今週の日曜日に、私の所属する市民オーケストラの演奏会が行われる。メインはベートーヴェンの第九交響曲だ。毎年12月に市民コンサートとして、大規模な合唱曲をやるのだが、コロナのために中止になっていて、今年は2019年以来のことになる。練習機会が少ないので、やりなれている第九になった。そして、今回テンポについて、考えざるをえない場面が多かったので、市販されている演奏のテンポ比較をしてみた。
周知のように、ベートーヴェン存命中に、メルツェルという人がメトロノームを発明して、ベートーヴェンは、事後的に、自分の曲にメトロノームによる速度指定を行った。しかし、1970年代くらいまでのベートーヴェン演奏は、その指定よりも概してゆっくりに演奏されていた。しかし、古学派が少しずつ地歩を築きだしたことで、ベートーヴェンのテンポ通りに演奏すべきだという考えも出てきた。そして、事実、それまではほとんどなかった快速テンポの第九演奏も現れた。
今でも、ベートーヴェンの交響曲のテンポについては、いろいろな考えがあり、テンポ通りに演奏すべきだという考えから、ベートーヴェンの指定は、現実的には演奏が困難である、あるいは、ベートーヴェンが本当に考えていたのは、楽譜に書いているテンポより遅かったのではないか等、解釈の基本的考えが既に多様なのである。テンポ指定通り派は、極めて明快な考えだが、作曲家の指定したテンポは、作曲家の想像したものとは違うと主張しているのは、バレンボイムである。何故という部分も語っていたが、本が手元にないので確認できていないのだが、結論は明確だった。バレンボイムの演奏は概して、テンポが遅い。
今回の演奏会の指揮者は、テンポがとにかく速い。多くが指定より遅くする部分も、ほとんど指定通りにするという感じだ。だが、一カ所だけ、指定よりずっと速い部分がある。そして、それは市販されているCDなどの演奏でもいえることなのだ。
では実際のところ、各指揮者は、どのようなテンポで演奏しているのだろうか。もちろん、途中の変化は誰でもあるので、その部分の出だししばらくの部分で測ってみた。メトロノームを数値を変えながら、ぴったりのところを探るやり方だ。iPadのアプリのメトロノームなので、素早く数値を変えられる。
すべてを測るのが理想的だが、私が普段に気にしているふたつの部分を取り上げた。1楽章の出だしの部分と、4楽章の二重フーガと言われるところだ。厳かなアダージョから、がらりと雰囲気が変わって、ダイナミックにフーガが合唱で歌われる部分だ。結果は以下のようになった。
作曲者指定 1楽章 四分音符=88 二重フーガ 譜点二部音符=84
指揮者 1楽章 フーガ
カラヤン 88 96
ムーティ 76 98
エッシェンバッハ 74 102
小林研一朗 72 104
ヴァシリー・ペトレンコ 70 100
バレンボイム 68 108
この数値をみれば、非常に興味深いことがわかる。第一楽章は、ほとんどの指揮者が、ベートーヴェン指定より遅く演奏し、フーガはすべての指揮者が指定よりも速く演奏している。しかも、1楽章でもっとも遅かったバレンボイムが、フーガは最も速い。作曲家に最も忠実なのはカラヤンであることが、ここではわかる。
1楽章は、フルトヴェングラーの時代からゆっくり目に演奏され、カラヤンやトスカニーニは例外的だった。その傾向は今でも変わらない。そして、フーガ部分は、やはり、以前から速めに演奏されていた。楽譜の指定を守ろうという雰囲気が出てきても、この傾向はかわらなかった。
私のオーケストラが、第九を演奏した数年前、普段は速めのテンポで演奏する指揮者が、練習初日に、今回はベートーヴェンの指定したテンポの通りにやりたいと明言した。そして、多くの部分をかなり速めに設定していたが、このフーガ部分は確かに、ゆっくり、つまり指定通りに演奏していたのだが、少しずつ速くなっていった。それは私の予想通りだった。そして、結局は、3カ月くらいの練習を終えて、本番になったときには、普通の速いテンポに戻っていたのである。ここは、どうして、ベートーヴェンの指定を無視して、かなり速く演奏するのだろうか。伝統的なテンポの感覚が染みついているのか、ベートーヴェンが間違っていると解釈しているのか、あるいは別の理由なのか。
音楽的に推論してみると、「対比」のためが考えられる。フーガの前は、荘厳な部分が次第に祈りに移っていき、静かにくくられる。そして、金管が鳴り渡るフーガが始まる。ゆっくりした祈りから、一転活発な叫びのようなフーガになるので、速めにすると、その対比が際立つわけだ。1楽章が遅めの指揮者ほど、フーガを速く演奏するのは、そうした対照を際立たせたいのだろう。
さて、当初は20世紀前半を代表する大指揮者は除外していたのだが、ワルターは、フーガを遅く演奏していたことを思い出し、調べてみた。すると、1楽章は84、フーガが82だった。つまり、フーガ部分は、ベートーヴェン指定より多少遅めだった。この演奏が発売された当時、この部分の遅さは、かなり話題になったことを記憶している。批判的な意見が多かったが、演奏家たちがしっかり演奏できるように配慮したのだろう、という意見があったことも目立った。確かにここの部分の弦楽器はけっこう難しい。特に、指定より快速テンポで弾かされると、困難さが増すので、いつも、もっとここは指定通りにやってほしいと、私は思っている。だが、速いテンポの演奏を聴き慣れているせいだろう、ワルターの演奏は、引きずるような印象すら与えるのだ。ベートーヴェンの指定に最も近いにもかかわらず。刷り込まれた感覚によるものだろう。
テンポは、演奏家にとって、永遠の難題ともいうべきものだ。モーツァルトは、自分の曲を演奏するときには、速い部分は他のひとより、ゆっくり目に、遅い部分は速めに演奏したという。モーツァルトくらいまでは、強弱も速度も非常に単純な指定しかしなかった。多くは作曲家自身か演奏したので、細かいテンポ指定などは不要だったのだろう。しかし、ひとつの曲をいろいろな機会に、いろいろな演奏家が取り上げるにようになって、テンポ指定が細かくなっていく。そして、その細かい指定の最たるものがメトロノーム指定だ。しかし、メトロノームの指定は、作曲家の本当の望むテンポではないという、バレンボイムの見解もある。他方、ブラームスのように、楽譜をみればテンポは自ずとわかる、といって、テンポ指定を明確にしなかった大作曲家もいる。ある人がフルトヴェングラーに、ブルックナーのある部分についてのテンポを質問したところ、会場の響きや残響によって、テンポは変わるものだ、最も適切なテンポなど、そもそも存在しない、と答えたのは有名な話だ。
優れた演奏家は、音の高さに対する絶対音感だけではなく、テンポに対する絶対的な感覚ももっている。カラヤンは、新幹線に乗ったとき、外の風景の流れ方をみて、列車の時速を正確にあてたそうだ。そういう演奏家は、やはり、自分の感じる正しいテンポに従って、演奏しているのだろう。
しかし、私のようなアマチュアにとっては、テンポを維持することそのものが、とても難しい。
テンポとはやっかいなものだ。