恒例のニューイヤーコンサートを聴いた。
初登場のネルソンスが独特の服装で指揮をして、ときに踊るように、また、わずかな指先だけの合図を送ったり、はたまたオケに委ねたり、多様な指揮ぶりを見せてくれた。最初のインタビューで10年間のウィーンフィルとの仕事があったので、練習などがやりやすかったと語っていたように、相互の信頼が深いことが感じられた。ラトビア出身だから、ウィーン音楽をバックボーンに育った人ではない。ウィーンの民族音楽ともいうべきウィンナワルツを指揮することは、決してやさしくないが、小沢とは違って、ウィーン流にやろうとする姿勢が明確だったように思う。小沢は、ウィーン方言ともいうべき慣習は、ほとんど無視して、楽譜に書いてあるとおりにやるのだという指揮をして、ウィーンフィルを怒らせてしまったが、若いころから国際的に活躍しているし、また、なんといってもヨーロッパ出身なので、小沢とは違うのだろう。(ウィーン以外にいけば、小沢流は多数派だが)
しかし、それでも、やはり、違和感が感じられるところが散見された。 “ネルソンスのニューイヤーコンサート” の続きを読む
ナルシスト国家になりつつある日本
12月29日付けで、渡邊裕子氏(ニューヨーク在住)執筆の「メガネ禁止、伊藤詩織さん、小泉環境相…2019年海外メディアは日本をどう報じたか」という非常に優れた文章が掲載されている。ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メガネ禁止、伊藤詩織さん、小泉環境相…2019年海外メディアは日本をどう報じたか/ar-BBYqC3j?ocid=spartandhp
ただ、全面的に賛成なわけではなく、より多面的な見方が必要であると感じる部分もあるので、そういう点も含めて紹介しよう。
執筆の基本姿勢として、日本に帰国するたびに、「日本はすごい」と外国人からみられていることを紹介するテレビ番組が増えたことに驚いている。日本人は、どう見られているかを気にするのに、日本のメディアしか見ない人が圧倒的である。外国の報道をみればわかるのだが、かなり辛口に言われることが多くなっているのだ。こうした観点から、辛口に論評されていることを、外国のメディアによって、いくつか紹介している文章である。
最初に、あるジョークが紹介されている。
ある教授が、「象についてのレポートを書きなさい」という宿題を出した。ドイツ人は「象の存在についての哲学的考察」、アメリカ人は「象を使ってできるビジネス」、中国人は「象の料理の仕方」、フランス人は「象の性生活について」というレポートを書いてきた。日本人は?というと、「日本人は象をどう見ているか。象は日本人をどう見ているか」だ……というオチだった。 “ナルシスト国家になりつつある日本” の続きを読む
カルロス・ゴーンの脱出劇
日本人だけではなく、世界中で驚きだったようだ。
ふたつ考えた。
ひとつは、やはり、保釈したにもかかわらず、あまりに制限が大きいことについては疑問を感じる。保釈中は、少なくとも逃亡しないことが最重要で、居場所の把握が常に可能なようにしておけば、通常の生活が可能なようにすべきである。「推定無罪」なのだから、保釈中でも、司法が著しい生活上の制限、例えば家族とも自由にあえない、などというのは、やはり批判されてしかるべきではないかと思う。海外にいってしまったゴーン氏が、今後日本批判の言論を自由に行うことができるわけだから、日本の検察当局は、国際的な論戦を強いられることになるわけだ。かなり劣勢になるのではないかと危惧する。
もうひとつは、どうやって脱出したか。 “カルロス・ゴーンの脱出劇” の続きを読む
スウェーデンで精神疾患用救急車導入の議論
元農水省次官が息子を殺害した事件では、激しかった家庭内暴力があったのに、何故警察を呼ばなかったのか、という議論がかなり出されていた。私も何故かと思ったりした。
ずいぶん前のNHKスペシャルの番組だが、「少年法廷」に関するドキュメント番組があった。少年法廷(ティーン・コート)は、10代の若者が若者の初犯の容疑者の裁判を行うというもので、財政基盤の脆弱さからそれほど普及していないが、高く評価されているシステムだ。NHKの番組は、ラスベガスの少年法廷を取材したものだったが、そこで裁かれている少女は、妹の子守をするように言いつけられたことに抵抗して、部屋に入ろうとした母親をドアで防いで怪我させたことで、警察を呼ばれてしまった。そして、裁判になり、少年法廷を選択したわけだ。そのとき、番組のナレーションは、ラスベガスでパトカーが呼ばれる理由の3分の1は家庭内暴力だというのだ。もちろん、子どもが呼ぶことは少ないので、多くは子どもが親に暴力を振るったときに、親がパトカーを呼び、子どもを逮捕させるわけである。日本とアメリカの家庭観の相違に驚いた。もし、元農水次官が、アメリカに住んでいるアメリカ人なら、躊躇することなく警察を呼び、自分が殺人犯になることはなかったのかも知れない。しかし、警察を呼び、息子を傷害罪の被告にして、投獄することが本当によいことなのかは、全く別問題だろう。
では、どうしたらよいのか。最善かどうかはわからないが、こうした事例を念頭においた議論が、スウェーデンでおきている。一部では実施されている地域もあるということだ。 “スウェーデンで精神疾患用救急車導入の議論” の続きを読む
思い出深い演奏会2
昨日の続きで、思い出深い演奏会第二弾です。
以前facebookで、友人と好きな指揮者の話になり、彼がフルトヴェングラー・ムラビンスキー・カルロス=クライバーという名前をあげたので、ずいぶん通だなあと感心し、対応した感じであげれば、私はワルター・カラヤン・アバドになる。彼が「精神派」とすれば、私は「感覚派」ということになるだろうか。非精神派といってもいい。音楽の演奏が、何か精神的な思考や思想を表現しているというのが、精神派で、フルトヴェングラーファンはだいたいそうだ。そして、たいていアンチカラヤンである。非精神派は、音楽は音楽で、思想とは関係ないというの考えで、純粋に音楽的な美を重んじるわけだ。ワルターは、私が高校生のときに死んでしまって、もちろん日本には一度も来ていないので、実演を聞く機会をもった日本人は、極めて少ないのだが、カラヤンとアバドは何度もきた。カラヤンは2度演奏会で聴いたが、会場が普門館という、音楽ホールではなく、何か宗教的な会場らしいのだが、とにかく広大なホールで、音が分散してしまい、あまり、ベルリンフィル・カラヤンの醍醐味を味わうことはできなかった。とても残念だ。そのときの曲目は、ベートーヴェンの1番と3番、そして、2日目が第九だった。第九は最前列だったので、カラヤンの指揮姿をよく見ることができないはよかった。カラヤンの指揮はさっぱりわからないと、アンチのひとたちはよくいったものだが、第九は音大の学生が合唱で多数出ていたのだが、不安なく歌っていたから、わかりにくいことはないのだろうと感じた。この一連のベートーヴェン全曲演奏は、CDにもなっているので、もう少し安くなったら購入しようかと思っている。 “思い出深い演奏会2” の続きを読む
思い出深い演奏会1
今日、他の話題で書く準備をしていたのだが、少々調べ不足であるために、もう少し時間をかける必要があると感じた。お茶を濁すわけではないが、気軽な話題をひとつはさむことにした。題名の通り、「思い出深い演奏会」である。
熱心に演奏会に通っていたのは、学生・院生時代だ。今でもあると思うが、「学生割引」という制度があって、一回の入場料がだいたい500円だったので、かなり気軽に演奏会にいくことができた。結婚して、仕事についてからは、どうしても演奏会から遠のき、今は自分で市民オーケストラに所属しているので、演奏することが中心となって、あまり演奏会にはいかない。たまにオペラにいく程度だ。それでも、小学校時代から、近所で行われていたテレビ番組のための演奏会(無料だった)に、ちょくちょくいっていたので、60年は通っていることになる。
ポリーニ
一番強烈な感動をした、思い出深い演奏会は、マウリッツィオ=ポリーニがN響に出演したときだ。当時のポリーニのリサイタルのチケットはまず入手不可能だと思っていたので、N響に出演するから、定期会員になれば聴けると思って、会員になり、3年間ほど通った。渋谷は遠いので、その後やめたのだが。ポリーニの2度目の来日で、まさしく敵なしのような圧倒的な存在で、全盛期である。 “思い出深い演奏会1” の続きを読む
日産の定額制充電制度廃止 出血サービスは続かないだけではなく
日産の電気自動車を購入すると、一月2000円(税抜き)で、全国どこでも、無制限に充電ができるというサービスを、日産がついにやめることになった。私は、今後車を買い換えることはないと思っているが、廃止前の定額制の記事を読んだとき、もし、買い換えがあるとしたら、日産のリーフもありだと思ったものだ。もっとも、同時に、そんなサービスいつまで続くだろうと疑問をもったことも事実だ。明らかに相当な出血サービスで、続ければ続けるほど、また利用者が多ければ多いほど、赤字を生むことになるわけで、いつか頓挫するに違いないと、通常思うのではないだろうか。そして、続けられなくなったとき、その条件に魅力を感じて購入したユーザーは、大きな失望を感じるはずだ。廃止は、意外なほど早くやってきたと感じる。 “日産の定額制充電制度廃止 出血サービスは続かないだけではなく” の続きを読む
余った給食持ちかえり事件
ネット上でかなり活発に議論がなされているようだ。最初に新聞で報道されたときから、もちろんひっかかるものがあった。
定時制高校の教諭が、主に欠席の生徒の給食を持ち帰っていたことが、通報による発覚し、持ちかえった分の費用を返済したあとで依願退職したというものだ。依願といっても、実質的には処分だろう。
他の誰も知らず、教諭が無断で持ち帰ったとしたら、法的には窃盗にあたるというのは、間違いない。ただ、現時点で窃盗罪で逮捕されたりしているわけではないようだ。しかし、ネットでは、処分に否定的な見解が多く、いいこととは言わないまでも、悪いことをしたとはいえないという見解が多い。コンビニで捨てるくらいなら、従業員が持ちかえってもいいではないかという感覚と同じだろう。
定時制高校というのが、ひとつのキーワードとなるだろう。当然欠席が、通常の学校より多いわけで、給食はそっくり余ることになる。さすがに、おかずなどは出席した生徒たちが食べるのだろうけど、パンとか牛乳は手つかずのまま残る。とすると、そういう残ったものを、どのように処理するかというコンセンサス、あるいは規則がなかったのだろうか。 “余った給食持ちかえり事件” の続きを読む
ドイツの奉仕義務導入の議論
現在ドイツでは、義務的な奉仕活動の制度を導入する議論が、CDU(ドイツキリスト教民主同盟)を中心にかなり活発に行われているようだ。議論そのものは、昨年から出ていたが、Kramp-Karrenbauersという女性の党リーダーが、党員の意見を聞く会を精力的にまわり、そのなかで、出てきた意見を受けて提唱している。それが11月で、その後多くの党やメディアで盛んに賛否が論じられている状況になっている。
ドイツは2011年まで徴兵制があった。兵役につくか、あるいは市民的奉仕活動をするかの選択はあったが、それが廃止され、その後は純粋にボランティアによる奉仕活動が行われているだけである。だいたい年4万人の人がボランティア活動をしているというが、もちろん、若者ばかりではない。 (災害等で臨時にボランティアをする人ではなく、登録して日常的に実践している人だと思われる。)今議論され、提案としてまとめられているものは、教育を終了した人が、1年間社会的奉仕活動を義務づけられるという案である。2018年に行われた世論調査では、実は賛成が多数になっている。政党別に見ると以下のようになっている。
CDU 77%
AfD 72%
SPD 62%
緑 66%
FDP 65%
Parteichef Christian Lindner は自由の制限だとして拒否
左派は52%
反対が上回っている政党支持層はないのが特徴的だ。 “ドイツの奉仕義務導入の議論” の続きを読む
相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか
前回(12月23日)の国際社会論で、文化の国際化を扱う材料として、音楽の国際化を考えた。昨年初めて行った講義で、3月のこのブログに、文章化したものを掲載してある。その際、様々な領域の文化、スポーツなどで、国際化が進んでいるものとそうでないものがある。何故そうなのか、自分の好きな領域で考えてみようという課題を与えた。
日本発祥のスポーツとして、柔道は国際化が著しいが、相撲は極めて限定的である。柔道は、世界中で活発に行われているが、相撲は、日本でしか行われていな。海外巡業がごく稀に行われたり、あるいは相撲をしたいという外国人が日本にきて力士になることはある。しかし、相撲が海外でも日常的に行われることは、今のところ全くないし、また今後も考えにくい。それは何故なのか、いろいろな理由があるだろうが、そのことも考えさせる文章が、JBpressの12月25日号に掲載されている。「横綱白鵬を開き直らせた的外れ批判の罪」という臼北信行氏の文章である。要旨は比較的単純で、白鵬が、立ち会いのかちあげや張り手を、横綱審議委員会を筆頭として、いろいろな方面から、「横綱の取り組みとして品格がない」とか「横綱はやるべきでない」と散々批判されていることについて、白鵬の、禁じ手ではないのだから、改めるつもりがないという姿勢を支持している文章である。むしろ、相手が、白鵬がそうした技をやってきたら、それに対する有効な反撃の技を繰り出せばいいことであるのに、それをしないほうがおかしいというわけである。 “相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか” の続きを読む