札幌五輪は招致すべきではない

 にわかにオリンピック疑獄の捜査ともいうべき事態が進展している。このブログを読んでいる人には、周知のことだが、私は、原理的オリンピック反対派である。オリンピックという国際競技大会は、少なくとも現在の形では存続すべきではないという立場だ。存続するとしたら、大きく形を変える必要がある。
 それはさておき、オリンピック疑獄は、どこまでいくのか。そして、これどのように受けとめるべきなのか。
 オリンピックは、近年のほとんどの大会がそうだと思うが、利権集団によって運営されている。そして、かなりの部分は、批判的論者によって指摘されているから、なんとなく理解はされている。オリンピックは、国民に勇気を与えるなどと自己礼賛しているが、実態は、各種利権集団によって、利権獲得競争が行われているわけだ。競技だけに限定すれば、「感動」もたくさんあるだろうが、オリンピックという全体の構造は、感動を生み出すことが、主要な目的とは思えない代物である。そこに初めて捜査のメスが入った。

 現在進行している検察の捜査は、オリンピック・スポンサーの利権獲得競争を対象にして行われている。はっきりしていることは、なんとかオリンピックで儲けたいという企業と、それを斡旋して、法外な口利き料を懐にいれる強欲なひとたちの姿である。現在は、スポンサーの領域が問題の中心となっているが、東京大会のスポンサーは、以前とは異なって、一業種一社という原則を破って、複数社を認めることで、たくさんのスポンサー料を獲得したと同時に、既に決まった業種でも、新たな企業が参入できる道を残して、贈収賄の可能性も大きくなったわけである。
 今後建設関係での利権に絡む汚職が摘発されることを期待する。各地の建設だけではなく、国立競技場の建て替え問題と、さらに周辺地域の再開発は、オリンピック利権の最も醜悪な部分を、暴き出すに違いない。そして、当然政治家たちが暗躍していたことも、疑いないから、最終的には政治家たちに捜査の手が及ぶことが予想される。
 
 東京オリンピックは、当初から、嘘に満ちていた。「福島原発はコントロールされている」「7,8月の日本は温暖な気候で、スポーツに最も適している」「既存の施設を使うので、コンパクト五輪となる」。こうした嘘に加えて、福島原発事故の影響を不安視するひとたちに対して、「東京は福島から200キロも離れているから大丈夫だ」などという、福島を侮辱する発言まで、都知事から発せられた。復興五輪などという掛け声は、実現されたとも思えない。東京招致が決まったあとも、エンブレム問題、開閉会式をめぐるごたごたなと、世界に醜態をさらした。
 そして、インバウンドを期待しての「経済効果」も、コロナが吹き飛ばしてしまった。何か、実行していいことがあったのだろうか。コロナ下でも、りっぱに実行した、という自己礼賛があるが、そういうひとたちは、今回の汚職摘発をどう見ているのだろうか。
 
 こうしたことがあったにも関わらず、オリンピックを望むひとたちは、2030年札幌五輪を夢見て、招致活動に余念がない。ところが、IOCと札幌関係者の会談は急遽中止になった。これは、明らかに、最近の東京オリンピックをめぐる不祥事の捜査の進展が影響しているといえる。現在は、札幌五輪への調査では、わずかに賛成派が上まわっているようだが、捜査の進み具合、そして、実際の経済的負担についてのリアルな認識が行き渡れば、反対派が増加してくることは間違いない。
 招致派は、「税金を使わない」という「みたて」を基に計画をたてているそうだ。しかし、東京オリンピックをみればわかるように、当初の計画にくらべて、税金投入の総額は、膨大なものになっていて、実は、東京オリンピックにかかった費用の正確な数字は公表されていない。あまりに膨大なので、公表できないのだと考えるのが当然だろう。そもそも、オリンピックは、招致運動のなかでの費用が、少なめに見積もることが暗黙の了解になっていると言われ、実際には、最初の計画より、ずっと多くの費用がかかるのが普通である。だから、札幌でも、実際に開催されれば、計画の何倍もの費用がかかり、その部分は税金で補填せざるをえないのである。それから、より深刻なのは、スポンサーが集まるという前提で計画がたてられているが、現在進行中の検察の捜査は、まさしくスポンサーをめぐる汚職を追求しており、スポンサー企業になった者が逮捕されているのである。そして、逮捕者は更に増えるかも知れないし、また、逮捕には至らなくても、疑惑をかけられる企業が、メディアで報道される可能性がある。それだけで、企業イメージの低下となる。だから、札幌五輪が決まったとしても、日本企業がスポンサーになることを躊躇するところが、たくさんでてくるにちがいない。すると、収入計画が頓挫してしまうことになる。多額の税金が投入されることは間違いないだろう。
 
 現在のJOCや政府、札幌市が、こうしたオリンピックの構造的問題をすっきりと改革し、国際的に胸をはれるような状況に改善する能力があるとは思えない。
 ふたたび、利権まみれのオリンピックを日本でやることは、絶対にさけるべきである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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