日本の教育のなかで最も劣っているのが演劇教育だ。演劇は、音楽とか美術などと違って、人によって趣味が異なる領域というよりは、国語教育の一環なので、だれにも必要なことだが、日本では、整ったカリキュラムになっていないし、学習指導要領でも重視されてもいない。
その理由は何だろうか。それには、日本の文化のなかに、演劇が歴史的に根付いていないことと、その反映として学校教育で軽視されているというふたつの側面を見る必要がある。
まず、日本には、国民的な演劇作品、演劇作家が存在しないという事情がある。イギリスなら、シェークスピア、ドイツならゲーテやシラー、フランスならモリエール、ボーンマルシェ等々、主な西洋の国には、たいてい国民作家と言われるひとたちが、国民に普及している演劇作品を残している。江戸時代の後期に、芝居小屋ができて、ある程度人気を博していたが、その時期に国民的劇作家が生まれたわけでもなく、また今日でも上演されている著名が演劇が書かれたわけでもない。その時期に今でも継承されているのは、落語だろう。
岩波書店から公刊された日本古典文学体系でも、演劇的な作品は、狂言と歌舞伎だけで、特定の作家の作品としては掲載されていない。
明治以降も、事情は対して変わっていないように思われる。つまり国民作家と言われる劇作家はいないことの結果といえる。私が知らないだけかも知れないけれども。
オランダ留学のとき、一月ほどドイツに滞在したが、たまたまファウストの公演があるというのでいったところ、子どもたちの観客がたくさんいたことに驚いた。ファウストは大人にとっても難解な劇だ。夏休みの野外公演だったこともあり、子ども用に分かりやすいしかけになっていたのかも知れない。
イギリスの高校などでは、演劇がさかんだが、シェイクスピアなども、高校生によって学校内で上演されている。
第二に、日本の文化のなかで、声を出して文章を味わう慣習が、育たなかったことが影響している。それは日本語の文字採用に影響されているような気がするのである。
日本にも声で伝える文化がなかったわけではない。平家物語は、吟遊スタイルで普及したと言われており、和歌なども、集団のなかで、朗唱したとされている。しかし、何故そうした朗読から演劇に発展しなかったのか。ひとつは、正式文書であり、また国際的な交流の手段であった言葉が、ヨーロッパではラテン語であり、東アジアでは漢文だったということがあるのではないかと思っている。中世において、ラテン語も漢文も知識人の言語であって、決して一般大衆が使っていたわけではないが、文化には大いに影響を与えていた。ラテン語は学問と教会の儀式に使われたが、実際に会話にも使われていた。大学などの講義がラテン語で行なわれていたし、今でも神父の一部はラテン語を使えるそうだ。そして、ラテン語が元になって、ヨーロッパ言語の多くが形成された。ラテン語は、音を文字化した言語だから、会話が中核であった。
漢字は象形文字が発展したものだから、音と結びついていないし、日本語のカナも韓国語のハングルも、音を表すもので、漢字とは異質な構造をもっている。そして、漢字は、中国の王朝が変わると、少しずつ発音も変化した。従って、東アジアの国際語としての漢文は、文字レベルの表現手段になっていた。江戸時代、将軍が変わると、朝鮮から使節がやってきた。九州から陸路江戸まで往復する。日本各地の文化人たちが、行列の通るところにやってきて、交流をしたのだが、もっぱら漢文を紙に書いてコミュニケーションをしたと言われている。声にだして意思疎通することはできなかったが、文字では可能だった。また、私たちが教科書などで読む江戸時代までの公式文書は、古文のように書かれているが、実際には漢文だった。公式文書は、庶民の生活にあまり関係なかっただろうが、しかし、そうした情報、コミュニケーション手段である言語の二重性、そして、公的文書は音声を重視しないものだったことは、朗読・演劇文化を低調にさせた原因と考えられるのである。
こうした歴史的社会的背景をもって、学校における演劇教育が不活発であることを、どう打開するかを、次回考えたい。(続く)