戦争に人をだすこと 湾岸戦争とウクライナ戦争

 今から30年前になるが、湾岸戦争は、日本の外交方針を大きく変えた。イラクがクウェートを侵攻して、国連が決議によってイラクの侵略を退けたのが湾岸戦争だ。日本は、戦争地域に人を派遣することは憲法上できないということで、経済的な、つまり金銭による支援をした。 
 戦後クウェートは、アメリカの新聞に大々的に、援助してくれた国に感謝の意を表したが、その一覧表に、日本がなかったことで、日本政府は大ショックを受けた。そして、やはり、人をださないと感謝されないのだ、ということで、以後、日本は紛争地域に、戦闘行為はしないが、自衛隊を派遣するようになった。多くは、PKOだったが、小泉政権は、イラク戦争に自衛隊を派遣をしている。最も、自衛隊がやっていたことは、主に土木作業だったようだが。つまり、日本の外交方針が根本的に変化したのである。

 
 こうした日本の外交の転換に疑問をもった。
 まず、感謝されなかったことが、それほど大きな衝撃なのかということ。確かに兵隊を派遣して闘った国に比較すれば、貢献は目立たないものであった。
 日本はクウェートに対して貢献したと考えていたが、日本が行なった軍事支援は、直接にはアメリカ軍に対してのものであって、間接的なものだった。だから、直接支援を受けたわけではないクウェートとしては、感謝の念を表明しなかったとしても、それほど不自然ではなかった。日本の一人相撲のような感じだったといえる。
 
 ところで、今回考えたいのは、湾岸戦争とウクライナ戦争における支援のあり方の大きな変化である。最も大きな支援をウクライナに対して行なっているアメリカは、表立って人を出していない。裏で技術・戦術指導などをしていると言われているが、戦闘要員はまったく派遣していない。つまり、「人を出していない」のだ。それだけではなく、「人をだす」ことはないと、繰り返し表明しているのだ。
 アメリカだけではなく、国家として、ウクライナに対して、戦闘要員の派遣という形で支援しているところはない。外国人の兵隊は多数参加しているが、あくまでも義勇兵であって、正規の軍隊ではない。
 日本は、主に防寒具のような補助的だが、不可欠の品物を送って支援としている。そのことによって、「人をださないのは十分ではない」などという議論は、まったく起きていない。ウクライナからは、感謝の念が伝えられている。時代が変わったのか、状況の違いなのか。 
 
 私は世界が、特に先進国が変わったのだと思う。
 今回、日本が自意識という点でも、自戒をしなくても済むのは、アメリカを始めとして、どの国も正規の軍隊を送って支援をしているわけではないからである。そして、アメリカが軍隊を送らないのは、相手がロシアという、軍事大国だからであり、湾岸戦争を躊躇なく闘ったのは、相手がイラクという小国だったからでもある。しかし、イラクには派兵したのだから、ロシアに対しても派兵すべきだ、という国際的な意見は、まったく出ていない。現在派兵していないのが、ロシアとウクライナという、それなりの大国であり、特にロシアが軍事大国だからであるとしても、派兵することが戦争の拡大をもたらし、被害の圧倒的拡大をもたらすだけで、戦争の縮小にはつながらないという現実的な見方が強いからだろう。
 逆の面からみれば、国際紛争の解決のためであっても、軍隊を海外に送ることはしないという日本の基本的立場が、国際的にも広がり始めたといえるのではないだろうか。憲法9条の精神の拡大という面も見のがすべきではない。
 
 日本の対処法が、当初国際的に非難されたが、その後受け入れられていることは他にもある。ダッカでの日本航空ハイジャック事件で、当時の福田首相は、人命は地球よりも重い、と述べて、犯人の要求を受け入れる姿勢を示したが、テロを認めるのかという非難を受けた。交渉を受け入れる事例もあったとはいえ、テロリストとの交渉をせず、人質を犠牲にしてしまうことがむしろ多かった。しかし、その後、人質の生命を考慮することが基本になっていく。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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