小説をドラマ化するときに、まったく原作の内容を変更せずに制作することは、通常は難しい。原作のイメージ通りの俳優を見いだすことすら、そう簡単ではないに違いない。まして、シャーロック・ホームズ物語のように、すべてワトソン博士が、自身見聞したことを記述した形式になっている場合、話の筋を変えずにドラマ化すれば、当然順序などを変更しなければならない。また、原作では省略されている細かな点、例えば大道具小道具などについても、創造する必要がある。
そうした点は除いても、ドラマ制作者の意図によって、原作の内容そのものに変更が加えられることは、普通にみられるといえるだろう。そして、そのことによって、原作の不備を補ったり、あるいは、新たな矛盾を作り出したりすることがある。
続いて制作されたと思われる「ギリシャ語通訳」は、付加した内容が、むしろ不自然さを生んでいるのに対して、「ノーウッドの建築家」は原作の欠点を見事に補う結果になっている。その対照的な面が面白かった。