鬼平は、理想の上司などといわれることがある。確かに、部下や密偵たちへの、非常に細やかな心遣いや、的確な指示・命令など、学びたくなるところが無数に出てくる。だからこそ、「お頭のためなら、いつ死んでもいい」という献身的に、命懸けの仕事に部下や密偵たちが、日夜励んでいる。しかし、部下の不祥事の話もいくつかあるし、逃げてしまう密偵も出てくる。そして、平蔵自身の失策もある。しかも、今回取り上げるのは、そのミスのために、密偵と密偵候補者を死なせてしまう話である。その失策は、作者池波正太郎が、頻繁に平蔵の優れた資質として、人を見ただけでどんな人物か察知してしまう能力や、慎重で緻密な対策という設定に反している。こうした時折みせる平蔵の人間的弱さも、鬼平の魅力であるかもしれない。しかし、「学びたくなる」物語であるなら、教訓を引き出すことも重要だろう。
「殿さま栄五郎」と「妙義の団衛門」のふたつを取り上げるが、原作では、馬蕗の利平治という密偵が関わっている。従って、物語として連続性があるのだが、ともに、前者では、古参の密偵の粂八、後者では、新参の密偵の高萩の捨五郎に変更されている。
生徒の暴力で教師が市を提訴
本日(3月1日)の毎日新聞他、各新聞が、生徒に暴行された教諭が学校側を提訴という記事が掲載されている。この提訴は、1週間ほど前から予告されており、原告が記者会見を開いて、提訴することを公にしていたのだろう。
報道によると、中学の教師が、2013年に給食時間中、教室の扉を蹴った生徒に注意をしたところ、頭を殴られ、手首を強く締めつけられ、膝蹴りを受け、鼻を骨折した。学校側は、警察や消防に通報しないばかりか、公務災害の申請も拒否し、保険での治療を勧めたという。手術を何度も受け、公務災害は認められたものの、2015年まで休職せざるをえなかった。
毎日新聞の質問に対して、教育委員会は、「教諭に不安を与えたかもしれないが、学校と市教委の対応は適切だった」と回答しているそうだ。
文部科学省によると、生徒による対教師暴力は、年間8000から9000件あるそうだ。
他の報道によると、学校は、生徒の暴力には、教師は体をはって防ぐべきだ、といったともされている。
音楽と国際化2 記譜法の発明
イギリスの作曲家ハワード・グッドールの著書『音楽を変えた5つの発明』という本がある。クラシック音楽が発展した契機となった音楽上の「発明」が5つ記されている。
・記譜法
・歌劇(オペラ)
・平均律
・ピアノ
・録音技術
の5つである。このうち4つが、クラシック音楽が国際化した理由を明らかにしていると、私は思う。オペラは結果として、様々な形で存在している民族的「歌芝居」のなかで、国際化したのが、17世紀以降にヨーロッパで発展したオペラだけであるという、国際化の結果を示すものとして重要だが、それは別の機会に書くとして、ここでは残りの4つを取り上げてみたい。
記譜法1 多様な記譜法
私たちが、誰でも知っている五線譜という、音楽を記録する方式は、ヨーロッパだけで発達し、そして、楽譜の形として世界中で利用されている。もちろん、古今東西、五線譜とは異なる記譜法はいくらでもあるし、また現在でも使われていると思うが、普遍的に使用可能といえる記譜法は、五線譜のみである。
では、五線譜と他の記譜法は、何が違っているのか。
いじめの深刻な事態への懲戒は教師ではなく校長にすべき
今日(2月27日)の毎日新聞に、「いじめ不適切対応で懲戒 条文明記に賛否」と題する記事が載っている。学校の不適切な対応のために、いじめが深刻な事態に発展するケースが少なくないという認識からだろう、「いじめ防止対策推進法」の改正の一環として、超党派の国会議員で検討が進められているという。案の骨子として、毎日新聞は以下の内容を示している。
・いじめ対策は児童等の教育を受ける権利の保障のために欠くことができない学校において最優先に対応すべき事務であり、適切に行われなければならない
・教職員はいじめの防止に関する法令、基本的な方針、通知等に精通し、正しい理解の下に職務を行わなければならない
・教職員はいじめを受けた児童等を徹底して守り通す責務を有し、いじめまたはいじめが疑われる事実を知りながら放置し、または助長してはならない
・地方公共団体は教職員がこの法律の規定に違反している場合(教職員がいじめに相当する行為を行っている場合を含む)、懲戒その他の措置の基準および手続きを定めるものとする
ベルギーの高校生デモ2
前回、毎日新聞、スウェーデンの Svenska Dagbladet、そしてベルギーのDe Standaardを元に、ベルギーで起きている高校生の温暖化に抗議するデモを紹介した。毎週木曜日に行われいるもので、学校の授業を欠席して、多くの高校生が参加している。デモを礼賛する毎日新聞に対して、スウェーデンの新聞は、批判的な論調も紹介しているように、少なくとも大人の社会では、高校生デモについて、評価が分かれている。そのような紹介をして、次回のデモの様子を現地の新聞によって紹介すると予告したが、今回の文は、その紹介のためである。更に、高校生がこうした政治的主張をかかげて、デモすることを、更に、わざわざ授業がある日時に行っている意味についても、考察してみたい。
2月21日予定通り、ブリュッセルで高校生によるデモが行われ、予告されたように、スウェーデンの高校生活動家のGreta Thumbergが参加しただけではなく、父親のSvanteも参加した。’GRETA ONGEMERKT TUSSEN DE MENSEN KRIJGEN? DAT DRAAIDE ANDERS UIT’(De Standaard 2019.2.22)
読書ノート 『妻を帽子と間違えた男』1
作者のオリバー・サックスは残念なことに亡くなってしまったが、その著作は、どれも本当に興味深い。映画の『レナードの朝』の原作者としても有名だが、手話に関する著作も非常に驚いた。これもそのうちに取り上げたい。ただ、なんといっても、サックスの著作の中では、『妻を帽子と間違えた男』が有名であり、かつ面白い。著者は、脳神経医であるから、脳の異常によって生じる様々な症例を紹介しているのだが、おそらく一般の人が日常的に接するようなことはほとんどないと思われる。だから興味本位に読むことも可能であるが、実は、よく考えてみると、正常と異常の境界線は、ほとんどの場合あいまいだろう。多くの人が経験する視力の低下は、第一部で扱われている「喪失」の一種だと思われるが、ある時突然「近視」になるわけではない。視力検査などは、一年に一度程度しかやらないから、そういうときに、数値で示されると、ある時視力が低下したと認識するが、しかし、それはまったく気付かないほどの程度で進行していたのである。視力は低下しても、眼鏡やコンタクトレンズなどの補強ツールがあるから、特別に問題とならないが、人間が脳を使って行う膨大な作業の多くは、補強ツールなどない。だから、元々なかったり、あるいは徐々に「喪失」が進行していても、なかなか気付くことがなく、その程度が激しくなったときに異常を感じ、医者に行くことになる。
親と教師の懲戒権は削除すべき
今日(24日)TBSサンデー・モーニングで、子どもの権利委員会が、日本政府に対して、親の体罰等に関する勧告を行ったというニュースを流した。あまり詳しくは触れられなかったのと、このことをうっかり見過ごしていたので、調べてみた。数年前から、私は、大学の講義で、教師の懲戒権を検討し、教師の懲戒権そのものを削除すべきであるという見解を紹介している。もちろん、そういう学説の紹介であるが、私自身の意見でもある。
今回の勧告は、今年になって発覚した千葉県野田市の少女虐待死ではなく、昨年起きた東京目黒区での5歳の少女虐待死事件を受けてのことだろうと思われるが、野田市の事件が騒がれているときの勧告だけに、政府も検討を始めたようだ。
事件等はよく知られているので、勧告の内容をまず紹介しておく。平野裕二氏の「子どもの権利・国際情報サイト」に掲載されている訳文を使用させていただく。https://www26.atwiki.jp/childrights/
詳しく知りたい人は、ぜひこのサイトをチェックされることを勧めたい。
何故クラシック音楽が国際化したのか(1)
私が担当している「国際教育論」という授業で、今年度始めて、「文化の国際化」を扱いました。昨年までは、ほとんど戦争やグローバリゼーション等の固いテーマばかりやっていたのですが、残り少ない勤務ということもあり、自分の趣味である音楽も、国際社会の重要な要素でもあり、扱ってみました。音楽に親しんではきましたが、これまで正確には知らなかったことを調べて、わかったことも多々ありました。
その内容は、自分で作成している「教科書」にはないので、ここで、講義資料をもとに、文章化して掲載します。
文化も国際化の重要なテーマである。文化は通常民族固有のものと理解されているが、実際には、ある特定の民族や国家で生まれた文化が、形をかえることはあっても、基本的に同じ文化が多民族や外国で盛んになることは、いくらでもある。しかし、すべての文化内容が国際化するわけではなく、むしろ少数が国際的に拡大していくといえる。
クラシック音楽とは何か
芸術の国際化。音楽の国際化を考える。国際化している音楽の代表は、クラシック音楽である。
ただし、ここでいうクラシック音楽とは、古い音楽というわけではなく、正確に記譜された音楽のことをいう。記譜されているから、後代に残るし、また、外国でも演奏される。例えば、ジャズは基本が即興演奏だから、その場で消えてしまう。すべてのジャズの音楽家がそうではないが、記譜するのは、ジャズとして邪道だいう。しかし、アメリカにガーシュインという作曲家が現れて、音楽のジャンルとしては明らかにジャズだが、それを記譜して出版した。私自身、市民オケで「パリのアメリカ人」という音楽を演奏したことがある。元々は映画音楽だが、そのなかの曲をつなげて、組曲としての「パリのアメリカ人」という曲を作った。楽譜があるから、世界中で演奏されている。これは、音楽の分類としてはジャズ音楽だが、記譜されて、正確に伝えられるからクラシック音楽である。だから、記譜された形で作曲されれば、それは、21世紀に作られてもクラシック音楽である。 “何故クラシック音楽が国際化したのか(1)” の続きを読む
鬼平犯科帳1 笹やのお熊
「鬼平犯科帳を見る」シリーズは、「笹やのお熊(小説では、「お熊と茂平」)」から入ることにした。
通常、犯罪を扱うドラマでは、犯罪が進行し(あるいは最初に終わっており)、捜査を通じて事実を少しずつ究明していく形式をとる。しかし、この「笹やのお熊」では、当初犯罪が行われていたり、行われそうになっていたりしているわけでもないのに、長谷川平蔵がそれを疑い、様々な手をうつ。つまり、当初は平蔵の勘違いなのだが、途中から、盗賊のほうで盗みの可能性を見いだして、平蔵の錯覚が事実となっていくという、非常に珍しいあらすじ構成になっている。鬼平シリーズでも、このような展開は他に見られないと思う。
またこの回では、江戸時代に関するふたつの興味深いことが展開に関わっている。
ひとつは、当時の金融のあり方であり、またひとつは、火付け盗賊改め方の捜査方針に関わることである。これは、筋の中で触れる。
道徳教育ノート 「手品師」2
前回、「手品師」の文章そのものと、実習生の授業や大学生の意見をもとに考えてみたが、今回は、明治図書の『道徳教育』2013.3号で、手品師の特集を組んでいるので、それを参考にしながら、再度考えてみたい。
この特集を読むまで、実は私自身誤解していたことがあった。それは「手品師」という文章が、原作は欧米で、日本語に翻訳したものを使っていたのかと思っていた。大道芸人の手品師などは、日本であまりみかけないし、また、大劇場での演技というのも、あまり聞かないからである。しかし、江橋照雄という、日本人の道徳教育の専門家が、道徳教材として創作した文章であることがわかった。『道徳教育』のこの特集号には、江橋照雄が作者としてきちんと記入された文章が掲載されているだけではなく、「手品師の履歴書-手品師のこれまでの人生を知る手がかりとして-」という、前史と「手品師に熱き思いを寄せて」という江橋氏の文章が載っている。このふたつの文章によって、「手品師」の内容そのものがよくわかり、作者の意図も理解できる。しかし、いくら作者であるといっても、既に書かれてかなり経過しているこの物語は、作者の意図を超えて、多様な解釈に委ねられているし、道徳教材としての賛否もまた活発に議論されている。始めて公開されたのが、1976年というから、既に40年以上経っているわけである。社会状況やそれに応じた子どもたちの意識にも大きな変化がある。そうした変化を無視して、作者の意図通りの授業をしても、心には訴えないと考えざるをえないのである。