コロナ医療負担や走行距離課税について

 出発当初は、貧富の差を解消する政策をとるようなポーズをとっていた岸田内閣だが、主なスタッフを財務相出身者で固めた時点で、やがて増税路線を突っ走るようになることが予想された。そして、最近は、その姿勢を隠さず、いくつかの増税政策を打ち出している。まだどうなるのかは分からないが、検討しておきたい。詳細な専門的な検討というのではなく、生活する身としての、常識的な考察である。
 
 まず、財務省の財政審議会がコロナワクチンの公費負担の見直しを議論しているという。日経が伝えている。「コロナワクチン、「全額国費」見直し求める 財制審」(日本経済新聞11月7日)

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安倍元首相狙撃考察15 安倍元首相はどちらから撃たれたのか 朝日新聞の混乱

 久しぶりに山上の話題が新聞に報道された。朝日新聞の11月8日の記事「安倍氏銃撃の手製銃、刑が重い発射容疑を適用できるか 殺傷能力確認」である。
 見出しでわかるように、発射容疑を適用できるかという問題を扱っている。銃刀法は、所持しているだけでも犯罪だが、銃を発射した場合には、更に罪が重くなる。当たり前のことだ。しかし、きちんと製造された銃を前提にした規定であるために、手製の銃に発射罪を適用できるか、見解が分かれているのだそうだ。もし、本当に山上の手製の銃で安倍元首相を殺害したのならは、発射罪に問えないことのほうがおかしいが、やはり、本当に山上の銃で安倍元首相が殺害されたのかの立証がきちんとなされるべきだろう。
 記事によると、県警は、山上の銃は殺傷能力があることを実験で立証したとする。

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子どもの信教の自由 学校教育と宗教二世問題

 統一教会をめぐって二世信者の問題がクローズアップされているが、もちろん、これは統一教会だけの問題ではない。むしろ、教育との関わりについては、エホバの証人などのほうが、これまで問題になっていた。しかし、その問題の認識の方向は、統一教会とは違っていた。 
 これまでの学校教育におけるエホバの証人の問題のされ方は、信教の自由を守る立場からだった。有名な事件としては、神戸高専で、体育の剣道の授業を拒否したエホバの証人の生徒たちが、言及留め置き、そして翌年退学になった事件である。剣道の授業を強制するのは、憲法で保障された信教の自由を侵すものだ、として提訴し、一審では原告が敗訴したが、二審、最高裁は、原告の主張を認めた。剣道の授業が、高専で学ぶ上で必須とはいえず、退学というのは、学校の裁量権の逸脱であるとした。つまり、ここでは信教の自由を認めた形である。

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統一教会のマインド・コントロールにかかるひとたちの不思議

 統一教会問題がクローズアップされて、本当に不思議だと思うのは、信者の意識だ。信仰が内面的な救いということではなく、先祖の悪行を払うために献金が必要だという論理に、自身の大金を投じるだけではなく、家族のお金にまで手をだし、また、他人に法外な値段で壺等を売りつける。そして、それが心底救われるために必要なのだと信じきっているという。
 合理的に考えれば、サタンとか神などは存在しないし、先祖が悪行をしたとしても、今生きる子孫たちに何ら影響を与えることなどない。そして、そうしないと地獄にいくと脅されて、地獄にいかないために、そうした自分、自分の家族、そして友人を破滅させるような行動に駆り立てられる。そして、そういうひとたちは、とてもまじめなおとなしい人なのだという。確かに私の知る限り、統一教会の信者は、おとなしくまじめな人である。人を不幸にするために、献金したり、お金をむしりとったりするような人ではないと思われるひとたちだ。

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教科書選定不正から考える3 社会科教科書

 今回は社会科の教科書について考えてみよう。
 以前にも、社会科だけではないが、新しい形の教科書について考えたことがある。「デジタル教科書に必要なこと」
 
 定型的な教科書が、社会科にとってはむしろマイナスになっている理由は、いくつかある。
 社会科の教科書は、常に政治的な争いの対象となってきた。そして、教科書訴訟という裁判ざたまで起き、しかもかなり長期に渡った。社会に様々な対立がある以上、社会を学ぶ教科においては、その対立が持ち込まれることは避けられない。どのようにそうした対立を、教育のなかで扱うのが適切なのか、その点についても、また対立があるのが実情である。

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エンジンブレーキ(オートマ)の使い方は同じではない

 昨日2週間弱の旅行から、無事帰宅した。四国を経て九州をまわり、北陸経由の自動車の旅だったので、無事帰ることができてほっとしている。実は、出かける前に不安なことがあった。それは、先日起きたバスの横転事故である。まだ真相はわからないようだが、坂道を長くおりる道路だったので、ブレーキの踏みすぎで、フェード現象が起きたのではないかとされている。私の住んでいる付近は、めだった長坂などはないので、普段気にすることはないが、さすがに九州までの旅では、途中坂が多いので、事前に車を点検にだし、その際エンジンブレーキに関してのチェックをしてもらい、また正確なかけ方を教えてもらった。というのは、何度かエンジンブレーキをかけたつもりなのだが、あまり効かないように感じていたからだ。妻の車は、ハイブリッドなので、エンジンブレーキをかけると、確実かつ強力にかかる。ところがガソリン車である私のは、どうもかかりかたが弱いのだ。車を購入したときに、教えてもらった方法のはずなのだが、あまり効かない。

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教科書選択の不正から考える2 国語教科書は不要

 具体的な教科について考えてみよう。
 極端にいえば、算数(数学)と理科以外の教科書は、原則不要だと考える。特に、国語と社会は、教科書なる印刷物はないほうがよい。国語を例にとって、現在の教科書制度が、いかに学びを歪めているかをあげてみる。
 国語の教科書には、有名な文豪の文学作品や、優れた論文や説明文が掲載されていると、一般には思われている。それは間違いないが、実は、少なからぬ書き換えが行われているのである。どうして、そんなことが許されるのか。

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教科書選択の不正から考える1

毎日新聞が、精力的に、教科書選定に関する不正行為について報道している。
 要するに、4年に1度の教科書選定の際に、賄賂を贈ったり、接待する不正行為があったということだ。教科書を選定する委員を聞き出す、委員に働きかけるという選定そのものにかかわる点と、教科書作成過程に、現場の教師たちに意見を聴取するかたちで謝礼をするなど、いろいろな手口がある。
 しかし、現場の教師に意見を聞いて、その謝礼をするなどということは、別におかしなことでもないし、禁止するようなことなのかという考えのひともいるだろう。そして、教科書選定にかかわる不正行為は、今に始まったことではなく、現在の教科書検定・制定制度ができて以来、ずっと起きていることである。また、検定制度のないアメリカなどでは、別の教科書をめぐるトラブルがある。国民教育制度のなかで、決められた教科書がある限り、なんらかの形で、世間から批判されるような事態が起きることは不可避なのかも知れない。しかし、だからといって、放置してよいことではない。

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ハロウィン事故に思う 誰に責任があるのか

 韓国ソウルの繁華街イテウォンで、群衆雪崩といわれる現象によって、150人以上が亡くなり、日本人女性2人も含まれている。ハロウィンで集まった人々が、狭い路地に双方から多数移動し、動きがとれなくなったひとが圧死したという。似たような事故は、2001年の兵庫県明石市での歩道橋でも起きている。こちらの死亡者は11人だった。
 いずれの事故でも、あとで警備体勢の不備が指摘された。確かに、こうした事故が起きる以上、警備が万全でなかったことは間違いないが、事前に、どの程度の人数が繰り出されるのか、どこにどういう形で集中して、危険な状態になるのか、もし、危険な状況になったときに、どのような対策がありうるのか、等々について考えてみると、万全な対策は、かなり難しいのではないかと思わざるをえない。そして、責任は、決して警備態勢、つまり主に警察だけではなく、他にも負うべきところがあるように思われるのだ。

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何をしたいのかわからないのは、岸田首相だけか

 岸田首相に対する批判は、いろいろとあるが、「首相として何をやりたいのかわからない」というのがある。たとえば、白井聡氏による「背後に隠れているエースの専制、岸田政権を総括する」である。
 題名は「背後に隠れている」となっているが、本文を読むと、隠しもしないで「財務官僚」の専制になっているという趣旨だ。そして、そのなかで、「何をやりたいのか」わからないことが指摘されている。
 自民党の二世・三世議員が、首相をめざすのは、明快な理由がある。「首相でいること」自体が目標であり、その前は、「議員でいることが目的」であった。彼らは、父親の地盤を引き継ぐことが目的であり、そのことによって、何を実現したいかは、問われたことがないのではないだろうか。その典型が安倍元首相だった。安倍首相の「お友達優遇」政治は、お友達こそ、自身の政治的地位保全のために役立つ存在だから優遇する。逆に、自分に刃向かう者は、党内での実力ある政治家であっても、排除する。(現職議員であるが、安倍首相に辛辣の発言をしていた溝手顕正を落とすために、河合案里を立候補させ、更に巨額な資金を河合陣営に注入して、河合克之法務大臣を巻き込む汚職事件が典型)

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