国葬「やってよかった」になるか?

 安倍元首相の国葬問題は、いまだに迷走を続けている。めずらしく岸田首相が、国会の閉会中審査で、自ら説明をしたが、それまで述べていたことを繰りかえしただけで、かえって不信感を強めたといえる。
 しかし、どうも不思議なことがある。私は国葬反対だが、どうせやるなら、もっとうまく処理できないのかと。
 政府の立場は、法律がなくても、閣議で決めれば実行可能であるというものだ。その根拠となっているのが、内閣府設置法の次の条文だ。
 
第四条
三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。
 
 これまでは、国葬を実施するためには、三権の長の承認が必要であるというのが、内閣法制局の見解だった。しかし、安倍内閣の下で、内閣法制局人事によって、政府の意向をほぼ認めるようになってきたのが、内閣法制局の実態であるから、この岸田内閣のいうことを認めた形になっている。

 しかし、この条文を素直に読めば、関与するのは「事務に関すること」であって、「国の儀式」を「決定すること」は、含まれないと読むのが、常識的な日本語解釈である。常識的には、法律で決まっていること、あるいは国会が決めたことの事務に関することを行うのだということだろう。三権といっても、国会が国権の最高機関であるから、国会が決めれば、国の意思が形成されたと考えてよい。だから、岸田首相が国会を招集して、そこで安倍元首相の国葬を決めればいいだけだ。幸い、野党が国会開催の署名を提出しているのだから、政府は国会を開催する義務を負っているのだ。国会を開催して、国葬を実施するという提案をすれば、絶対多数なのだから、可決されることは決まっている。そして、この手続きを踏めば、少なくとも、「国葬違法論」は封じ込める。国民の意思を反映した決定だといえるわけだ。
 何故この手続きを踏まないのか、無意味な閉会中審査にでかけて、オームのように同じことを繰りかえすのか。本当に不思議だ。
 国民の不信感はますます強くなった。
 
 そこに追い打ちをかけることが起きた。イギリスのエリザベス女王が亡くなられたのだ。そして、速やかに正式な手続きをふんで、国葬が決定された。安倍元首相の国葬の1週間ほど前になる。しかも、アメリカのバイデン大統領が出席の意向を表明した。安倍元首相のほうは、副大統領だ。イギリス女王を形式的にせよ元首とする国家は、非常にたくさんある。そうした国々からは、元首級のひとが必ず出席するだろうし、ヨーロッパ各国も同様だろう。そうすれば、すぐあとに行われる安倍元首相の国葬には、参加を控えるか、ランクの低い要人が来ることにならざるをえない。エリザベス女王は在位70年の国家元首であるが、安倍元首相は、最長の在位期間といっても、女王の6分の1に過ぎないし、元元首でもない。各国の対応は、歴然と表れるに違いない。しかも、国をあげて悲しみに覆われているイギリスに対して、統一教会問題で、安倍元首相に対する怒りは、かなりのひとたちに共有されている。
 
 オリンピックと同様、やってしまえば、「やってよかった」という雰囲気を作り出せると思っていたらしいが、直前に、世界中から元首級の参列者が予想される国葬が実施されてしまえば、比較されざるをえない。「やはり、やらなければよかった」という雰囲気になる可能性がずっと高いだろう。
 
 岸田首相は、ついに、自分はほんとうは反対なんだ、といいたげなリークを流している。しつこく主張したのは、麻生副総理で、自分は嫌々応じさせられたのだ、という。最高責任者は首相なのだから、毅然と断ればよかっただけのことではないか。麻生氏は、逃げ回っているらしいし、「黄金の3年間」の第一幕は、とんだドタバタ劇になっている。(その後、「俺が決めたんだ」と語っているという記事がでているので、何が本当かわからないが、とにかく、国民の意思を無視していることは間違いない。)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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