住民のクレームで公園を廃止

 長野市のある公園が、一人の住民の「子どもの声がうるさい」というクレームによって廃止されることになった。このことが、大きな話題となっている。
 茂木健一郎氏は、住民の主張がエキセントリックでしかないので、一ミリも共感できないと述べ、更に、子どもはどこでも遊ぶのが本来の姿で、そうした当たり前のことを忘れている現代社会が根本的におかしい、と断言している。
「茂木健一郎氏、住民の苦情で公園廃止「一ミリも共感できない」と思いつづる」
 他方、先日テレビのワイドショーにでていた橋下徹氏は、小学校と保育園が近接している場所に公園を作ること自体の問題を指摘していた。トラブルになることは事前にわかったはずといいたいようだ。

 
 確認しておくと、この地域には、小学校の南隣りに保育園があり、その保育園の東隣りに公園と児童センターがある。公園は、地域住民の要求によって作られ、市が建設したが、管理まではできないというので、地元の有志による団体が管理をしていた。
 クレームをつけた人は、公園ができる前から住んでおり、ここが静かなところだという理由で、引っ越してきたのだそうだ。後になって公園ができ、うるさくなったので、最初の閑静な住宅地というセールスポイントが破られたというわけだ。そうして、クレームをつけるようになった。おそらく、この住民は、子どもが小学校や保育園に通っていなかったのだと思われる。既にもっと成長していたに違いない。
 クレームがあって、直ぐに廃止されることになったわけではなく、10年近くも試行錯誤がなされたようだ。
 おそらく、小学校は放課後になると、子どもは全員学校からでなければならず、自由に校庭で遊べるようにはなっていなかったのだろう。だから、公園ができると、公園に集まって遊ぶようになった。だいたい50名ほどが遊んでいたという。
 私の家の前にも公園があって、コロナ前は多いときには、10名程度が遊んでいることが多かった。ただ、コロナのために人数は目立って減ってきており、あまり気にならないが、コロナ以前は10名程度でも小学生が遊んでいるときには、クレームなどはしなかったが、けっこううるさいと感じたものだ。だから、50名といえば、相当神経に触るといっても、おおげさではないと思う。
 
 クレームがあり、市や地域、小学校等で対策を考えた結果、それぞれのグループ(小学校、保育園、児童センター)が5名ずつ遊ばせ、それ以上はださないという取り決めをしたのだそうだ。しかし、そうした体制がとられると、今度は、5名しか遊べないならというので、実際には遊ぶ子どもがほとんどいなくなったのだそうだ。そうして、遊ぶ子どもがいないなら、管理も必要ないということで、管理を請け負っていた団体が、管理を返上してしまった。だから、遊ぶ子どももいないし、管理もない状況が続いていたことになる。そういうなかで、市が廃止を決定したという経緯である。
 テレビをみていて、私が不思議に思ったのは、この公園が地域住民の要望で設置されたのに、クレームに対して、わがままではないか、というような反対や、公園存続の要望がだされていたということが、語られていなかったことだ。実際には、そうした運動があったのに報道されなかったのか、実際になかったのかは、正確にはわからない。しかし、存続要求の住民の動きがあれば、報道しない理由もない。公園廃止のニュースは、驚きをもって受け取られたのだから。
 存続運動がなかったとすれば、考えられる理由は、当時その近隣に住んでいたひとたちは、多くが公園で遊ばせたい子どもたちがいたが、最近では成長して、公園で遊ぶ年齢よりずっと上になっていた。他方、次第に、公園で遊ぶ子どもは、多少離れたところからやってきて、なくなれば、別に遊び場所を探すほうがよい、と考えたのかも知れない。こういうことが考えられる。
 テレビでは、小学校や中学校の校庭を開放すればいい、という案がだされていたが、それで子どもたちのうるささが緩和されることはないだろう。
 
 かなり迂遠な話になってしまうが、やはり、指摘しておく価値はあると思う。
 オランダに住んだことがあることは、度々書いたが、そのときに印象的だったことに、公園のあり方もあった。おそらく、ヨーロッパでは似たような傾向だと思うが、オランダという国家は、国家事業として埋め立てをして、住める地域を広げてきたので、土地の利用が、かなり国家計画にそって行われる。個人が土地を購入して、好きなように家を建てるということは、地域にもよるが、難しいのだ。だから、ほとんどは集合住宅である。当然、公園も計画的に作られるが、その公園が日本とはまったく異なるものだった。日本の住宅地の公園は、小さな公園がたくさん作られる。そして、公園のまわりは当然住宅が囲んでいる。
 しかし、オランダの公園は、非常に広大な敷地があり、森に囲まれ、池や散歩道があり、そして、かなり広い芝生の遊び場がある。そこで、犬などが思い切り走れるくらいの広さがある。周囲は森で囲まれているので、住宅に騒音はほとんど届かない。その代わり、公園にいくためには、どこからでもけっこう歩かなければならない。当然、あちこちに公園があるわけではないからだ。
 
 長野県であれば、そうした公園を設置することは可能なのではないかと思うのである。それぞれの文化と歴史があるから、どちらが正しいあり方とはいえないが、少なくとも、そうした公園の作りかたをしている国、文化があること、そして、そこでは、騒音クレームなどはほとんどないということは知っておく価値がある。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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