しばらく続けていたラインによる「『教育』を読む会」を昨年廃止してしまったので、最近、あまり熱心に『教育』を読んでいなかった。そして、注目すべき文章も、私にはあまりなかったように感じていた。そして、最近は、どうも『教育』に載る文章には、疑問を感じることが多くなった。そのひとつが、10月号小池由美子氏の書いた、高校国語の新科目に対する批判の文章である。とくに、最初の見出しである「新科目における「論理」と「文学」の分断」という部分は、同意しがたいものである。この見出しに表現されているように、小池氏は、国語では、文学的文章と論理的文章を、含む国語教育がこれまでのあり方であったし、それは正しいという立場にたっている。以下の文章に小池氏の立場が鮮明に出ている。
「国語で育成したい言語能力は、言語を技術的に扱うだけで育つものではない。思考力・判断力・表現力は言語をツールとして相互に絡み合って育成されていくものである。そこに介在する国語教材は論理だけ、あるいは文学だけで成り立つものではない。こうした狭隘な視野からは、言語能力を幅広く育成する観点が欠落しており、文学を語る資格もない。」