岸田子息の総理秘書官登用 ますます江戸時代に近づく自民党

 岸田首相が、長男翔太郎氏を政務秘書官に任命したというので、大分話題になっている。既に2年前から、議員としての岸田氏の公設秘書をしており、しかも、岸田文雄氏の後継者であることが決まっているそうなので、現場での修行の意味もあるのかも知れない。しかし、報道によれば、自民党からも批判がでているそうだ。二世三世議員だらけの自民党からも批判がでるというのは、よほどのことだろう。
 岸田首相には、信頼できる側近がいないのだろうなどという憶測もあるが、そして、それはある程度本当のことなのだろうが、やはり、この本質は、こうしたひとのやりくりが、自民党政治家の力量を低下させていること、そして、それが日本の国力の低下のひとつの原因になっていることである。
 これは江戸時代末期になって、ほとんどの大名たちが、時代の激動のなかで、何もできずに時代に押し流されてしまったことを思い出させる。というのは、自民党の世襲議員たちが示しているシステム的特質は、江戸時代の藩とよく似ているからである。

 安倍晋三氏亡きあと、子どものいなかった氏には、後継者問題が深刻になり、昭恵夫人を説得したが、その気持ちがなく、また、岸家からもいまのところ継承する意思のある者がでていない。岸田家は、長男の後継体制を整え、安倍家は後継がいなくなるので、途絶えることになる可能性が高い。つまり、藩の領主に子どもがおらず、養子も迎えることができなければ、当然藩はとり潰されることになる。安倍藩が取りつぶしになる瀬戸際にいることになる。
 
 何度か指摘したように、自民党の世襲議員は、江戸時代の藩と非常によく似ているのである。議員は大名であり、世襲だ。領地と江戸にはそれぞれ家老と上級藩士がいて、主に政治を取り扱っている。彼らは、東京と選挙区を取り仕切る秘書たちであり、後援会を運営している。下級武士たちは、後援会の会員。選挙民は領民ということになろう。議員は、東京と選挙区を往復するような生活をしているが、参勤交代が頻繁に行われるようなものだ。
 もちろん重要なことは、こうした形式的な相似性ではない。政治的な意味合いである。
 藩が大名を中心として、家臣たちまでを含む生存組織であり、そのためには、大名(領主)が、とにかく存在しており、家として継承されていくことである。領主が絶えてしまえば、家臣たちがどれほど優秀であっても、その大名家は廃止されてしまう。領主は、その力量によって存在意義をもっているのではなく、血筋をひいていることに意義がある。かくして、世襲される子どもと後援会が維持されることに、最大の目標が置かれる。
 安倍家に後継者がいないと、後援会組織もなくなってしまう。それを恐れ、なんとか後継者を見つけようとしているようだが。
 江戸時代は、大名たちの戦争能力は徹底的に削がれていたから、ある大名が御家断絶になっても、別の大名がその領地に入ってくるだけだった。江戸幕府がそのように措置する力をもっていたわけである。安倍家とその後援会が消えても、自民党本部が代わりの候補者を決めれば、それで収まってしまう。改めて考えてみると、後継者の血筋が絶えて、大名家がとり潰され、藩士たちが路頭に迷っても、そのことに対する抵抗などが起きなかったのは、実に不思議だ。逆にいえば、こうした仕組みを運営していたひとたちの、改革エネルギーはほとんど無に等しかったということだろう。だから、ごく稀に改革を実行した大名がでたとしても、大部分は、成り行きまかせだったし、幕末の動乱に際しても、積極的に行動する大名は、ごく稀にしかいなかった。積極的に行動して倒幕を実現し、明治政府をつくりあげたのは、下級武士たちだったのもごく当然だった。
 
 現在の自民党政治家が、こうした無気力で改革意欲のない、あっても行動できないひとたちの集まりだということが、重大な問題なのである。これは、自民党議員、特に世襲議員が生まれる党の仕組みに起因する。
 どんなに才能があり、環境に恵まれた人間でも、自動的に親の仕事を見事にこなす能力をもっているわけではない。それは鍛えられなければ身につかない。世襲議員は、そうした鍛えられることなしに、地盤を引き継ぎ、政治家になっていくのだから、ほとんどの世襲議員が、優れた資質をもっているわけではないのは当然なのだ。三世議員である岸田氏の動きをみていて、極めて優れた政治家だ、と評価するひとは、ほとんどいないようだ。当然だろう。安倍元首相も、支持者たちは実績を評価しているが、冷静にみれば、ほとんどみるべき成果などないだけではなく、非常に深刻なマイナスの遺産を日本に残した。
 
 したがって、世襲議員が当然のように、そのまま地盤を継いでいくシステムを改めなければ、自民党、そして日本がどんどん無能な人物によって統治される国になっていく。
 もちろん、職業選択の自由があるのだから、議員の子どもが議員になってはいけないということはない。しかし、政治家は、政治家として鍛えられなければ、力のある政治家にはなれない。自民党の世襲議員だって、力のある政治家になることを望んでいるひとが多数だと信じたい。だから、仕組みを変更する必要があるのだ。議員の子どもであっても、能力と意欲、識見がなければ、後継者にはなれないようにしなければならない。
 
 岸田首相が、長男を政治家として成長させたいのならば、自分の手伝いではなく、他の有力者の秘書にすべきだ。石破氏や河野氏の秘書として仕事をしていけば、ずいぶんと鍛えられ方が違うだろう。そして、実績を認められれば、親の地盤ではない、別の選挙区で立候補する。安倍家が断絶したら、そこで候補者となるべく他の候補者と争い、競争に勝ったら、そこで立候補して、選挙民に認めてもらう。親の地盤を継承させないということは、イギリスで行われているといわれている。もちろん、本当に力のある政治家として育っていくためには、安易な道はとらせないという見識である。
 イギリスはかつての力を失った国家であるが、政治家たちの存在感や国際社会に与える影響力は、日本の首相などの比ではない。プーチンによるウクライナ侵略が起こったあと、イギリスのジョンソン首相とわが岸田首相の仕事の差、影響力の差をみれば、なぜ、これほどまでに政治家の影響力の相違がでてくるのかと、考えざるをえないではないか。
 
 私は、自民党支持者ではない、というより、明確な反対派であるが、政権党である自民党の政治家は、やはり、見識と実力をもってほしいと思っている。今のようなシステムを続けていれば、幕末から明治にほろんだ大名のようになると考えるべきだ。
 藩や家産制国家は、統治者側に属する家をまもることが至上命題になっている。しかし、現代社会では、そうした仕組みは、社会全体を貧弱なものにするだけなのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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