いまだに静岡工区が揉めているリニア中央新幹線に関する話題が、テレビ東京で取り上げられている。リニアモーターカーの原理、実際に乗った体験、そして、関係者の対談や経済効果に関する説明が報じられた。
改めてびっくりしたのは、この計画が1960年代初頭のものであり、詳細な建設計画が始まったのが1970年ころだったということだ。そして、東京-大阪を1時間で結ぶという「夢の鉄道」が構想されたということだ。1960年代初頭というと、まだ新幹線が動き出していない段階であり、その時代には、東京-大阪間を1時間で行けるというのは、大きな魅力だったかも知れない。
しかし、今は令和の時代で、21世紀だ。番組では、これが開通すると人口6000万人の経済圏が出現し、東京-名古屋間が実現すると3.5兆、東京-大阪間だと、6.5兆円GDPを押し上げるとしている。それがいいことなのか、そうした基本的なことを検討する必要がある時代なのではないだろうか。
仕事による移動(出張)と、観光や個人的な事情による移動とは区別して考える必要がある。
当初考えられたのは、出張などの合理化だろう。60年代に、東京-大阪で出張すれば、宿泊が当然だった。しかし、新幹線が実現すると、出張内容が短ければ、日帰りが可能になった。私はそうした出張経験がないので、よくわからないことが多いが、いくら日帰りが可能とはいえ、新幹線に乗車しているのが7時間、東京駅までが往復2時間とすると、9時間は移動そのものにかかってしまう。疲れるから、やはり、宿泊を希望するだろう。リニア新幹線が実現すれば、移動時間を5時間減らせるから、確かに日帰りが通常になるに違いない。しかし、経済効果的にいえば、ホテル業界は顧客をそれだけ失うことになる。本当にGDPを押し上げるのか疑問だ。
観光客が、最初は物珍しさからリニアを利用するとしても、やがて通常の新幹線や在来線にもどるような気がする。というのは、リニア中央新幹線はかなりの部分がトンネルだから、面白くもなんともない。それに速すぎて景色を楽しむことなどできないだろう。なんのための観光か。個人的な用事も、よほど急いでいない限り、その都度リニアを利用するとも思えない。というのは、リニアはかなり料金が高くなるはずだからだ。
そして、リニアによる時間短縮は、それほど意味があるのかということが、現代においては深く考えねばならない。1960年代には、コンピューターのネットワークは、少なくとも一般社会には存在しなかった。軍隊、大企業、大手メディア、研究機関などには、メインフレームによって接続されるネットワークはあったろうが、それは、特別な領域で使われているだけだった。しかし、現在は、既に生まれたときからインターネットが、当たり前に存在した世代が、社会の若手労働層を形成している。ITは社会のあり方を根底的に変革しつつある。既に、出張で移動する必要は、相当程度なくなっている。もちろん、誰かが現地に赴く必要がある場合はあるだろうが、遠隔地でのコミュニケーションが可能になっているから、出張そのものが、大幅に不要になっている。東京-大阪間が一時間で移動できても、駅間の移動を加えれば、3~4時間の移動時間がかかる。オンラインでやればゼロである。ドラえもんは、「どこでもドア」を提供してくれるが、オンライン会議は、どこでもドアのようなものだ。これによって生まれる自由時間は、相当なものであり、上手に活用すれば、生活そのものが豊富なものになる。しかし、GDPを押し上げる効果はなく、逆になるだろう。人々は、GDP押し上げのために生きているわけではない。GDPを下げても、便利で生産性をあげる方を選択するはずである。
つまり、リニア中央新幹線の最大の問題は、1960年代には大きな価値をもっていたことが、21世紀の現代では、たいした意味がないにもかかわらず、その価値以外の意味がないということなのだ。単に時間を短縮するために、莫大な工事をして、環境を破壊し、景色を楽しむこともできない鉄道の旅を強要する。こうしたことを、とても大事なことだ、と肯定的にみる人は、非常に少なくなっていると思われる。
そして、高い工事コストを回収することすらできないかも知れない。最新の技術かも知れないが、最良の技術とはとうていいえない。
成田新幹線を知っている人は、ほとんどいないだろう。成田空港と都心を結ぶために計画され、一部の工事が行われたのだが、空港反対闘争で空港そのものの工事が遅れたために、新幹線そのものが頓挫してしまった。私は学生時代、成田でサークルの合宿があり、そのときには、成田新幹線のレールが敷かれていたが、既に残骸のように感じられたものだ。その後完全に撤去された。リニア中央新幹線も、成田新幹線の二の舞にならなければよいが。というより、二の舞になるか、完成しても赤字垂れ流し路線になく可能性が高いのだ。