過激なサッカー・ファンへの違和感

 サッカーのW杯が行われていて、日本中に旋風が起こっているかのようだ。なにしろ羽鳥モーニングショーは連日、ほぼすべての枠をW杯話題を扱っている。さすがに、その時間帯は別の番組を見るようになってしまった。こうして離れていく視聴者もいることは、ぜひ知ってほしいものだ。
 サッカーが面白いスポーツであり、また、最も国際的な人気が高いことも十分に承知しているが、ただ、サッカーファンの行動については、どうしても疑問を感じることが多い。極端な事例では、昔アルゼンチンの選手だったと思うが、国際試合で負けて、帰国したときに、怒ったファンから殺されてしまったことがある。ここまで極端ではなくとも、負けるとその国のファンが異様に激しい抗議行動をすることが少なくない。今回も、世界ランキング2位のベルギーが敗れて、ベルギー国内で暴動に近いような抗議活動が行われたと報道されている。かつて、クラブ対抗の決勝戦が、日本で行われていたことがある。トヨタカップと称していたと思う。それは、負けたほうを応援しているサポーターたちが、試合後騒ぎを必ず起こすので、それを避けるために、決勝にでる可能性がほとんどないこともあるだろうが、観客がおとなしい日本で行われることになったと言われていた。フーリガンという言葉があるくらいだから、サッカーファンの暴力的なことは、広く認知されているといえる。

 
 暴動を起こさないまでも、SNS上での激しい批判が、おとなしいはずの日本でも、今回はかなり起こっている。他国はいうまでもない。
 日本の第一線で、優勝候補のドイツを破ったときには、テレビは一日中サッカーの勝利を報道していたような雰囲気だった。そして、いかに森保監督の采配が優れていたかを称賛していた。しかし、4日後コスタリカに負けると、とたんに監督の采配への疑問が噴出していて、敗れたA級戦犯はだれか、などとSNSで盛り上がっている。
 私は、それほどのサッカーファンではないからでもあるが、こうした勝った・負けたで大騒ぎをすることに、どうしても共感できないのである。W杯に出場するチームだから、どこも強いのであり、勝負は時の運というように、運良く勝つこともあり(ドイツ戦)、運悪く負けることもある(コスタリカ戦)。互いに死力を尽くして闘っているのだから、ミスもあるし、ファインプレーもある。敵であっても、相手の優れたプレーを率直に讃えればいいではないか。
 
 また、共産党の地方議員が、人権問題を訴えていたドイツチームを礼賛し、日本も見習えと主張していたが、その延長で、日本が勝ったことにがっかりしたような書き込みをしたところ、非難轟々巻き起こった。日本人が必ず日本チームを応援しなければいけないというのは、いささか過剰な愛国主義だと思うし、確かに、この議員の書き込みは不用意だったと思うが、どっちもどっちという感じがする。
 キムヨナと浅田真央が闘ったオリンピックで、日本人は浅田を応援しなければ、反日だというような雰囲気があったが、純粋のフィギュアのスタイルとして、私はキムヨナのほうを好んでいたので、別にキムヨナにぜひ勝ってほしかったわけではないが、勝つとは思っていた。試合前に、キムヨナ有利という予想が多かったのに対して、キムヨナが練習で故障すればいい、とか、試合で転倒すればいい、などという書き込みがあったのには、がっかりした。勝ち負けに拘り過ぎて、大事ことを忘れているとしか言いようがない。
 
 それにしても、サッカーファンの激しい行動は、抜きんでているような気がする。それは何故なのだろう。ネット上には、同じような問いがあり、その答え、またブログでの発言などがけっこうたくさんある。日本人にとっては、多くの人が疑問に思っていることなのだろう。でている意見は次のようなものだ。共通しているのは、サッカーファンは「熱い」ということだが、何故熱くなるのかだ。
・宗教対立が絡むことがある
・最も国際的に普及しているスポーツなので、旧植民地など貧しい国でもさかんで、そういう地域を中心として、這い上がる熱意などが反映される。イギリスなど、移民が多い国で荒れることが多いのはそのため
・うさばらしをしがちである
・賭の対象になっている
・僅差の試合が多いので、試合が最後までもつれ、興奮が試合後も継続する
 おそらく、どれも部分的に当てはまるのだろう。私が一番納得するのは、僅差の試合が多いという点だ。確かに、人気のあるスポーツで、サッカーは最も点が入りにくく、従って僅差で決着することが多い。日本とドイツ、日本とコスタリカも一点差だった。しかも、ラフプレーがかなりあり、倒される選手、イエローカードやレッドカードを出されることも少なくない。エキサイトするが、なかなか点が入らない。だんだん、聴衆もいらいらが募ってくる。そうして、もう少しで勝てそうなのに、負けた。そのときの失望感は、大きいだろう。あの審判の判定はおかしい、あれがなかったから勝てた、などという思いも去来する。そうした怒りが爆発するのは、ありえることに違いない。 
 ただ、なかなか点が入らないのは、それだけ選手たちが、互いに死力を尽くして闘っているからであって、攻める技術、そしてそれを防ごうとする技術のぶつかり合いが繰り広げられる。サッカーの深いをところを理解している人ほど、その技に惹かれるに違いない。勝敗を超えて、そうした技術のぶつかり合いを楽しめばいいのではないだろうかと、思うのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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