任能力の判定のみになる。どうなるかはもちろん分からないのだが、既に様々な議論がなされているので、私なりに考えてみたい。
 おそらく裁判は来年になって開かれるだろうが、開かれるとしたら裁判員裁判になるはずである。もし、実際に検察が起訴したとしても、検察が本当に山上が犯人であると考えているかについては、どちらの場合もありうる。また、弁護士もどういう方針で弁護をするかは、人によって多様な立場がありうる。その場合分けをしてみよう。
 
 検察の意図として、
・山上犯人説で有罪にする。(十分な自信と証拠がある場合)
・山上犯人説をとるが、実は真犯人ではないと考えているので、裁判そのものを曖昧にしてしまう。
 
 弁護士の戦略として、山上の立場を徹底させた弁護士の場合

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安倍元首相狙撃考察11 山上が犯人でないとすると2

 安倍元首相を銃撃したのが、山上ではないという点については、ほぼ疑いないと思う。しかし、不思議なのは、テレビや新聞が、一切このことを問題にすらしないということだ。youtubeやSNSには疑問が多数でている。そして、説得力のある議論を展開している人も少なくない。何人もの人が検証しているのに、私はまだここで取り上げていない医師の会見について、確認しておきたい。
 
 安倍元首相が運ばれた奈良県立医大では、20名のスタッフによって輸血などの措置が行われたが、5時過ぎに死亡が確認され、記者会見が行われた。その模様を伝えたのが、以下の記事である。
 
「記者会見をした同大の福島英賢教授によると、安倍氏は午後0時20分ごろ病院に到着したが、既に心肺停止状態だった。首の前側に約5センチ離れて2カ所の銃創があり、弾は心臓に達していた。肩に1カ所の貫通したとみられる傷があった。体内から弾は見つかっていないという。」(毎日7.8)

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少年自然の家・青年の家廃止 欧米型キャンプ場に活用できないか

 8月28日の読売新聞に「中高年には懐かしい「少年自然の家」、存続の道は険しく…20年間で廃止250か所以上」という記事がでた。
 少年自然の家や青年の家は、中高年の人は、ほとんどが利用した経験があると思うが、コストや利用数、そして、建築物の老朽化等々の理由で、廃止されるところが増えているという。しかし、なかなか跡地利用が進まないとも。
 いろいろな利用形態が、現在ではあると思うが、主要には学校単位で、教師が引率する宿泊行事に活用されているのだろう。そのために、教師の負担も大きく、そのための利用の減少がある。少子化の影響もあるだろう。私も中学時代に林間学校で利用した記憶があるが、人数が私の世代の3分の1くらいになっているのだから、利用数の減少が起きるのは当然だろう。

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高齢者にとってのスピード

 所属している市民オケの演奏会が近づいてきて、この2日間特別強化練習だった。今回はハンス・ロットという人の交響曲1番を演奏するのが、市民オケとしては、非常に珍しいと思う。ロットについては、曲目が決まったときに、書いた。
 
 ブラームスの悲劇的序曲、ワーグナーのタンホイザー序曲、そしてハンス・ロットの交響曲を演奏する。この組み合わせは、非常に音楽史的には興味深いものだ。ロットは、まったく世に知られない作曲家だが、ここ20年くらいになって、初めて演奏されるようになってきた。作曲後100年以上経過している。それは、彼が世に出る前に気が狂ってしまい、27歳という若さで死んでしまったからだ。そのきっかけが、ブラームスにこの交響曲を見せたところ、「君は才能がないから、他の分野に進んだほうがいい」といわれたことだったとされている。ロットは、ブルックナーに高く評価されており、音楽院の後輩だったマーラーに、自分が及ばないような天才だと後世語ったほどの天才だった。22歳で書いたこの曲は、確かに、天才であることを十分に示していると思う。指揮者は、練習中、曲が未熟であることを散々述べ立てているのだが。

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国葬費用2億5千万? 30億では?

 安倍元首相の国葬問題が大きな争点になっているが、政府の対応は相変わらずだ。要するに国民を愚弄している。適当にメディアを操作すれば、やがて諦めるだろうというような感覚に違いない。だが、国葬と統一教会問題が原因となって、岸田内閣の支持率はあらゆる調査で低下しており、自民党の支持率も低下しているのが特徴だ。もっとも、野党の支持率があがらないのも、当然だと思うのが残念だが。
 
 国葬をすることにネガティブな意見は、いくつかの理由が考えられる。
・そもそも法律に規定のない「国葬」をやるのは違法ではないか。あるいは、いかがなものか。
・財政難の時期に、莫大な国費を投入してやる価値があるのか。

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読書ノート『21世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムに、政治家はネコになる』成田悠輔 SBクリエイティブ

 最近話題の成田悠輔氏のベストセラーになっている本らしい。羽鳥モーニングショーで、コメンテーターとして出ている成田氏が直接解説する形で、紹介されていた。番組は最後まで見なかったが、すぐに本を電子版で購入し、ざっと読んでみた。アマゾンでのレビュー数が700以上もあった。そんな本は滅多にないので、それだけでも驚きだ。
 本の内容は、とにかく、現在の選挙と民主主義の否定的な状況を、打開するための具体的な方策を、まったく自由な感性で提案しているものである。現時点で考えれば、本当にそういうことが可能か、また可能だとして好ましいのか、それは実はディストピアではないのか、という感想は当然おきるが、私がここで、教育制度の改革案について提起する場合でも、実現性はあまり考慮しないままに、とにかく考えられるあり方を書いている立場からすると、そういう自由な発想には共感する。実際に、当たり前になっている機械だけではなく、制度にしても、最初に考えた人がそれを公表したときには、ほとんどは、空想的なことだと思われていたに違いない。そう考えれば、ここで提起されている突飛と思われるアイデアも、やがて実現し、当たり前のことになるのかも知れない。

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珍妙なベートーヴェン交響曲全集 クルト・ザンデルリンク盤

 大分前に買って、ほとんど聴いていなかったベートーヴェンの交響曲全集がある。クルト・ザンデルリンク指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏だ。5枚組で交響曲だけが入っている。たいていは余白に序曲が入っているものだが、この演奏はどれも非常にテンポが遅いので、時間的に無理だったのだろう。
 何故聴かないまま放置してしまったのかというと、最初に田園交響曲を聴いて、あまりにゆったりとして、最初は、田舎にやってきた浮き浮きした気持ちを描いたものなのに、何となく、さびれた田舎にきてしまったなあ、という感じなので、聴く気持ちにならなかったのだ。

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吉村 部活改革案は何も改善しない

 吉村大阪府知事が、部活の改革として、複数の学校でひとつの部活という案を検討するという。各種メディアで報道されているが、NHKの記事でみていこう。「大阪知事 複数の府立高校で1つの部活動運営 制度検討を指示」
 文科省は、教員の働き方改革の改善として、部活については、順次地域のクラブに移管していくことを提起している。それに対して、吉村知事は、それは、多くの財源が必要なので、絵に描いた餅ではないかとして、ひとつの学校で部活を完結させるのではなく、近隣の2校で1つの部活を運営されるような「複数校1部活制」があってもいいという意識だそうだ。記事によると、会議に出席した4人の教育委員がおおむね賛成だった。

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